jazz and freedom and avenger

勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

遅すぎる春がやっと視界に ・・・THE MOONTRANE / WOODY SHAW

2024-08-25 | Portrait of Woody Shaw

 

西海岸での数年間の生活を終え、心機一転、再び東海岸にその活躍の場を求めたショーは、73年にジョー・フィールズによって設立された新興レーベル「ミューズ」から新録を発表した。

コンテポラリーの先2作は、例えるならば、何処かしこ研究論文の発表のような堅苦しさが見え隠れしたけれど、JM、ハッチャーソンのコンボ(LIVE AT MONTREUXでの白熱のプレイが聴きもの)での経験を経て、また、プロデューサー、カスクーナのアドバイスも大きいと思うが、レコードと言う商業メデイアの側面を理解し、ハード・バップを基調に、コンガ、パーカッションを加え、色彩感と時代性を織り交ぜながら、己の存在を主張している。

本作の聴き所は、ショーのtpの吹き方の変化で、力み、突っ張りが影を潜め、スムーズで柔らかなソロ・ワークが前面に出始め、表現力の巾が増している。その好例がショーのオリジナル、妻に捧げた‘Katrina Ballerrina’、しなやかなtpプレイに愛の深さ(当時の)が覗く。

18才の時に作曲したというコルトレーンに捧げたタイトル曲”Moontrane”と天を仰ぐショーのポーズが妙に重なるこの作品、やや新鮮さに欠けるが、仕切り直しという意味ではショーにとって意義のあったアルバムではないでしょうか。このポーズ、後年、リリースされたコルトレーンの‘STELLER REGIONS’とそっくりです。

 

 

本作は当時、ジャズ喫茶でもよくかかり、ショーの認知度も上がるきっかけとなり、その頃、ショーは既に30才になっていたが、「遅すぎる春」がやっと視界に入ってきた。


ちょうど今がピーク ・・・ RIGHT NOW!/ JACKIE McLEAN

2024-08-18 | Aggressive Voyage of Jackie McLean

 

 

京都、四条河原町から八坂神社方面へ向かって行くと四条大橋の手前に高瀬川に架かる四条小橋がある。川に沿ってほんのちょっと上がると、その昔、名曲喫茶「ミューズ」があり、その左横辺りの路地に「ダウンビート」があった。うなぎの寝床のように細長く、左サイドにカウンターが奥まで続き、場所柄からしてジャズ喫茶というよりジャズ・バーと言った雰囲気が強かった。

まだジャズを聴き始めて間もない頃、初めてそこを訪れた時、入口のすぐ左の新入荷コーナーに本作が飾ってあり、”LET FREEDOM RING”の演奏に衝撃を受けていたばかりの僕は躊躇することなくリクエストした。イントロなしにいきなり、asとは思えぬ迫力あるトーンで鋭く吹き始めるマクリーンにまたしても強烈なパンチを喰らった。必死にマクリーンのソロを追いかけているうち、まるで自分が灼熱の砂漠をラクダに乗り先陣をきって疾走する「アラビアのロレンス」(映画)にでもなったかのような高揚した爽快感に包まれ、二曲目がどんな演奏だったか全く記憶がなかった。まぁ、とにかく、躍動感溢れるマクリーンのasに又しても圧倒されたのだ。

本作はマクリーンの数ある作品の中でもA面、B面、各2曲で構成された異色のワンホーン・カルテットで重量感あるtsでもこうした構成はあまり多くなく、本作の充実度、テンションは高い。しかし、僕の思い過ごしかもしれないが、「ハード・バップ」ジャッキーに人気が集まり、巷では冷遇されているようだ。

だが、マクリーンの音楽的ピークは好むと好まざると間違いなく、”RIGHT NOW”、ちょうどこの時期(1965.01.29録音)なんです。
本作の2曲目”Poor Eric”では、彼の人気の秘密とも言える「青春の甘酸っぱさ」など微塵もなく、クランショーのボーイングも効果的に利き、深く掘り下げられた哀悼の意はかってないほどの表現力を帯びている。また、B面では、コールマン、コルトレーンの影響がモロに出ている部分が垣間見えるが、「変わらずして変わる」といった矛盾を背負いながらも、果敢に攻め続ける姿は、聴く者の胸に響いてくる。ダウンビートに行く度にリクエストし、ここで聴く”RIGHT NOW!”はいつも格別だった。

 

「ダウンビート」から少し上がった所に「ブルーノート」があり、ある時、「(学生は)もっと明るい時においで」と窘められ慌てて外に出ると、空はすっかり暮れていた。あの頃、全くの世間知らずでした。

 


遅過ぎる初リーダー作は異例の二枚組 ・・・・・ BLACKSTONE LEGACY / WOODY SHAW

2024-08-13 | Portrait of Woody Shaw

 

