jazz and freedom and avenger

JAZZを聴きながら勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

早過ぎるリーダー・ラスト作 ・・・・・ TROMPETA TOCCATA / KENNY DORHAM

2021-09-12 | ジャズ・tp

 

1972年12月5日、腎臓病を患っていたドーハムは騒がれることなく48才の短い生涯を終えた。口の悪い連中から「長持ちドーハム」と揶揄された割には早死にであった。だが、、本作を録音した64年、40才にしてドーハムは既にジャズ・ミュージシャンとしての生命に終止符を打っていたと言っても過言ではない。ええっ、と思うかもしれないが間違いなく本作がドーハムのリーダー作のラスト・アルバムである。残りの8年間はプレスティージ、ストラタ・イースト等へ数本、サイドマンとして参加しているにすぎない。

このマイルスの僅か2才、年上のビ・バップからの名トランペッターが何故、本作以後、突然こうした状況に陥らなければならなかったのか定かではないが、それなりの理由が有ったのだろう。しかし、少なくともジャズシーンの急激な変化に彼が置いてきぼりにされたという憶測は当たっていない。何故ならば、本作のドーハムの演奏からは、時代に乗り遅れ、立ちつくしている様子は微塵も感じられない。ただ、本作の暫く後、ドーハムはDB誌でディスク・レヴーを担当し、例えば、ある同じtp奏者のアルバムに3.5星を付け、その理由を聞かれると、ドーハムは”TROMPETA TOCCATA”が同じ3.5星だったので・・・・・・と会心の出来を高く評価されなかった悔しさを滲ませ、他にもかなり辛口の評を残している。憶測ですが、それがマイナスに働いたかもしれません。ある意味、相反する立場を一人二役で熟すのは、そもそも無理が有ったのではないか。

それは兎も角、この”TROMPETA TOCCATA”はドーハムの約20年に亘るバップ・トランペッターとして最後の力を振り絞った命懸けの作品であったのではないかと思います。勿論、後付け論法ですが、この後の8年間のドーハムの姿を見るとそう思わざるを得ない。

かなりの好評を得た前作「ウナ・マス」に続く本作は全4曲、名演、しかも名曲揃いです。リーダーだけでなくサイドメンも素晴らしいプレイを聴かせ、タイトル曲でのトミフラは聴き手の予測を超えるミステリアスなソロを展開し、聴きものです。
しかし、何といってもラストナンバーの‘The Fox’がハイライト。ここでのドーハムはまるでこれがリーダー作として最後のプレイと予知していたかの如き美しくも激しく燃え尽きる 。
恩人とも言えるドーハムの心情を察知したのか、ジョー・ヘンダーソンがこれまた畢生の名ソロを展開する。聴き終えた後、なんだか目頭が熱くなってきます。

あまり話題に上ることのない本作はトランペッター・ドーハムの実力を見事に凝縮している。

1964. 9. 4

 

”Bluespirits”(2004. 2. 23)


裏名盤 ・・・・・ PERCEPTION / ART FARMER

2021-07-26 | ジャズ・tp

 

「お前は、ショーン・コネリーか!」と突っ込みたくなるこの気取ったポーズには「オレを甘く見縊るなよ!」と言わんばかりのファーマーの無言の抵抗さえ感じられる。ファーマーのベスト・アルバムと言えば、、同じARGOの‘ART’が大方の予想ではないでしょうか。一方、同じワンホーン・カルテットのこの‘PERCEPTION’は殆ど話題に登らない月見草的存在ですね。録音後しばらく塩漬けされ、リリースされた時(1964年)はジャズの潮流がすっかり変わってしまっていたのが不運でした。なお、本作ではtpではなく、flhを吹いている。

‘I think of Art as Mr. Melody’から始まるレナード・フェザーのライナー・ノーツ通り、メロディ・メーカーとしてのファーマーの優れた資質が全編に亘り、メイバーン、ウイリアムス、マカーディのリズムセクションをバックに全開している。メイバーンのこじゃれたpと隠し味的テクニックを聴かせるマカーディのdsもGooです。

