jazz and freedom and avenger

勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

過去は戻らず、「昭和」がまた一つ ・・・・・

2025-01-17 | 日記・エッセイ・コラム

 

朝の7時半過ぎ、朝チャリで高速道路のガード下を潜り、少しカーブするといきなり解体現場が目に飛び込んできた。昔の建物の名残りはもう無い。以前と言っても、かなりだが時々、通っていたカフェがあった。ヨーロッパの山荘をイメージした外観と落ち着いたインテリアが気に入っていた。通勤途中らしき若い女性が通りすがりにスマホで撮り出した。何なんだろう?彼女もこの店に通った一人だったのだろう。

半年ほど前、久し振りに前を通った際、駐車場に車はなく、店内も灯りが点かず、入り口に随分黄ばんだ紙が貼ってあったので、いずれこうなるだろうと予測していたけれど・・・・・。裏に回ってみた。

 

今日も重機が遠慮なく破壊していくだろう。がれきの山が現実だ。フードを被った工事に携わるお兄ちゃんが一人現れたので、あまり期待せず「この跡はどうなるのですか」と尋ねると、片言の頓珍漢な日本語が返ってきた。

 

二年ほど前まではこんなカフェだった。開店して40年が経つそうで、逆算すると昭和~平成~令和の三代に渡り平成時代が一番長いけれど、自分の感覚では昭和の香り、そのものです。そして、また一つ姿を消した。

 

解体=新陳代謝、と言うけれど「寂しさ」は消えないなぁ。


2025・新春 名古屋城 とその界隈(そのⅡ)& 米津玄師 NHK紅白パフォーマンス

2025-01-08 | 日記・エッセイ・コラム

 

名古屋城から車で数分の所にかって尾張藩士の屋敷が並んでいた一画(白壁町、主税町、橦木町)が「文化のみち」として整備されている。歴史、由緒ある建造物等々が保存され見学もできます。上は「旧豊田佐助(佐吉の弟)邸」でこの日(5日)、開館していました。

 

こちらの一見、和洋ハイブリッドの建物は結婚式場のようで知りませんでした。この地区は高級マンションもかなり建ち、セレブの雰囲気が漂っていますね。

 

この一画から道路を挟んだ所に昨年の朝ドラ「虎に翼」のロケ地になった名古屋市政資料館(国の重要文化財、大正12年建設、旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎)があります。

 

この階段に見覚えは?

 

そう、大晦日の夜、NHK紅白で米津玄師が突如、現れた階段です。ステンドガラス、大理石等々がコテコテにならず、秘めた格調、重厚さを演出している見事な空間です。それにしても米津玄師のサプライズ ・パフォーマンスに暫し魅入られました。

一昨年7月に記事Upした時点では、まさかこうして繋がっていくとは想像もつきませんでした。今年は「いい年」になりそうです、何となく(笑)。


2025・新春 名古屋城とその界隈(そのⅠ)

2025-01-06 | 日記・エッセイ・コラム

 

名古屋駅近くに所用で出かけたついでに名古屋城に寄ってみた。二年前にも行っているので単に車で堀の周りをぐるっとするつもりでしたが、旧キャッスル・ホテルの建て替えが進み、今年の10月にオープンする情報も得ていた。石垣の台座が強調された城郭風の建物が眼に飛び込んできました。上層部分は従来の重厚なホテルと言うより、リゾート・マンションのイメージが濃いです。下から見上げると石垣の存在感がグッと増します。なお、左の小さな城のような建物は西北隅櫓です。

 

 

 

Uターンして帰ろうとした瞬間、見なくても良い(笑)天守が目に入ってしまった。時計の針はまだ、正午を少し回ったばかり、時間は十分有ります。もう入場するしかありませんね。

 

 

正門の「門松」。江戸時代の名古屋城の記録書「金城温故録」に記載されてる「かど松」を参考にしている。左右の二つを撮りたかったのですが入出の方々が多く、片方だけになりました。思いの外、質実でした。

 

本丸御殿と重なるアングルです。

 

 

延床面積は4,424㎡と日本一、高さも本体だけなら大阪城ですが、石垣の台座を含め、一体ならば名古屋城が最高(55.6m)で、旧国宝・城郭第一号(消失前の木造)の名に相応しい城ですね。

 

 

慶長17年(1612年)に天守が竣工し、1945年、米軍空襲により天守等々が消失したけれど、1959年に再建されました。見る度にその迫力に感嘆します。西の守りの要として築城された名古屋城、徳川家の威信そのものですね。

 

 

特別公開されていた重要文化財「西南隅櫓」からの眺め、名古屋駅前の高層ビル群です。

 

 

現在、耐震性や木造再建について、色々な問題が複雑に絡み、見通しが立たないまま天守は閉館中です。一日も早い再建が待たれます。もう一度、あの天守から眼下に広がる景色を見たいです。


現代の恐竜「コモド ドラゴン」

2024-12-29 | 日記・エッセイ・コラム

 

