jazz and freedom and avenger

勝手気ままな戯事日記 暇つぶしに・・・・

㊙愛聴盤 ・・・・・LIVE AT DONTE'S Vol.1 / ART PEPPER

2024-06-18 | ジャズ・as

 

 

本作はレコード上、リーダー作として60年の‘INTENSITY’から75年の劇的なカムバック作‘LIVING REGEND’までの15年間に及ぶ空白を埋める貴重な音源(64年の‘IN SAN FRANCUSICOとともに)。録音エンジニア、ジョージ・ジャーマンによってプライベート録音されたテープをフレッシュ・サウンドが買取り、1987年、オリジナル・リリースしたもの。Vol.1、2がある。ライナー・ノーツは社長のジョルディ・プジョル氏自ら、ペッパー及び本作への思いの深さをリア・カヴァ一面、文字サイズを小さくしてびっしり書き綴っている。

世界で一番、ペッパー・ファンが多いのではないか、と思われるわが国での反応はどうかといえば、これが実に冷淡である。例えば、あるものの本に「良好とは言えない録音状態のCDで聴くのは辛い。ペッパーもロマーノも決して好調とはいえない。」と軽くあしらわれ、それが原因なのか、寂しいことに誰も寄り付かない空白の一枚になっている。70年代後期、突如沸き上がったあの論争(前期 VS.後期)は一体、なんだったのだろう。論争が一段落し、ペッパーの死後に発表されたとはいえ、前期派、後期派、双方にとって、まるで「ジ・アンタッチャブル」物のようだ。
自分はCDを聴いていないので、その「音」について解らないが、このアナログ盤を聴く限り、調律がやや狂っている?ピアノを除けば、少なくともペッパーのas、ロマノのtsの「音」に関して何ら不満はなく、プライベート録音によるライヴものとしては上々ではないでしょうか。CDの音が悪いからと言って一方的に演奏まで悪いと決め付けるのは軽率ではないかなぁ。多分、前期派に多い先入観に基づき、碌に聴かないでレヴューしたのだろう。


さぁ、内容ですが、驚く勿れ!偏った寸評に惑わされず、梅雨空の下、窓を開け放し隣近所の迷惑を省みず、vol.1のB面、‘Lover Come Back To Me’を大音量で聴け!
たとえ怒鳴り込まれても気にすることなど無い、いつの日か、「あの曲は?」ときっと尋ねてくるだろう。

ロマノのtsが一本調子ながら、B・アーヴィン顔負けにアナーキー2、3歩前までぶちかまし、これ以上はOBというぎりぎりのラインまで完璧にコントロールされ、止まることを知らぬ直向きなペッパーのアルトに理性がどこまで耐えられるでしょうか。ふにゃけた脳天をものの見事にぶち抜いてくれる。廃人同然、死の淵から這い上がってきた男しか表せない「凄味」を憶える。

未聴の方は、明日にでも、円盤屋、或いはジャズ喫茶で大音量で掛けてもらうとイイ。心配しなくても大丈夫、誰一人、途中で店を出る人はいない。当時の健康状態、環境状況からすれば、これはまさに奇跡の21分48秒だ。
この”Lover Come Back To Me”を聴かずして、ペッパーを語ることは許されない。

 

 

78年の来日ステージで甘さを排した鋭いトーンでまるでasの鬼神に化したようにソロを吹くペッパーに、スタジオ録音のレコードだけでは彼の本質を聴き誤る危険性を感じた。だから、自分には「前期」も「後期」も存在しない。ま、その論争も風化し、今では死語だろう。


㊙愛聴盤 ・・・・・FRANK STROZIER / HERE’S FRANK STROZIER & REMEMBER ME

2024-06-10 | ジャズ・as

 

