jazz and freedom and avenger

勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

JAZZ OF TWO CITIES ・・・・・ WARNE MARSH

2021-09-25 | ジャズ・ts

 

マーシュの初リーダー作。録音当時(1956年)、ウエスト・コーストで活躍していたマーシュが同じトリスターノ派のts奏者、T・ブラウンと2テナーのレギュラー・コンボで吹き込んだ名作、否、傑作ですね。

ウエスト・コーストというと、どうしてもアレンジ中心をイメージしがちですがが、本作は実にスリリングに仕上がっている。つまり、マーシュとブラウンの「鍔迫り合い」、そしてボールのメリハリのあるPが有機的に絡み合うのだ。このあたり、同じ2テナーの「A&Z」とは、やや趣を異にする。一般的なポピュラリティは「A&Z」の方が遥かに上だが、本作の2人の間に流れる「火花」、ここが聴き所でバラード、スロー、2曲でも然りである。「トリスターノ一派」という閉鎖的イメージを払拭するには、最適な一枚かもしれない。

それに今となっては、マーシュもブラウンも「幻のテナー」といわれ、特に、ブラウンは録音に恵まれず、その存在すら忘れられているかもしれない。そうした意味でも本作は非常に価値のある一作である。

本作での2人のテナーは、なかなか判り辛いが、ザックり言って、やや掠れ気味のトーンで、一音一音の間に変化を付けながら悠然と吹くのが、ブラウン、それに対し、一音一音の間が短く、フレージングが割りとフラットでアタックが鋭いのが、マーシュと思えば、そう間違いはないはずである。

全8曲、それぞれ完成度が高く、パーカーの得意曲‘Lover Man’、チャイコフスキー作品42の3「メロディ」の選曲も興味深い。

タイトル曲での真剣勝負さながらの緊張感もすばらしいが、聴きものは、ラスト曲‘Ⅰ Never Knew’。 この古いスタンダード・ナンバーを高速で飛ばし、ほんと、エキサイティングで、スリル満点。疑いもなくベスト・ヴァージョンの一つでしょう。

なお、本作の二ヶ月後、同じメンバーにA・ペッパーを加え、ブラウンをリーダーにして録音した“FREE WHEELING”があり、こちらも「幻の名盤」として知られる。

オリジナルの一部を加工した国内・初版盤?のカヴァで、結構、味が有ります。

 

 

”Bluespirits”(2004.12.27)


早過ぎるリーダー・ラスト作 ・・・・・ TROMPETA TOCCATA / KENNY DORHAM

2021-09-12 | ジャズ・tp

 

1972年12月5日、腎臓病を患っていたドーハムは騒がれることなく48才の短い生涯を終えた。口の悪い連中から「長持ちドーハム」と揶揄された割には早死にであった。だが、、本作を録音した64年、40才にしてドーハムは既にジャズ・ミュージシャンとしての生命に終止符を打っていたと言っても過言ではない。ええっ、と思うかもしれないが間違いなく本作がドーハムのリーダー作のラスト・アルバムである。残りの8年間はプレスティージ、ストラタ・イースト等へ数本、サイドマンとして参加しているにすぎない。

このマイルスの僅か2才、年上のビ・バップからの名トランペッターが何故、本作以後、突然こうした状況に陥らなければならなかったのか定かではないが、それなりの理由が有ったのだろう。しかし、少なくともジャズシーンの急激な変化に彼が置いてきぼりにされたという憶測は当たっていない。何故ならば、本作のドーハムの演奏からは、時代に乗り遅れ、立ちつくしている様子は微塵も感じられない。ただ、本作の暫く後、ドーハムはDB誌でディスク・レヴーを担当し、例えば、ある同じtp奏者のアルバムに3.5星を付け、その理由を聞かれると、ドーハムは”TROMPETA TOCCATA”が同じ3.5星だったので・・・・・・と会心の出来を高く評価されなかった悔しさを滲ませ、他にもかなり辛口の評を残している。憶測ですが、それがマイナスに働いたかもしれません。ある意味、相反する立場を一人二役で熟すのは、そもそも無理が有ったのではないか。

それは兎も角、この”TROMPETA TOCCATA”はドーハムの約20年に亘るバップ・トランペッターとして最後の力を振り絞った命懸けの作品であったのではないかと思います。勿論、後付け論法ですが、この後の8年間のドーハムの姿を見るとそう思わざるを得ない。

かなりの好評を得た前作「ウナ・マス」に続く本作は全4曲、名演、しかも名曲揃いです。リーダーだけでなくサイドメンも素晴らしいプレイを聴かせ、タイトル曲でのトミフラは聴き手の予測を超えるミステリアスなソロを展開し、聴きものです。
しかし、何といってもラストナンバーの‘The Fox’がハイライト。ここでのドーハムはまるでこれがリーダー作として最後のプレイと予知していたかの如き美しくも激しく燃え尽きる 。
恩人とも言えるドーハムの心情を察知したのか、ジョー・ヘンダーソンがこれまた畢生の名ソロを展開する。聴き終えた後、なんだか目頭が熱くなってきます。