1970年9月、ショーはJ・ヘンダーソンのグループの一員として、カルフォルニアのハーモサ・ビーチにある「The Lighthouse Cafe」で演奏し、ライブ・レコーディング(JOE HENDERSON QUINTET at The Lighthouse(Milestone 9028)を残している。その時、偶々ライブを聴きに来ていたコンテンポラリー・レコードのレスター・ケーニッヒの息子、ジョンと言葉を交わす機会が有り、ショーがまだ、リーダー作に恵まれていないことを知ったジョンは父親に進言し、その年の12月に録音が実現した。

「遅すぎる」を証明するかのようにショーの公式初リーダー作は、翌71年に異例の二枚組みで発表された。意外にもロサンゼルスのコンテンポラリー・レコードのスタジオではなく、録音はNYで行われている。最新の空気を取り入れたかったのか、メンバーの調整からだろうか。

曲によってケイブルスはエレクトリック・ピアノを弾き、当時のトレンドを取り入れているものの、6曲中2曲がLPの片面全部を占め、しかも全曲、ショーとケイブルスのオリジナルで構成された至ってハードでコアな力作と言っていいだろう。しかしながら、作風が真面目過ぎたのか、時代が悪すぎたのか、当時、殆ど話題にも上らず、そのまま時代の変遷に埋もれてしまった感がある。


ただ、生存中はもとより死後の今なお「不当評価」に甘んじているショーの真摯なジャズ・スピリットは既にこの初リーダー作で全開している。時折、描いているイメージにテクニックが追い付いていない一本調子な部分が散見されるものの、荒削りながら溢れ出る「覇気」が全てをかき消している。今の時代、これほどの「覇気」を感ずる初リーダー作は出てくるだろうか。

そうなれば、二作目、”SONG OF SONGS”はある意味で期待の度が大きくなるというもの。こちらはロサンゼルスのコンテンポラリー・レコードのスタジオで録音されている。だが、この小難しい表情が示すように理屈ぽい演奏に? 少し前、ジャズ・メッセンジャーズで吹き込んだ‘CHILD’S DANCE’の”C.C.”で聴かせる目の覚めるようなプレイは何処へいってしまったのだろう。

全4曲、すべてショーのオリジナルで占められ、その意欲は解らないワケではない。ここでも、エレピが入った曲があり時代性を反映しているものの、全体に60年代半ばのBNの新主流派、しかも、フリー、アヴァンギャルド寄りの匂いが残っていて、時代に抗う部分が気になります。ただ、50年の時を経て改めて聴き直すと頑なに自己のスタイルを徹そうとする姿勢に一種の清々しさを覚える。

 

ある廃盤レコード屋(Net)で結構な値段を付けていた。当時、世間、市場から無視された分、RAREなんでしょう。


シングル・モルトのハイボール・・・ NIGHT LIGHTS / GERRY MULLIGAN

2024-08-04 | ジャズ・その他sax等

 

猛暑越えの酷暑が当たり前になった今日この頃、眼にも耳にも涼しさを感じる一枚を。

マリガンの作品群の中で果たしてこのアルバムがどのような位置付けされているか、定かでありませんが、少なくとも、最も人気がある作品の一枚であることに違いないでしょう。ボサノバ・ナンバーを取り入れたり、日本人好みの知性派メンバー、つまり、バカ騒ぎしない連中のみで固めたソフィスティケートな演奏が大きな魅力となっている。
また、1973年~当時、「こんばんは、・・・・・・・でございます」で始まるラジオの深夜ジャズ番組で、本アルバムのB-1、ショパン作の‘Prelude In E Miner’がテーマ曲として使われた事にも因るでしょう。カヴァの雰囲気も好評で「夜の定盤」という称号まで得たようです。
そうしたイメージ先行の中で聴くタイトル曲に於けるマリガンのイントロ・ピアノは些か少女趣味的にも拘わらず、ポジティブに語られ過ぎているような気がします。
ただ、マリガンのそれまでのキャリアと時代の変化にシンクロさせた作品と捉えれば、それほどネガティヴに聴くまでもありません。
 
B面のマリガンのオリジナル、2曲に彼の本質が窺え、バリトン・サックスの第一人者、そして有能なアレンジャーとしての強かさと矜持を保っている。仄かな哀愁が漂う‘FESTVE MINOR’が大好きです。
ブルックマイヤーのバルブ・トロンボーンは昔から野暮ったい、とか、人畜無害というイメージで語られ勝ちですが、本作での実直なプレイはなかなかどうして、妙に無くてはならない存在に聴こえる。

それから「録音」の良さ。たまたまモノラル盤で聴いていますが、ナチュラルで、管楽器の芯のある「音」は特筆もの。取分け、五、六分の力で吹くマリガンの掠るようで、輪郭がボケないバリトンの「音色」が出色です。

 

 

まだ明るさが残る薄暮、窓を目一杯開け露天気分で一風呂。上がりに氷をぎっしり詰めた「余市」をウィルキンソンで割り、針を降ろせば、熱暑は夕闇の空へ。