Vee-Jayレーベルに”FANTASTIC”に続く第二作目を吹き込みながら(1960年)、お蔵入りし、1977年に日本でのみリリースされた作品。その後、LPの再発も限りなく無かったと思います。蔦とレンガ、そしてランプとノスタルジックさを醸すカヴァが聴く前から中身の良さを暗示している。as+リズム・セクションと言うオーソドックスながらその実力を問われる編成で、メンバーは”FANTASTIC”に見劣りするもStrozierのアルトは断然、こちらの方が鳴っている。まず、「連日連夜、君を想い、君に逢いたい・・・」という熱烈なラブ・ソング”Day In Day Out”をテーマはラテン・リズムに乗せ、アドリブはフォー・ビートで一気に吹き切り、続く、シナトラの名唱でも知られる”Nice & Easy”ではシナトラに負けず劣らず堂々と歌っている。まだ題名が決まっていないオリジナル曲”Blues”も「ブラック・コーヒー」風にややハスキーなトーンで素晴らしいブルース・フィーリングを聴かせている。

Strozierのasは、少し軽く、線が細いけれど、このレコードはリーダーとして、グループをひっぱり、実に朗々と吹いている所が立派ですね。カートリッジをM44Gで音に厚みを持たせるとイイ感じになります。

なお、ストロジャーは60年代初頭、asの逸材と期待され、Vee-Jayにモーガン、ショーターと共にフロント・ラインを張った”THE YOUNG LIONS”を吹き込み、二人に位負けしないパフォーマンスを残している。また、一時期、録音の記録はないけれどマイルスのグループに在団していた。

 

 

もう一枚は14年ぶりにSteepleChaseに吹き込んだそのタイトルも、何と”REMEMBER ME”、泣けますね。1962年に録音した‘March Of The Siamese Children ’(JAZZLAND 70)以来です。デビュー当時は、やや童顔であったストロジャーも、それなりに男ぽっく写っている。作曲の才もあり、ここでも7曲中、5曲を提供し、asとflを吹き分けています。

 

では、早速、タイトルとなった‘Remember Me’を聴いて参りましょう。いきなり無伴奏でストロジャーのasでスタート、14年間の不遇を吐露するシビアな演奏と思いきや軽いボサ・ロックのリズムに乗った軽快な演奏が始まり、良い意味でいなされた感じがする。だが、2曲目、‘Kram Samba’は一転してモーダルでアップ・テンポ、スリリングな力演に変わり、このプログラミング、なかなか上手いですね。ストロジャーのasが実にエモーショナルだ。

50年代後半に、シカゴからMJT+3でデビューしたスロトジャーのasは、多くのas奏者同様、パーカーをベースにしながら、早くからコルトレーンの影響を受け、その透明感ある音色と共に異色のスタイルとしてかなり注目を浴びたが、やや線の細さにより次第に、第一線から遠ざかってしまい、その後は、ロイ・ヘインズ・グループ等のレコードで健在を知る位であった。でも、この‘Kram Samba’の熱さで14年の間のジャズとの関わり方が窺われます。
 
それを更に証明する演奏がB-1のオリジナル‘For Our Elders’。カルテットによる演奏。これは僕だけが感ずることかもしれませんが、ストロジャーのアドリブ構成は独特で、前半と後半ではかなり趣が変わり、ここでも後半、ギアを一段シフト・ダウンして、細かな音をググッと押し込みながら、徐々にテンションを高めていく展開、スピリチュアルで聴き応えあります。

続く、C・ポーターの‘Get Out Of Town’はもともとスタンダードをうまく料理する力量を持ち合わせているので、76年に相応しい解釈で聴き手を楽しませてくれます。よくある懐古趣味に陥っていない所が良く、以前より音色が太く逞しくなっている。

         

「14年ぶり」のこの新録は見逃しがちですが、なかなかどうして、上等と思います。


本当の事が解るまで ・・・・・SONNY CRISS

2022-10-08 | ジャズ・as

 