やや甘味を含んだメイバーンのイントロからスタートするファーマーの軽快なオリジナル‘Punsu’を始め、ホント、Mr. Melodyって言い当ててますよね。

 

1961. 10. 25, 26 & 27

そんな中、好きなトラックは、ファーマーが隠れたハード・ヒッターぶりを遺憾なく発揮するB-3の‘Change Partners’、それまでジェントルなドラミングでこのセッションを支えていたマカーディがうめき声を発しながらファーマーと掛けあう辺り、エキサイテイングです。しかも、些かの崩れ、乱れもありません。

ちょっとしたアレンジが新鮮さを生みだしている‘Lullaby Of The Leaves’、メイバーンのカウンター気味なバッキングが思いのほか決まっている‘TONK’、ラスト・トラックのバラード‘Nobody's Heart’等々、他の曲も充分に聴かせます。
このアルバム以降、ファーマーはtpよりもflhを多用し始めますが、それを予感させる作品と言っていいでしょう。

レナード・フェザーはライナー・ノーツの最後を、こう締め括っている。

'‘As long as there is room for beauty and lylicism in jazz,such voices as Farmer's will never be silenced.’

いやぁー、巧い言い表し方ですね。さすがです。

 

 “Bluespirits”(2009.4.17)

 

 

 


ジャズが一番幸せだった夜 ・・・・・MONDAY NIGHT AT BIRDLAND

2021-07-06 | ジャズ・tp

(1958.4.22)

現役時代、東京へ出張した際、帰りに廃盤屋に立ち寄るのが楽しみだった。ある店に行った時の事、「新着コーナー」でこの‘MONDAY’のオリジナルを見つけたが、カヴァがかなり傷んでおり、悩んだ末、元に戻し違うエサ箱を物色していると、一人の男が入ってきて予想通り「新着コーナー」をさぐり出し、なんとその‘MONDAY’を小脇に抱え込んだ。どうするのかな?と横目でチラチラと見ていると、サッとレジに運んだのである。瞬間、後悔の念が走ったが、「ま、いずれ、・・・・・・」と考え直した。
それから、半年後、違う円盤屋で見つけたが、今度は盤がダメでした。ところが、丁度、その店に国内盤で‘MONDAY’と‘ANOTHER’が揃って置いて有り、これも何かの縁と思い、購入し、現在に至っている。
 
パーカーに名に因んだこのジャズ・クラブ‘BIRDLAND’は1949年暮れにブロードウエイ52丁目にオープンし、1965年に閉店するまで、文字通り、ジャズのメッカとして、世界中のファンから愛された。
 
当時、バードランドは毎週、月曜日をレギュラー・バンドの休日に当て、新人たちのジャム・セッションに開放しており、この二枚もその機会にレコーディングされたもの。
  
一集の‘MONDAY’は‘Walkin'’、‘All The Things You Are’、‘Bag's Groove’、‘There Will Never Be Another You’とジャズ・ファンなら誰でも知っているナンバーで固め、二集の‘ANOTHER ・・・・・’は、4曲中、メンバーのフラー、モーガンとD・ベストのオリジナルを一曲ずつ配し、それなりに趣向を凝らしています。
自分の好みでは、断然、二集です。

前置きが長くなりましたが、この二枚のレコードの聴きものは、スバリ、モーガンのtpです。

そして、聴き所はモブレーとルートのtsの聴き比べですね。このふたり、本当にスタイル、音色がよく似ているので、初めて聴くと、どちらか、解らなくなります。ただ、マイルドで独特の節回しを聴かせるモブレーに対し、エキサイトするとワイルドさを聴かせるのがルートと思えば、まず、間違いありません。ルートはこうしたスモール・コンボでのソロを充分に聴く機会がそれほど多くないので、貴重です。

 

 

で、モーガンです。全八曲、全てに於いて、すばらしいです。 もし、「モーガンで、何か一枚を・・・・」と訊かれたら、このBIRDLANDを躊躇なく、薦めます。「何をバカな!」笑われるやもしれませんが、独断と偏見で言わせていただくと、これほどまでに自然体で己の天分をストレートに発揮した演奏は、他には見当たらないのではないでしょうか。
中でも、二集‘ANOTHER ・・・’の二曲目、フラーのオリジナル‘Jamph’でのソロはどうでしょう!
音色、歌心、テクニック、そして、後年のようにストック・フレーズに頼らない豊かなイマジネーション、もぉ、パーフェクトですね。

