難解、と言っても、内容がフリー、アヴァンギャルドとか政治色、或いは主義、主張の発信等々の意味ではなく、作品自体の成立ちの話なので自分だけが感ずるものかもしれない。
ムード・テナーを連想させるカヴァとポップ系を含んだスタンダード10曲となれば、いくらロリンズと雖も大方の予想は立ちます。でも、裏はそう単純ではない。
本アルバムは高ギャラの代りに2年間に6作を録音するというRCAとのハード・スケジュールな契約の最終作で、それまでのセールス上の経緯から穿った見方をすれば「一発逆転狙い」、反対に「消化作」の側面を感じないわけではないけれど、それはそれで良しという聴き方が有っても不思議ではありません。
前5作はそれぞれ妙味があり、好きな作品群ですが、本作だけは、ずっと腑に落ちないまま過ごしてきたのでそろそろ決着を。
フランスのRCAからリリースされたCD(↑)には後に「アフター・ ザ・ ブリッジ」の中で日の目を見た未収録3曲がプラスされ全13曲になっている。この仏盤CDには腑に落ちなかった点を朧気ながら解き明かす手掛かりがある。
1964年6~7月に掛け6日間も収録日に当て、TAKE数も少なくとも49(実際は恐らく100以上?)、そしてテイクを繋ぎ合わせた編集等のデータがクレジットされている。
録音はRCA自社のスタジオなので許されるけれど(笑)、最終的に1曲しか収録していない日が2日もある。しかも、内1曲”I’ll Be Seeing You”の演奏時間は1:36!
最多のTAKE数は”Long Ago”(2:47)の10。繋ぎ合わせテープ編集はオリジナルで1曲、未発表で2曲です。
また、曲数を増やす、と言う上層部の指示?方針?に反し”Trav'lin' Light”の未発表ヴァージョンは12:44まで伸ばし、オリジナルは半分以下の4:06でフェード・アウトさせている。
サイドのソロは最小限に抑えられ、ハンコック(p)にしてみれば「オレは何のために呼ばれたのだろう?」と思ったに違いない。
不可解を通り越し、もう頭がくらくらしますね(笑)。サイド・メンもさぞ疲れたでしょう。
ロリンズとプロデューサー、G・アヴァキャンは、「実を捨てて名を取る」作戦に最大級の精力を注いだと言っていいのではないか。陳腐とも思えるカヴァは計算ずくで、まるで神謀のようだ。
やっと、自分なりに腑に落ちた。