1970年代も半ばに差し掛かると、電気仕掛けJAZZの圧力も弱まり、雌伏していたハード・バップのリバイバル機運が高まった。その象徴的な事例として、欧州で活動していたD・ゴードンがメジャー・レーベルのコロンビアから三顧の礼を以って迎い入れられ、1976年に録音したタイトル名もズバリ”HOMECOMING”だった。クリスもそうした流れにピッタリと嵌ったミュージシャンの一人だった。

この3枚、”CRISS CRAFT”(MUSE)、”SATURDAY MORNING”(XANADU)、”OUT OF NOWHERE”(MUSE)は全て前年の1975年に吹き込まれていて、当時、ジャズ喫茶でも随分、人気を博している。

MUSE盤2枚とXANADU盤の違いをザックリ言えばカヴァからのイメージ通りMUSE盤の「陽」とXANADU盤の「陰」で、前者は60年代後半にシュリッテンがプロデュースしたPRESTIGE盤とほぼ同じライン上にあり、一方、シュリッテン自身が興したレーベル、XANADU盤は、さすがに単なる延長線上ではなく、クリスのメランコリーな側面を深掘りしている。

好みの順で行けば”SATURDAY MORNING”、”OUT OF NOWHERE”、”CRISS CRAFT”です。

”SATURDAY MORNING”は”Angel Eyes”から始まるプログラミングも演奏も素晴らしくクリスのBEST1と思います。ただ、ハリスの朴訥なpが多弁なクリスのasに良くフィットしているけれど、クリス抜きのピアノ・トリオ曲は果たして必要だったのだろうか?ちょっと疑問が残ります。前後の曲の出来栄えを高める効果を狙ったシュリッテンの独特のセンスなのかな(笑)? 全曲、カルテットで、例えば”The Masquerade Is Over”でも入れてくれたら個人的に最高だったのですが。

”OUT OF NOWHERE”はF・ナバロの人気曲「ノスタルジア」の元ネタになるタイトル曲でゲイルズの強引なベース・ワークに乗り快楽的に吹き上げるプレイに惹き付けられ、コーカーがあのメロディを弾き出すと思わず一緒に口遊んでしまう。”Brother ・・・・・・・”の抑制されたエモーショナルな語りも聴きものです。”CRISS CRAFT”は曲によりクロフォードのgが単調になっている所が惜しい。

初来日が予定されていた1977年、クリスは目前になって謎のピストル自殺している。計画通り公演が開催されたならば、きっと記録にも記憶にも残るステージになっただろう。日本ではフュージョンを演らなくてもいい、と大いに喜んでいたそうです。他殺説が根強く残るワケですね。

”SATURDAY MORNING”のラスト・ナンバーはクリスの愛奏曲の一つである”Until The Real Thing Comes Along”(本当の事が解るまで)、意味深にして名演です。

なお、この3枚の後、クリスはIMPULSEにフュージョンぽい(未聴ですが)アルバムを2作、吹き込んでいる。いつの時代も「理想と現実」は悩ましい問題です。

 

死後、10年経った1987年に発掘されたイタリア・Bologneでのライブもの(1974年)。この頃、患っていた精神面でのトラブルを感じさせない。

 

 

 


PRESTIGE時代のSONNY CRISS (Ⅱ)

2022-09-23 | ジャズ・as

 

PRESTIGE4作目の”THE BEAT GOES ON”は縁がなく残念ながら未聴です。

5作目の”SONNY’S DREAM”(右上)は、ミュージシャンの夢の一つであるオーケストラをバックにした作品、と言ってもここでは僅か10人です。作・編曲・指揮、全てH・タプスコットが仕切っていて、タプスコットは当時、W・コースト切っての音楽理論派、指導者と知られ、進歩、フリー系のイメージが強い。本作はさすがにOBライン内に収まっているが、クリスにしては硬派な作品でソプラノSaxも吹いている。

実質、"THE HORACE TAPSCOTT ORCHESTRA featuring SONNY CRISS"と言った内容で、水準の域を超えているものの、ファンが求めるラインと違う気がします。