インドネシア・コモド島などに生息する「コモド ドラゴン」。7月にシンガポールの動物園から名古屋市東山動物園にやってきた「タロウ」です。

正式名は「コモド オオトカゲ」ですが世界的には「コモド ドラゴン」と呼ばれ、爬虫類の一種で「現代の恐竜」とも言われている。絶滅危惧種の一つで、寿命は30~40才、「タロウ」は年齢は13才、体長は2.7m、体重は50㎏です。

 

 

 

 

 

 

元旦に東京から孫(2歳)がやって来て、翌日、「コモド ドラゴン」を見に行く予定ですが、ひょっとして混雑し、よいポジションを得られないかもしれないので、先日、予備知識を得に「前撮り」してきました。スムーズに見れましたが、今でも土日祝日は行列が出来るようです。かなり獰猛ですが、なかなか愛嬌のある表情をしていますよ(笑)。

年の瀬も押し詰まってきました。今年一年、訪問して頂いた方々、リアクションして頂いた方々、コメントして頂いた方々、ありがとうございました。

皆さん、良い年をお迎えください。


本場・月島もんじゃ「くうや」IN NAGOYA

2024-12-25 | 日記・エッセイ・コラム

先日、栄のTV塔界隈をぶらついていたら、もんじゃ焼きの店があるのに気が付いた。パッと見て店の造りはパスタ、或いはカフェ& スイーツのイメージが濃く、今まで気が付かなかったようだ。前から本場・月島に行こうと思っていたので、好都合、日を改めて出掛けた。

平日の午後2時過ぎですが、満席でフルオープンの窓際の席がちょうど空いたばかり。外はかなり冷え込んでいたので躊躇したけれど「ブランケットをご用意します」の一声で決めた。中はギャルで一杯、店員さんは飛び回っているよ。今までのもんじゃ焼きのイメージが完全に崩れた(笑)。名古屋ではもんじゃ焼きはそれほどポピュラーなメニューではなかったけれど・・・・・。

角度のないヘラの使い方に慣れず食べにくかったなぁ。

 

 

それにしても、名古屋のギャルは元気がいい、この界隈のどの店もいっぱいだよ。土、日はもとより、年末年始はどんな様相になるのだろう。

今度、月島ストリートの「昭和レトロ」の店に行こう。


家内のバースデー祝い ・・・・・中国飯店 麗穂

2024-09-22 | 日記・エッセイ・コラム

 

この暑さ、先延ばししていた家内のバースデー祝いを済ませました。名古屋駅前のミッドランド・スクエア 41Fの中国飯店「麗穂」。

初めてでしたが、ゆったりした空間の中、上海と広東が融合した創作中華を楽しみました。

ウリと海老のあっさり炒めです。ひんやりして美味しいです。

 

デザート(マンゴー)の演出です。久し振りにオルゴールを聞きました。

 

眺望が一番良い席を用意して頂きました。左のやや上方の森が見える所が名古屋城です。やや右手奥、遠くに薄っすらと見える山は恵那山(百名山)でしょうか。スマホで撮っているのでボケ気味です。

 

ミッドランドへの半地下連絡通路のドライミスト、気分的にも、ヴィジュアル的にも涼感が得られますね。

 

 

「今までで一番、口に合っている」とのお言葉を(笑)頂きました。やれやれ 😥


ブレイク前の「名もなき池(通称:モネの池)」

2024-07-22 | 日記・エッセイ・コラム

 

前回、「鰻 木屋」の壁に掛けてあった絵、「モネの池」について。

この写真はブレイクする前に撮ったそれこそ「名もなき池」時代のワン・ショット。10年近く前、たまたま、板取川(岐阜県長良川の支流)の上流にある秘湯の宿へ出掛けた際に道路サイドの花苗直販売場に立ち寄った。裏の僅かな駐車スペースに車を止め、近くをブラブラしていると、小さな池を見つけた。その時は「睡蓮(すいれん)」なのか「蓮(はす)」なのか、知らなかったけれど、兎に角、どこまでも透き通った異様な透明度に驚いた。また、茎の間を優雅に泳ぐ錦鯉にも魅せられた。

その一年後、TVの地方版ニュースの中で見覚えがある「池」の映像が流れた。そして、誰が名付けたのか? 「名もなき池」が瞬く間に「モネの池」として全国に広まった。人気絶頂時のG・W期間中など、一本道のR256は15㎞の大渋滞になったとか、ま、ネーミングの勝利ですね。

写真を何枚か、撮ったけれど、この一枚だけ残し他は全て消去していた。まさか、こんなにブームになるとは思いませんでしたから。残しておけば良かったなぁ(笑)。

後になって、いろいろな写真や絵がNetに上がっていますが、「名もなき池」時代と随分、様変わりし、冷静な意見も現れている。ブームなんてそんなものです。


知られざる老舗 ・・・鰻 木屋(きや)