モーガン、この時、まだ20歳になる前とは! いやはや早熟ですなぁ。否、早過ぎましたね。

ライブ録音なので、ブライアントのpが全般に亘って、フラーのソロも曲によって、ややOFF気味ですが、それを忘れさせる好演揃いです。

それにしても、MCを務める人気DJ男、シッドのドスの利いたダミ声も含め、「ジャズが一番、幸せだった夜」に疑いはありません。

 

“Bluesprits”(2011.1.9 )

 

 

 

 


LIVE AT SLUGS' volume 1 & Ⅱ / MUSIC INC.

2021-01-19 | ジャズ・tp

 

1960年代後半から70年代前半に掛けて、多様性に富んだ当時のジャズ・シーンを活性化し、人気を博したグループと言えば、C・ロイド・カルテット ~ P・ウッズ & his ERM 、そして MUSIC INC.が思い浮かびます。

トリヴァー、カウエルを双頭とするMUSIC INC.の魅力は、何と言ってもtpワンホーン という難しい編制で、純度100%アコースティク・ジャズをグイグイと演ずる所でしょう。

本作2枚は1970年5月1日、ジャズ・クラブ「スラッグス」でのLIVEもの。「スラッグス」は2年後、モーガンの悲劇が起きた場所ですね。

リリースは自主レーベル”STRATAーEAST”の2作目となるVOL.1が1972年、Vol.Ⅱは1973年でグループの人気が上がったせいなのでしょう、カヴァはゲートホールドとなり、しかも、こってりとコーティングまで施されている。

それぞれ3曲ずつ、全てメンバーのオリジナルで構成されており、モチベーションが高く、バラード風のナンバーも含め、種も仕掛けもないクリエイティブなパフォーマンスが繰り広げられている。

その頃のジャズのトレンドに真っ向背を向けたプレイは多くのジャズ・ファンから支持され、人気絶頂の1973年11月末、来日し”LIVE IN TOKYO”(12/7)を残している。これも素晴らしい作品ですね。

そういえば、昨年のアルバム・スタートも同じMUSIC INC.でした。一年の初めに相応しい志高き熱演です。

 


MILES DAVIS & JOHN COLTRANE / Live ㏌ Stockholm 1960

2020-03-29 | ジャズ・tp

 

通称、マイルスとコルトレーン「別れの欧州ツアー」ライブ5部作の内の一枚。

1960/3/21のパリを皮きりにストックホルム(3/22)、コペンハーゲン(3/24)、チューリツヒ(4/8)、オランダ(4/9)の順で録音されている。

本作は1985年になってスエーデンのドラゴン・レコードからリリースされ、ブートの類ではなく、音はしっかり録られている。またカヴァの装丁も手抜きはありません。

巷では、有終の美を飾ろうとマイルスが下手に出たにも拘らず、独立を決心していたコルトレーンが「もう、あんたの部下じゃないぜ」と言わんばかりに我儘やり放題、との説が流れているけれど、勿論、野心が無いワケではないがコルトレーンがもうサイドでは収まり切らない次元に達していたと考えるのが自然と思います。

 

 

さすが、マイルス、足をすくわれないようボスとしての矜持を保っている。一方のコルトレーンは独立後の自分の存在感を高めようと最後の坂道を力走する。”So What”(2ヴァージョン)でのドライブ感は何度聴いても実に爽快です。

 

 

2LPのセンター・ラベルがイエローとオレンジに分かれ、ちょっとした遊び心が感じられます。アナログの良さとも言えますね。

 

 

5部作を全部聴いてはいませんが、世評では、このストックホルム盤がベストとの声が高いです。

なお、このメンバーでのオフィシャルのスタジオ録音音源はないので、このシリーズは貴重ですね。


SOMEDAY MY PRINCE WILL COME / MILES DAVIS

2020-03-21 | ジャズ・tp

 