二ヶ月後、路線を元に戻した作品が”ROCKIN’ IN RHYTHM"。TOPにビートルズ・ナンバー”Eleanor Rigby”を配し、曲そのものが魅力的でクリスのアルトは浮ついた所がなく、地に足が着いたプレイを聴かせる。ジャズ・ロックと見縊る必要はありません。

本作の聴きものはラストの2曲、”Misty Roses”と愛の終わりをラプソディックに歌い続ける”The Masquerade Is Over”のクリスのアルト、ご一緒に酔いましょう、ツボに嵌ったらこんなに酔わせるアルトは他にありません。それにフィラデルフィア出身と言うエディ・グリーンのメリハリのきいたピアノ、もうこれはピアノのクリスですよ。また、収録曲のロリンズの”Sonnymoon For Two”は同年(1968年)にニューポート・ジャズ・フェスティバルでも演奏したナンバーで、このステージでクリスはスタンディング・オベーションの喝采を浴びている。

7作目、最後のアルバムが”I’LL CATCH THE SUN”。本作も当時のポップス・ヒット・チューンをそのままタイトルにし、話題となったが、やはり、「モダン・ジャズ」という枠組みの中でしっかりと表現されているのが第一の理由だろう。カヴァ・デザインは阿呆らしいが、名手達(ホーズ、バドウィグ、マン)が繰り広げるリラックスした演奏はなかなか味わい深い。

聴きものは、ズバリ”Cry Me A River”。ジュリー・ロンドンがビッグ・ヒットを飛ばし、一躍有名になったラブ・バラードだ。ラブ・バラードと言っても、「私を棄てておきながら、今更、ヨリを戻そうなんて、虫が良すぎる。私が泣かされた分、あなたも泣きなさい、(涙で)川になるほどに」と突き放す一種の恨み節。身に覚えは・・・・・
ここでのクリスは心の傷が癒えたかの如く「あの頃の私と、今は違うのヨ」と優しく諭すように歌い上げ、感情過多に陥らない吹き方が聴き所。そしてクリスの後のホーズのpが一転して、砂糖をぶちまけたような大甘のフレーズをこれでもかと連発して、未練を残す微妙な女心を弾き綴っている。すごくイイね。最後は再び、クリスのasが「もう終ったのよ」とキリッと締める展開、いゃー、5:41の大いなるドラマ、「過ぎ去りし恋」といったところか。クリスは「歌詞を知らないでバラードを吹く事はしない」と語っており、”Cry Me A River”はその発言を象徴している。


そこで、J・ロンドン、一世一代のボーカルに対抗できるインストルメントの名演は本作のヴァージョンを以って他になし、と唱えたい。


「究極
の一曲」を以ってクリスの3年間のPrestige時代は幕を下ろした。

 

 


PRESTIGE時代のSONNY CRISS (Ⅰ)

2022-09-18 | ジャズ・as

 

捨て身の覚悟でPrestigeのD・シュリッテンに自己アッピールし、レコーディング・アーティストとして迎えられたクリスは66~69年の間に7枚ものアルバムを残している。そこから前半の3枚をピック・アップ。曲構成の基本はいずれもポップス系のヒット曲、映画の人気主題曲、スタンダード、そしてクリスのオリジナル等々がバランス良く収められ、対象幅を広くしている。

”THIS IS CRISS!”は1stアルバムにも拘らず不機嫌そうなクリスの表情は長年の過小、不当評価への無言の抗議だろう。TOPのペギー・リーの絶唱で知られる”Black Coffee”の7:45にも亘る苦み走ったプレイは” !”に秘められた意味を象徴している。演奏時間が2分台から7分台まで長短入り混じっているのはシュリッテンの遠謀深慮からくるものだろう。

