些か旧聞に属する話を。昨年の12/5に表題の特別番組が放映された。
この状況下、「ベイシー」が3月から休業状態で、また、延期されていた映画「ジャズ喫茶 ベイシー」が秋に公開されていた事を初めて知りました。残念ながら見逃がしています。
かれこれ20年ほど前、友人二人と東北地方の旅に出かけた際、一関まで足を延ばした。幸い「ベイシー」はオープンしており菅原氏に直々、注文を受けコーヒーを運んでいただいた。後から知った事ですが、ベイシーでは、それが流儀だそうです。
旅の途中、宿の女将さん、観光地の土産屋のおばちゃん達まで「ベイシー」の名を知っていて、その存在、知名度は平泉の中尊寺と肩を並べるほどの大きさに驚いた。一関の街では若い女性に場所を尋ねると、にっこり笑って丁寧に教えて下さった。
噂の「音」に関しては、もう菅原サウンドですね。決して耳当りが柔らかい、心地良い音ではなく、陳腐な表現ですが、まるで演奏者の魂がバンバン飛び掛かってくる感覚を覚える。平時モードではなく戦闘モードを求められますね。
今まで何人か「ベイシー」を訪れたオーディオ、ジャズ・ファンの方達にその「音」について話を耳にしましたが、皆、ネガティヴな内容ばかりでした。「疲れる」、「耳に突き刺さる、痛い」、「デリケートさに欠ける」等々、中には「観光スポットになっているので、一番良く聴こえるレコードばかり掛けている」とか、散々です。
番組の中で菅原氏は「絵は聴くもの、音は見るもの」と言われている。恐らく、ある境地にならないと「ベイシー」の音は解らないのだろう。
菅原氏の著作の一つにその件について、写真家・十文字美信さんの言葉(名著「澄み透った闇」の中)に触発された模様が書かれている(P40)。
レコードを上手く鳴らすには手間暇がかかるが、その分受ける感動も大きいと、ありふれた言い回しに確かな説得力があります。
「レコードを奏でる男」が所蔵する6万枚の中から、ずっと長く愛して聴き続けているLPが紹介されている。もっとマニアックなものかと、思ったら意外にもこの2枚だった。凡人はカッコを付けたがるけれど、うぅ~ん、やはり素晴らしいパーソナリティの持ち主ですね。
「カリスマ」とはこういう男を指すのだろう。