旧録音の海外CD盤は国内盤にない魅力がある。一概には言えないが、日本はオリジナル仕様を優先的に考え、海外はレコードと切り離して詳しいデータ、情報等々を付加価値として積極的に組み入れている。考え方が根本的に異なるような気がします。

今回アップしたのは米コロンビアがリリース(1999年)したCD。人気曲の”Someday ・・・・・・”のオルタネイト・テイク1曲と未収録曲1曲がボーナスとして加えられている。

ライナー・ノーツはトランペッターのE・ヘンダーソンが新しく書いているが、失礼ながら大したものではなく、録音時のデータ等の方に興味が湧きます。

例えば録音スタジオ(Columbia 30th Street Studio. NYC)は兎も角、録音日の時間帯(一例、2:30 to 6:30 PM)、エンジニア名(二人)、Take No.、オルタネイト・テイク、未収録曲が日の目を見たアルバムなどの情報が記載されている。

この作品のエピソードが生まれたのは、計3度の録音の内の2度目(1961.3.20)、”Someday ・・・・・・”の録音時、手古摺るモブレーに見兼ね、急遽、他で仕事中のコルトレーンを呼ぶくだりですね。ただ、既に出来上がっていたオルタネイト テイクを聴くと、やや甘目ではあるが、ボツにするほどのレベルではなく、マイルスは同曲のインパクトをより強めようとコルトレーンに連絡を取ったのだろう。

それより、目に留まったのは、モブレーが入った”Teo”のテイクが結局、完成せず、リジェクト(廃棄)され、翌日(21日)、再びコルトレーンが入り(モブレー抜き)完成させている所です。

つまり、”Someday ・・・・・・”のような愛くるしいメロディのワルツ曲や、スパニッシュ・モードの”Teo”は、モブレーにとってあまり得意ではなかったかも。選曲との相性に運がなかったのだろう。

もう一つ注目点が、3度目(21日)、マイルスはモブレーと気心が知れたP.ジョー・ジョーンズをスタジオに呼び、”Blues No.2”(未収録曲)1曲だけ、コブと入れ替えている。そしてモブレーはマイルスと共に水を得た魚のようにハード・バップを謳歌している。勿論、コルトレーンは抜けている。

マイルスのモブレーの心情を察しての計らいである事は明白ですね。

なお、1回目の録音日(1961.3.7)に収録された”Drad Dog”でオリジナルLPでは短くカットされているモブレーのソロが、このCDで初めて元通りに修正されている。ケリーのpがフライング気味で被っているのがカットされた理由ですが、割を喰ったモブレーは気の毒ですね。気にするほどではなく、尻切れトンボ感が残っただけでカットしなくても良かったのでは、モブレーのためにも。

 

アナログ時代から好録音盤として評判が良かった一枚、CDの音も20bitだけどGooですね。


LEE MORGAN ・・・・・BLUE NOTE 未発表3作

2020-03-08 | ジャズ・tp

 

最期は悲劇だったけれど、モーガンは幸せな男ですね。

わが国の分厚いハード・バップ愛好者層から絶大な支持を受け、更にショキングな死がドラマティック性を呼び、ほぼBN一筋に作品を吹き込んでいるスタンスも好ましく映り、マイルスの人気には及ばないもののケリー(p)、モブレー(ts)同様に「愛される」尺度でいけば一番手だろう。映画まで制作されている。

ただ、視点を変えると、この天才トランペッターならメジャーから引き抜きが有ってもおかしくないはずなのだがどうなんだろう?

モーガンがメジャーの制約を嫌ったのか、それともメジャーがモーガンの私生活の乱れに腰を引いたのか、恐らく両方だろう。

1963年録音の”THE SIDEWINDER”の大ヒットで華々しくカムバックし1971年のラスト・アルバムまでの8年間でモーガンはリアルタイムでリリースされた作品が11枚、「お蔵入り」して後年、日の目を見た作品は自分が知る限る8枚、計19枚分をレコーディングしている。突出する「8枚」はライオンがモーガンの生活基盤(吹き込み料)が崩れないよう「お蔵入り」をある程度想定していた事を物語っている。