1stの評判が良かったのだろう、続く二枚目”PORTRAIT”も同じメンバーで構成され、本作は片面3曲ずつとオーソドックスなパターンに戻している。ロリンズの名演(THE BRIDGE)で知られるA-3の”Got Bless The Child”の出来が良く、クリスの隠れた名バラードの一つと言えます。タイトルに合わせ、カヴァのちょっぴり気取ったクリスが微笑ましい。

3枚目はフィフス・デメンションの大ヒット曲”Up,Up And Away”をTOPに据え、メンバーもT・ファーロー(g)、C・ウォルトン(p)を参加させ、新鮮味を持たせている。この作品はかなりヒットし、当時、JAZZ喫茶でよく流れたそうだが、自分はそうした記憶が全く無い。村上春樹氏が国内盤のライナー・ノーツを書かれ、随分、評判になっているのは周知の通りで、そのライナー・ノーツには、1968年頃、早稲田のジャズ喫茶「フォー・ビート」でよく聴かされたと記述されている。地域によって、例えば東京と京都ではリクエストされるレコードの種が異なり、他の一例が東京では、流れない日はないとまで言われたH・モブレーのヒット作”DIPPIN'”なんかも存在自体、知らなかったほどです。

なお、村上氏のライナー・ノーツは、クリスの死後、1980年、意外にも国内盤が初めてリリースされた時に書かれている。

 

 

 

 

 

 

 

 


IMPERIAL三部作 ・・・・・ SONNY CRISS

2022-09-13 | ジャズ・as

 

コレクターへの入り口、登竜門として知られる通称「インペリアル三部作」。

所有する盤は1983年、「ジャズ・コレクターのための最後の名盤」としてリリースされた国内盤。3枚とも帯がそのまま残っている。残した理由は、いずれ処分する際、少しでも高値で引き取ってもらえる算段からだが、オリジナルに買い替える目的だったかどうか、記憶がハッキリしていない(多分、無かったと思う)。と言うのは、聴く前から曲数の多さから凡その見当は付いており、残念ながら、その通りだった。帯にコレクターズ価格(オリジナル盤)がそれぞれ35,000円と記載されており、中身と相場は必ずしも一致しませんが、それにしてもかなり盛り過ぎです。

三枚、それなりに変化を付けていますが、ベースは同じなので、好みは人それぞれでしょう。曲単位で一番好きなトラックを挙げれば”GO MAN!”のラスト・ナンバー”If I Had You”かな。2:42と演奏時間は短いけれど、甘めのメロディを特有の下品ぽさを垣間見せながら吹き切るクリスの世界、One & Onlyです。

余計な話ですが”GO MAN!”のカヴァはスクーターの脚が有る、無しの2種類があるそうで、その昔、コレクターの間で話が盛り上がったようです。どちらが本当のオリなのか? ある方なんでしょうね。

で、60年代に入り、不遇をかこっていたクリスは1962年、ヨーロッパへ渡り、心機一転を図る。

その記録が1962年10月~63年4月に掛けてPolydor/Branswickに吹き込まれた2枚組16曲です。レコードの希少性はあるものの、内容はにやけた笑い顔通りで肩透かしを喰らう。

 

前回、UPした”AT THE CROSSROADS”のライナー・ノーツに1965年ロスに戻ったクリスを取り巻く厳しい環境について触れられている。

苦慮したクリスはなけなしの貯金をはたき自費でレコーディングしたデモ用音源をPrestigeレーベルのプロデューサー、ドン・シュリッテンの所に持ち込み、同レ-ベルとの契約に漕ぎつけたそうです。

その背水の陣で録音(1965年6月)した音源をB面に収録したレコードがこちらの”MEMORIAL ALBUM”(XANADU 200)。

メンバーはH・HAWES(p)、C・JOHNSON(b)、F・Butter(ds)

 

