靖国神社は78年、処刑された東条英機元首相らを含む14人のA級戦犯を合祀した。このことが戦死者の追悼の問題をいっそう複雑にしてしまった。
新しい国立の戦没者追悼施設をつくる構想は、小泉首相が01年8月13日、初めて靖国参拝の際に出した談話の中で「内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げるにはどのようにすればよいか、議論する必要がある」と述べたのを受けて具体的に動き出した。官房長官のもとに設置された懇談会が1年にわたって議論し、無宗教の国立の戦没者追悼施設が必要とする提言をまとめた。ただ自民党内に靖国神社が形骸化するとして新施設の建設に反対論が根強く、言い出した首相自身も積極的に後押ししようとはしていない。提言は宙に浮いたままだ。
小泉首相は6月2日の衆院予算委員会で靖国参拝について 「首相の職務でなく、私の信条から発する参拝に他の国が干渉すべきでない。自分自身の判断で考える問題だ」 「いつ行くかは適切に判断する」 「A級戦犯を戦争犯罪人だと認識している」 「A級戦犯のために参拝しているのではない。多くの戦没者に敬意を表している」 「私は戦争への痛切な反省を表明している。靖国神社を参拝することが靖国神社の考えを支持しているととらないでほしい」
小泉首相は、中韓両国が期待した新たな慰霊施設の建設構想放り出したまま、靖国参拝で何を実現しようとしているのか謎である。首相が何を考えているのか国民に分からないというのは、好ましい状況ではない。中国の意見に耳を傾けるという行為自体が不快でならないという子供じみた心理からだろうか。
参拝の理由を聞かれて、6月7日の会見で 「選挙公約とかそういう問題じゃない。適切に判断するとしか、今は言わない方がいいと思います。こういうこと、あんまり聞かない方がいいんじゃないですか」
加藤紘一氏の見解は次の通りである。小泉さんがそれでも参拝にこだわるのは、政治家としての感覚じゃないかな。やっぱり、日中友好路線について国民はあまり快く思っていないという部分をくみ上げているのでしょう。これは小泉さん一人の問題ではない。日本社会にあるナショナリズムと国民全般の中にある、なんとなく中国に押されているのではないかと受け取る気持ちの問題で、えらく難しいテーマです。
新しい国立の戦没者追悼施設をつくる構想は、小泉首相が01年8月13日、初めて靖国参拝の際に出した談話の中で「内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げるにはどのようにすればよいか、議論する必要がある」と述べたのを受けて具体的に動き出した。官房長官のもとに設置された懇談会が1年にわたって議論し、無宗教の国立の戦没者追悼施設が必要とする提言をまとめた。ただ自民党内に靖国神社が形骸化するとして新施設の建設に反対論が根強く、言い出した首相自身も積極的に後押ししようとはしていない。提言は宙に浮いたままだ。
小泉首相は6月2日の衆院予算委員会で靖国参拝について 「首相の職務でなく、私の信条から発する参拝に他の国が干渉すべきでない。自分自身の判断で考える問題だ」 「いつ行くかは適切に判断する」 「A級戦犯を戦争犯罪人だと認識している」 「A級戦犯のために参拝しているのではない。多くの戦没者に敬意を表している」 「私は戦争への痛切な反省を表明している。靖国神社を参拝することが靖国神社の考えを支持しているととらないでほしい」
小泉首相は、中韓両国が期待した新たな慰霊施設の建設構想放り出したまま、靖国参拝で何を実現しようとしているのか謎である。首相が何を考えているのか国民に分からないというのは、好ましい状況ではない。中国の意見に耳を傾けるという行為自体が不快でならないという子供じみた心理からだろうか。
参拝の理由を聞かれて、6月7日の会見で 「選挙公約とかそういう問題じゃない。適切に判断するとしか、今は言わない方がいいと思います。こういうこと、あんまり聞かない方がいいんじゃないですか」
加藤紘一氏の見解は次の通りである。小泉さんがそれでも参拝にこだわるのは、政治家としての感覚じゃないかな。やっぱり、日中友好路線について国民はあまり快く思っていないという部分をくみ上げているのでしょう。これは小泉さん一人の問題ではない。日本社会にあるナショナリズムと国民全般の中にある、なんとなく中国に押されているのではないかと受け取る気持ちの問題で、えらく難しいテーマです。