あまり話題に上ることのない本作はトランペッター・ドーハムの実力を見事に凝縮している。

1964. 9. 4

 

”Bluespirits”(2004. 2. 23)


似て非なるもの ・・・・・ MARINCO 電源プラグ

2021-09-05 | お遊びオーディオ

 

ワン・コイン(500円)で新たに右側のボディがスケルトンのMARINCOのプラグを入手。左側は既に所有しているブラック・タイプ。

今まで気が付かなかった、或いは忘れたのか、所有しているブラックはホスピタル・グレードの〇マークもレタリングのないスタンダード・グレード、一方、スケルトンはきちんと両方ありますね。

二つの造り自体はボディの形状からブレードの厚み、非メッキ等々、外見上全く同じで、どこがどう違うか、正直分からない。勿論、モデル・ナンバーも同一の81290。

その昔、ブラックは効果を期待して、別にクライオ処理したものの逆に味気ない音になり、「お蔵入り」したままで、両者の違いがどう出るのか?興味が湧きました。

ケーブル本体はSAECの6Nもの、IECコネクターはAPIの完成ケーブルを分解したものを流用。

 

 

このホスピタル・グレード・MARINCO(スケルトン)はスタンダードものとは、やはり別物ですね。

パワー・アンプに繋ぎいた所、レンジが広がり、特に高域がナチュラルに伸びている。でも、構造上、どこがどう違うのだろう、不思議です。

これだから電源遊びは止められない。

 

 

 

 

 

 


遅れ馳せながら追悼を ・・・・・STANLEY COWELL

2021-09-01 | ジャズ・p

STRATA-EAST SES 19743

1973.12.10&11

その昔、都会のビルとビルの谷間、昼間でも光が差し込まず、稀にすれ違う人の顔さえ分り難いほど暗くて細長い路地奥に‘グッドマン’というジャズ喫茶があった。
5、6人も入れば酸欠状態になるほど、ひょっとしたら、日本で一番小さかったかもしれない。

狭いが故にSPは天井にぶら下がったように壁面の上部に取り付けられていた。イギリスの‘LOWTHER’(ローサー)というバックロードホーン方式のスピーカーで、当時、オーディオ通の間で、このSPの性能を100%引き出すのは、なかなか手強いと、ちょっと評判のものでした。

乾いた音なのに、彫が深く陰影に富み、音量の大小に関わらず楽器のエッジは崩れなかった。アンプは記憶違いでなければ、たしか、ラックスの球だったと思います。

冬の寒いある日の午後、ぶらっと寄った。扉を開けると、正面に一人の男が座っていて、サングラスに長髪、顎鬚を伸ばしていた。一見、芸術家タイプに思えた。斜め前に座って暫くすると、本作がかかった。内容の良さは知っていたが、ジャズ喫茶で聴くのは初めて。暫くして、いつも自分の部屋で聴くカウエルとはちょっと違う事に気が付いた。

ピアノの一音一音が、アラベスク・タッチのカヴァのように色彩感に満ち、壁に乱反射し空間を埋め尽くし始めた。三曲目の‘Prayer for Peace’に入り、不意に甘いメロディの後、テンションを徐々に高めていくカウエルのpに脳細胞の一つ一つがカラーリングされていくような錯覚に陥った。

針がアップされ、一瞬の静寂後、男がフッーと息を小さく吐き、「ええなぁ~」と低く呟いた。そして、扉の向こうへ消えていった。この男がリクエストしたのだろうか?

次のレコードに替えられるまで、僕はこの印象的なカヴァの顎髭のラインが架かった左手の微妙な角度と指先をじっと眺めていると、まるで催眠術にかかったように急に睡魔に襲われ眠ってしまったのだ。

ふと我に返ると、かなりの時間が経っていて、慌てて外へ出ると、真っ暗な路地を隙間風がピュー、ピューと吹き抜け、その音に交じって「ええなぁ~」という声がビルとビルの間に「こだま」していた。
 
その時から、この作品は、グッドマン、ローサー、そしてカウエルが三位一体となった忘れられない「一枚」となった。

 

HP”Bluespirits(2008. 11. 2より加筆転載)

 

レコーディング・デヴューした”WHY NOT / MARION BROWN”(ESP ・1966年)

 

MUSIC INC.の実質的1st盤 ”THE RINGER / CHARLES TOLLIVER”(POLYDOR・1969年)

 

この二枚でCOWELLの魅力にぞっこん惚れ込み、嵌りました。

2009年1月、C・トリヴァーのビッグ・バンドで来日し、ライブ・ハウス”STAR EYES”(名古屋・覚王山)で元気な姿を見せ、素晴らしいプレイを聴かせてくれました。

最高の思い出です。

 

2020.12.17  天に召される。享年79。

R.I.P. STANLEY COWELL