”Saturday Morning”、”When Sunny Gets Blue”、”The Masquerade Is Over”、”What's New”、“Ursura”の5曲で、“Ursura”では何とソプラノsaxまで披露している。この5曲が全てなのか、それとも選出されたものか定かでありませんが、それこそ切羽詰まった演奏と思いきや、実にナチュラルで穏やかなプレイを展開している。シュリッテンはそこに伸びしろを見い出し、レコーディングのチャンスを与えたのだろう。66~69年に掛け、7作もリーダー作を録音している。この5曲に「下町、裏通りのキング」と愛される原資が秘められていると言っていいでしょう。

なお、この音源はクリスの死後、7年置いて1984年に日の目を見ている。

 

 

 


アンニュイな魅力も ・・・・・ AT THE CROSSROADS / SONNY CRISS

2022-08-31 | ジャズ・as

 

積極的にオリジナル盤探ししたワケでもないけれど何故かオリちゃんを手元に置きたい一枚。長年、縁なく国内盤で過ごしている。以前、ずっと探し求めていたJ・ネッパーの”A SWINGING INTRODUCTION”(Bethlehem)を諦めかけ、ブログにUPしたら、2、3ヶ月後に忽然と目の前に現れた成功例から、今回もと・・・・・・(笑)

クリスのレコード上の活躍時期はザックリ言って三つの時期に絞られる。一つがImperial三部作で知られる1956年、二つ目はPrestige七部作の1966~1969年、そしてMuse二作とXanaduの1975年とほぼ10年周期で、本作は丁度一期と二期の間、1959年3月、シカゴでマイナーなピーコック・レコードに吹き込まれたもの。曲によりO・ハンセン(tb)が入り、W・ケリーが契約上の問題からJOE SCOTTの変名で参加している。60年代の荒波に巻き込まれる前、不安、不信、焦燥、等々のネガティブな感情を感じさせないクリスの安定したアルトが披露されている。

 

 

クリスの個性、魅力と言えば、エキセンテリックに高速で歌ったと思えば、ブルージーにバラードを吹いたり、そのギャップの大きさですが、もう一つ、アンニュイな吹きっぷりは知られざる魅力です。A-3の”I Got It Bad”は”SATURDAY MORNING”(XANADU 105)のラストの‘Until The Real Thing Comes Along’に通ずる気怠さが堪らない。他には”You Don´t Know What Love Is”ではいきなりメロディをストレートに吹くハンセンのtbに妙にドキッとさせられ、この曲のメロディの良さを再認識し、続くクリスのイノセントに歌うasも上等です。

後年のような毒気はまだ感じられないが、こうした薄味なクリスも結構、イケます。

 


結構、イケるよ ・・・・・LOVE REMAINS / ROBERT WATSON

2022-03-13 | ジャズ・as

 

「嘘、偽りはございません、全て包み隠さず申し上げます」と言わんばかりの潔いパフォーマンスを身上とするロバート(ボビー)ワトソンが86年に伊・REDレーベルにNYで吹き込んだ作品。盟友C・ランディ(b)を含んだオーソドックスなカルテット。

ワトソンの高域に掛けての音色がメタリックで軽いのが玉に瑕と評する意見がありますが、少なくともレコードで聴く分にはその透明感溢れる音色こそワトソンの個性、特質とポジティブに聴いている。時折見せる熱闘的プレイの他、作曲能力にも長け、7曲中5曲(うち1曲は奥さん?との共作)を提供している。

その共作がタイトルになった”Love Remains”、漂流する愛の行方をちょっぴりメランコリーさを添えて、ミディアム・スローでアンニュイに歌い流すワトソンに殺られる。ややポップス色も匂うけれど、感情移入が過多にならないのは真に力がある証拠だろう。B-3の”SHO THANG”ではアップ・テンポでasを操るプレイにワクワクさせられるし、最後はラブ・バラード”The Love We had Yesterday”でフィニッシュする構成も上手く決まっている。

