前回の記述にアーミッシュがあるが、私の印象も強い。初(25年前)の海外旅行先がペンシルバニア州で彼らの居住地の近くだった。彼らの家や市場で卵、パン、野菜等を買ったり、キルトの作業を見たりした。
ホームスティ先の婦人が「彼らにカメラを向けないで」と言った。成人男性は長い髭を貯え山高帽を被り、女性は化粧は論外、伸ばした髪を後ろに束ね木綿のシンプルな被り物を覆っていた。電気は一切使わず風車の動力を使い、農業を営み農耕具も昔さながらだった。移動は車でなく幌馬車だった。
その後映画「ウイットネス・目撃者」を見た。彼らの生活を見ていた私は、その映画を身近に感じた。直近では06年に起きた学校での想像しがたい銃撃事件だ。下級生を庇って僅か13才の年長の少女が銃の前に立ち、真っ先に撃たれながら加害者家族を許しさえした平和主義の心・・。その後少なからぬ海外旅行もしたが、信条に基づき生活様式を守るアーミッシュ村の記憶が未だ一番鮮烈だ。彼らの生活様式はオリンピック狂想曲に豹変を遂げた北京と違い、今も当時と変わるまい。