その内の2枚のLP(国内盤)と輸入CD1枚をピック・アップ。

LP(↑)は” ALL STAR SEXTET”(1967年)と”SEXTET”(1969年)

前者はBNのお友達とは言え陣容は強力ですね。後者も実力者揃いです。共通性のカヴァ、しかも、かなり若い時代はやむを得ない事情があったのでしょう。

CD(↓)” STANDARDS”(1967年)のメンツも充実、しかも多彩です。

 

 

3枚共、ペットの鳴り自体は悪くなく、卒なくまとまっているが、肝心のモーガンの顔は霞んでいる。均して年2枚を上回るハイ・ペースはお膳立てされたものに頼らず未来の延長線上に身を置き、常に前向きの姿勢でないと中身がマンネリと化す。モーガン・ファンにとっては余計なことかもしれないけれど、もし、メジャーで揉まれていたならば・・・・・・、モーガンの天賦の才はこんなものではない。

1972年2月18日、ヘレンが放った一発の凶弾は、見方を変えれば、限界が迫る中、神が差し伸べた救いの手だったのではないか。

4日後の22日、モーガンの初リーダー作(1956年、SAVOY)で共演し、共にハード・バップの屋台骨を支えてきたモブレーはC・ウォルトンとの共作”BREAKTHROUGH!”(COBBLESTONE)で季節外れと思えるガーシュインの”Summer Time”を曲想から外れ呻き声を交えハードにモーガンの死を嘆き、カデンツァでは悼んでいる。そして、この日を最後にモブレーもジャズ・シーンの表舞台から姿を消した。


半世紀も前だが ・・・・・・・ MUSIC INC./ C・TOLLIVER

2020-01-11 | ジャズ・tp

 

60年代末のジャズ・シーンを席巻したロイド・グループのブームも収まった70年代初頭、また、新しいグループが躍進し、多くのジャズ・ファンのハートをギュッと捉えた。

「ミュージック・インク」のネームはC・トリヴァーのリリース初リーダー作”THE RINGER”(1969年)に既にクレジットされていますが、実質的にはこのSTRATA-EAST原盤が1st・アルバム(1970年11月11日)と言って良いでしょう。所有するのは原盤と白黒が反転している英ポリドール盤です。

世はマイルスが先導するエレキ・ジャズが主導権を握っているかのようにマスコミは喧伝するが、必ずしもそうではなく、この4人組はストレート・アヘッドなアコーステッィク・ジャズ。

トリヴァーは所謂、新主流急進派、カウエルはニュー・ジャズ畑のESP出身者で、マクビーはあのロイド・グループのオリジナル・メンバーですね。

このスタート・アルバムはカルテットだけではなく総勢13人からなるホーン陣がバックに付き、tpにはR・ウィリアムス、V・ジョーンズ、ts・flにはJ・ヒース、C・ジョーダン、tbにはC・フラー、G・ブラウン、その他、H・ジョンソンと錚錚たるメンバーが門出を祝っている。

収録曲は双頭コンボらしく、トリヴァー、カウエルが其々、3曲ずつ出し合いアレンジも担当している。リキの入れ具合が分かりますね。

TOPのトリヴァーの”Ruthie's Heart’から全開モード炸裂!いやはや、50年の歳月を忘れ、瞬く間に「あの頃」に戻ります。

STRATA-EAST盤は自主運営と言うやや特殊なレーベルのため、当初、輸入盤でしか手に入らず、名の浸透にやや時間が掛ったが、「ジャズ・フラッシュ」(NHK)でオランダ・ルースドレヒト ジャズ フェスティバル」のライブ盤(1972年)が放送されるや一気に大ブレークした。同じ職場にジャズをかじっていた女性がいて、翌日、一番に駆け込んできて「体中、痺れちゃいましたよ!」興奮気味に話しかけてきたことを今でも鮮明に覚えている。男は余計なことを考えるけれど、女性は素直ですね。

人気絶頂の1973年来日し12月7日、東京郵便貯金ホールで内部対立で袂を分っていたカウエルが復帰した”IN TOKYO”が録音され、オランダと甲乙付け難い見事な出来栄えとなっている。個人的にはカウエルのpが入る”IN TOKYO”の方が断然、好きですね。

