オリンピック代表選考会を兼ねた競泳の日本選手権が4月に開かれた。男子100m背泳ぎで宮下純一(24)が54秒37で2位に入り、夢の舞台の切符を手にした。1位は前回のアテネ五輪の銅メダリスト森田智己(23)であった。宮下は4年前の筑波大生の時は3位で代表を逃している。森田は宮下の長い間の目標だった。
宮下は大学卒業後に大手芸能事務所ホリプロの契約社員となった。タレントではなくスポーツ文化部所属だ。もっとも泳ぎに専念できる契約になっており出社に及ばずである。1回につき8000mを1日に2回ひたすら泳ぐ日々である。ホリプロは元アスリートのタレントとは異なる現役選手を取り込むという初の戦略に出たのだった。
今回の北京の予選のタイムは宮下が54秒12で、森田が54秒21であった。続いて準決勝では53秒69の日本新記録をマークし7位で決勝進出を果たす。森田は53秒95の10位だった。宮下の決勝は53秒99の8位に終わる。しかし運の強い男だ。ライバル森田に勝った宮下は400mメドレーリレーの一員となったのである。競泳の最終種目で宮下、北島、藤井、佐藤の日本チームはアテネに続いて銅メダルを獲得した。第一泳者宮下は53秒87の4番手で戻ってきた。主将の北島から53秒で戻らなければ短髪にすると言われていたという。
幼稚園では水が嫌いで水遊びができない子だった。むりやり泳がされ水泳は好きになったが水泳以外のスポーツは苦手だという。宮下は高校3年の体育祭の各部対抗リレーでどうしても赤ふんで走りたいと思った。粘りの交渉が功を奏して 「そんなに赤ふんで走りたいのならやってみろ」 という許可らしいものが出た。それは今でも後輩に引き継がれているという。また彼にはつぎのような側面もある。高校1年の時に詠んだつぎの作品が南の街の句会で特別賞を受けた。「声援が しぶきにぬれて 泳ぎ切る」 これから銅メダリストと呼ばれる。好漢自重せよ。