2024-07-14 | 日記・エッセイ・コラム

 

今年も土用の丑の日(24日)が近づいてきました。年々、鰻料理は高くなり、庶民の口から遠ざかっていきますが、せめて年に一度はと、混み合う前に行ってまいりました。名古屋で鰻と言えば、「あつた 蓬莱軒」が泣く子も黙る絶対的存在で、「いば昇(錦)」、「しら河」、それからミシュランに掲載され東京・有楽町にも進出し、最近、富に人気を博している「うな富士」等々、多士済々ですが、今回は知る人ぞ知る老舗中の老舗「木屋(きや)」へ。創業はなんと幕末ですが、一般的なポピュラリティはほとんどありません。そのワケは営業時間が月~土の11:30~13:30のランチ・タイムだけと言う頑固さと、以前、予約は取らなった不愛想さ(笑)でしょうか。Netで確認すると、いつの間にか予約がOKとなり、少ないけれど駐車場も有り、早速、行ってきました。実は初めてなんです。

何となく、昭和食堂を連想させる入り口です。酷暑のせいか、飛び込み客はいなく予約だけ?で行列は出来ていませんでした。では、入りましょう。

 

カミさんは櫃まぶしを、自分は定石通り鰻丼を。脂がしっかり乗った身に濃口のタレ、そして皮のパリパリ感が素朴ながら小細工なく口の中に広がります。男好みです。武骨派ですね。客に阿(おもね)る事はない。

 

 

壁に目を遣ると、朝ドラ「虎に翼」の主演女優、伊藤沙莉さんの色紙が飾ってありました。すぐ目の前が撮影ロケで使われた名古屋市市政資料館なんです。

そして右の絵はちょっとしたブームを沸き起こした「名もなき池・通称、モネの池」です。

 

         

 

昭和初期から開いているとなりのうどん屋のレトロ感も良いですね。よく見ると、うどん、きしめん、そば、かつ丼、天丼 ・・・・・、何でもありではありませんか!間違いなく美味しいですね、この暑さのなか満席ですから。

 

 

店のすぐ裏は名古屋城の外堀です。今では夏草で覆われていますが、昔、名古屋鉄道・瀬戸線が走っていました。面影は全くありませんけれど。

 

 

朝ドラの撮影ロケとなった名古屋市市政資料館です。この建物は、大正11年(1922年)に建築され、現存する我が国最古の控訴院建築として国の重要文化財「旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎」を保存している。赤いレンガと白の花崗岩から成るネオ・バロック様式の外観は荘重で華やかさを湛えています。

 

 

「名古屋市市政資料館」の内部と「うな富士 白壁別邸」について、昨年の7月に記事をアップしていますので、暇つぶしに寄り道でも。


一瞬の躊躇い ・・・・・ 未完の情景

2024-07-11 | 日記・エッセイ・コラム

 

時々、チャリで通る坂道がある。勾配が急なので、降りて歩いている。ある朝、途中の空手道場の前で母親と女園児二人が追いかけっこして遊んでいた。何とも微笑ましい情景を記録に残したいと思ったけれど、果たして、了承も得ず撮ってもいいのか、逡巡した。一瞬、母親と眼が合い、「おはようございます」と言っているような気がした。後で了解を得れば、と慌てて自転車のスタンドを立て、スマホをポケットから取り出そうとしたが、その日に限ってポシェットに入れていて、手間取った。

さぁ、と思ったその時、幼稚園の送迎バスが間に割って入ってきた! あぁ・・・、後ろの絵看板と微笑ましい情景の妙なギャップをごく自然に撮りたかったのに。

あれから、半年、時々、同じ時間帯に登っているけれど、未完のまま。でも、あの情景は蘇る。

シャッター・チャンスはそう来ない、常に心の準備を、ですね。写真家でもないのに(笑)。


日経「何でもランキング」1位・・・・・「清岸寺庭園」(滋賀県米原市)

2024-05-20 | 日記・エッセイ・コラム

 

5月18日(土)の日経「何でもランキング」を観てビックリした。「静けさめでる雨の庭園」の1位に「清岸寺庭園」(滋賀県米原市)が選ばれていた。選出ポイントを挙げると「天気により姿を変える幻想的な庭が首位に選ばれた。普段は白砂の代わりに苔で海を表現した枯れ山水庭園。しかし梅雨なので雨が続くと伏流水が染み出し、池泉庭園に変身する。江戸時代の庭としては珍し仕組みだ。」とする。7人の専門家のうち4人が首位に入れるほど圧倒的な支持を集めている。

実は昨年の10月に初めて訪れており、その素晴らしさに驚き、記事をUP(10/13)していたのです。そもそもここを訪れた動機は寺内の茶寮「喫茶去(こ)」でしたから、浅学の恥をモロに掻いたワケです。写真のみ再掲しておきます。興味のある方は本記事を。

 

 

 

本物は時間と空間を越え、初めてでも人の心を打ちますね。