 

 

tpワンホーン カルテットという難しい編制で、あの時代、ジャズ・シーンをあれほどまでに盛り上げ、支持を受けた”MUSIC INC.”の魅力って何だったのだろう。「アコーステッィク・ジャズに限界はない」ということを証明したからだろう。

そういう意味で、この”MUSIC INC.”の存在価値はジャズ史上、非常に大きい。

なお、1970年5月1日、NYの”Slugs’”でカルテットによるライブが2枚、既に録音されていましたが、リリースは1stの後になっている。

”Slugs’”は1972年2月、モーガンが射殺されたクラブです。 


想い出の ・・・・・・ FLIGHT FOR FOUR / JOHN CARTER & BOBBY BRADFORD

2019-12-12 | ジャズ・tp

 

時間が空いたのでSMへ出かけ、書店に。初めて見るマガジンですが表紙の写真につられ手に取った。オーディオの専門誌ではないけれどオーディオ・ルームが特集され巻頭に村上春樹氏が紹介されていた。

続きをペラペラと捲っていき、他の四人の一人目のチダ コウイチ氏(クリエイティブ・ディレクター)の紹介ページで一枚の写真に眼が釘付けになった。壁に立て掛けられた何枚かのLPの内、一枚だけフロント・カヴァがカメラに写っていた。意図的に見せたのか、或いはたまたまなのか兎も角、このウルトラ・マイナーなアルバムを所有されていることに少なからず驚いた。

かって自分にもあった若き日を想い出させる一枚。

 

 

最近、すっかり更新をサボりっ放しの弊HP”BLUE SPIRITS”で本作をUPしている(2003.8.18)。

少し短く手直ししましたが、長文なので適当に流し読みを。

『夏の日の思い出』

「今年は冷夏ですが、毎年、暑い夏が来ると必ず思い出すレコードがあります。
それが本作。このレコードはわが国では1970年に発表(直輸入盤で)されていますが、翌年(71年)の夏のある暑い昼下がり、僕はいつも行くレコード店で物色していたところ、顔なじみの女子店員が「この暑さを忘れられる何か良いレコードはないですか?」と話し掛けてきた。聞いてみると「あそこにいる女性に尋ねられたので」と言うので見てみるとると、20台前半のOL風の女性であった。

少し考えてこのレコードを勧めた。その理由は、常識的なボサノバでは、おもしろくもないし、かと言ってありきたりの名盤では芸がないし、暑さを忘れるには、強力に惹きつける何かがなければいけないと思い、ブラッドフォードのtpに賭けてみたのです。
試聴する後姿を横目でチラチラと見ていたところ、その女性は買物を済ませたが、果たしてこのレコードを買ったのか、判らなかった。

すると女子店員がやって来て、「すごく気に入ってもらい、買って頂きました。ありがとうございました」と言うので、僕が「どんなところが気に入ったのだろう」と聞き返すと、「tpがとってもイイと、言ってました」と答えてくれた。
作戦がずばり的中したわけだが、無名に近い本作の肝をちょっと試聴しただけで聴き取ったその女性の感性に恐れ入った。

本作を初めて聴いたのは70年春、3月。京都での学生生活を終え、実家へ帰る日の前日、これが最後と思い四条の大丸の前の「(ザ?)マン・ホール」へ行った。階段を降り、扉を開けた瞬間、素晴らしいtpが耳に飛び込んできて、これは、ハバードの新作だ、と思った。目をつぶって暫く聴いていたが、どうもハバードとは違う、フレーズがハバードより断片的で鋭く、音色もチョット違う、誰だろうと考えても全く思い当らなかった。ジャケットを見ると、見た事のないジャケットで、聞いたこともないメンバーであった。

後で判った事ですが、本作はウエスト・コーストで生れたフリージャズ・グループ‘NEW ART JAZZ ENSEMBLE’の第2作目。第1作目の‘SEEKING’をより完成度を高めた本作は、当時のエレクトリック・ジャズやクロスオーバー等々の台頭、アヴァンギャルド・ジャズの衰退等、混迷の時代に彗星の如く光り輝いている演奏であった。アブストラクトなカーターのサックスとクラリネット、そした、透明感溢れる美しいトーンのブラッドフォードのtp、二人のスポンティニアスなリズムセクションから描き出される世界はナイーブで、静かにエキサイティングです。

 

 

すぐにレコード店に行って捜してみても何処にも無かった(いや、正確には誰も知らなかった)が、その年のSJ誌の7or8号のディスク・レヴューに本作(直輸入盤)が紹介されて、最高の五つ星の評価を受けていた。ヤッパリなぁ、良いものは誰が聴いてもイイよなー、と言いながら買い求めました。しかし、その年のSJ誌主催の‘ジャズ・ディスク大賞’で、本作は候補作品にノミネートさえもされなかったので、自分の耳はタコだったのか、と落ち込んでいましたが、どうでもいいようなレコードがノミネートされており、釈然としませんでした。

だから、釈然としない気持ちが吹っ切れたのは、自分の耳を託した見知らぬ若い女性が本作をストレートに受け入れてくれたこの時でした。

あの人は今でもきっとジャズを、そしてこのレコードを聴き続けてくれていると思う。

このレコードは僕とあの人だけの誰も知らない「名盤」かもしれない。」

 

 

今日、もう一人の存在を知りました。こんな嬉しい事はありません。

なお、何年か前にCDで再発された際、一度UPしてますが、やはり本作はLPで聴きたいですね。


DON CHERRY / COMPLETE COMMUNION & SYMPHONY FOR IMPROVISERS

2019-08-11 | ジャズ・tp

 

夏はボサノバと思っていたけれど、意外にニュー・ジャズとの相性が良い。

そこで、D・チェリーの作品を二枚。

一枚はBN第一作目、チェリー、バルビエリ、グライムス、ブラックエルのカルテットによる”COMPLETE COMMUNION”(1965.12.24)

この手の演奏に抱く先入観、つまりラディカルさは全くと言っていいほど無く、グライムスの強靭なベース・ワーク、煽るような独特なブラックエルのドラミングをバックに、チェリーは後に「吟遊詩人」と形容される奔放なコルネットを既に垣間見せ、バルビエリも、後に人気を博した「フォークロア・フュージョン」とは異なり、適度に塩辛さを振りまくビターなtsを聴かせます。

片面それぞれ途切れのない四部構成の1曲(全てチェリーのオリジナル)ずつで、知らぬ間にサラッと聴き通してしまいます。

タイトル通り四人の「完全な交流」がものの見事に反映されているからでしょう。

 

もう一枚は第二作目の”SYMPHONY FOR IMPROVISERS”(1966.9.19)

こちらは、フリージャズの特徴でもあるコレクティヴ・インプロヴィゼーションを機軸にメンバー全員がソロを通じ次々に有機的に絡んでくる展開が完璧に浮き彫りされている。こちらもA面、B面、それぞれ4つの曲で構成され、継ぎ目なく連続演奏されていますが、一時の破綻もなく繰り広げられていく様は驚異としか言いようが有りません。本作も、一部のフリージャズ作品にありがちな騒音化した世界は無く サンダースののた打ち回るtsさえも納得のいくインプロヴィゼーションとして完全にチェリーの世界に同化されている。それもこれも、演奏者を強烈にプッシュするブラックウエルのパワフルなドラミングとグライムスの躍動感溢れるbに負う所が多い。

タイトル曲を含んだA面よりもマイナー調のメロディの”Manhattan Cry”から始まるB面の方が、どちらかと言えば好きです。一瞬、B・リトルを思わせるチェリーの哀感を漂わせたcorの後、C・テイラーを彷彿させる見事なベルガーのP、この後暫くして‘いかさま師’へ華麗に変身していくバルビエリの思わせたっぷりの‘ガトー劇場(激情)’からスタートするこのB面はトータルで20分間、‘フリージャズ’といった先入観を忘れさせるほどすばらしい出来映えです。

 

二作共、BNのレーベル・キャラクターの枠内で、「表現の自由」を高らかに謳っている。だから聴くすべての人達から共感を得られるのだろう。