所で何故か、このカヴァ写真が気になるんです。鑑賞力に乏しい自分にはタイトルとの結び付きがピンと来ないし、左上に縮小サイズが入れ込まれているが、何の意味なんだろう?女の子が泥水のゴミを掻き寄せる棒の具が少し手元に動いているけれど、間違い探し(笑)ではないでしょう。うぅ~ん、意図が・・・・・・

 

 

このアルバムはもっと認知されて良い好内容で、少なくとも”Love Remains”の一曲はきっと気に入って貰えると確信しています。

 

 

 


フィリップ マーロウの名セリフを ・・・・・ FIRST PLACE AGAIN / PAUL DESMOND

2020-06-13 | ジャズ・as

 

2ndカヴァの方が断然いい例外的な作品。1stはスタジアムにプラカードの人文字で”FIRST PLACE AGAIN ・・・・”と描かれたもの。

オリジナル・カヴァでは結び付かないレイモンド・チャンドラーのハード・ボイルド作品の主人公、探偵フィリップ・マーロウの名セリフの一つ、「男はタフでないと生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」を何故か思い出す。

本作の4人は全員、リーダーではなく脇役ばかりの人達である。デスモンドにしてもリーダーは、やはりブルーベック。
その彼が「フィリップ・マーロウ」になったデスモンドの代表作。

バック・カヴァにサブ・タイトルとして“An ‘After Hours’Session With Paul Desmond And Friends”と書かれている。確かに、デスモンド、ホールのコラボレーションを軸に4人の名手達によるリラックスしたプレイが全編に亘って聴かれるが、もう少しシビアな聴き方をすると、デスモンドのasにDBQの時と違っていつになく鋭さを感ずる。
「強かさと優しさ」、デスモンドのasの神髄が本作に秘められている。

必ず話題に挙げられる‘Greensleeves’は演奏時間が短いのがちょっと残念ですが、他の6曲は、演奏時間が充分に用意されており、デスモンドの正に泉に如く湧き出る美しいアドリブが心ゆくまで聴かれる。

企画性を持たせず、セッション風に仕上げた所に本作の成功があります。


母体がDBQとは言え、時代と共に変わることを望まず、忠実に己のスタイルを守り続けたデスモンドのリーダー・ラスト作”PAUL DESMOND”(ARTISTS HOUSE)。

”LIVE”(HORIZON)の後、追悼盤の形でリリースされた音源で録音時期(1975.10)はほぼ同じです。

 

 

ヘップバーンへのオマージュとされるブルーベックとの共作”Audrey”は何処かしこ長年の想いを切々と訴えている様で、聴き応えがあり、飄々としたイメージとは違う素顔を覗かしている。晩年を飾る名演の一つとして記憶されるでしょう。

1年半後、天に召される。

なお、このレコード、カートリッジによりビッカードのgが歪む箇所があり、例えば、SHURE V15typeⅤでは歪みません。歪む場合、カートリッジを色々試してみる必要があります。

 


FANTASTIC / FRANK STROZIER ・・・・・ 勿体ない未収録曲

2020-05-31 | ジャズ・as

 

今度は、JIMMY COBBが亡くなったそうだ。コニッツほどの大物ではなく、常にマイルス・グループの一員(1958~1961年)という冠の下で語られ、マイルスの元を離れてからの活動についてはあまり興味を持たれていなく、前後のフィリーやトニーと違いサイレント・ドラマーのイメージが強いですね。

同時期、VeeーJayレーベルに何枚かサイドとして作品を残しており、その中からF・ストロージャーの初リーダー作を。

メンバーの良さの割に、それ以上でもそれ以下でもない存在価値に落ち着いているのが誠に残念。

その主因はTOPのケリー作で頭文字を取った”W. K. Blues”ではないかな?その場で即席に作ったようなイージーさは如何なものか。これを聴いて”Fantastic”と思う人がいるのだろうか(いゃ~、いるかもね)。ノリの良さがこのレーベルのキャラ、魅力とは言え、わざわざこれをTOPに据える手はないでしょう。ストロージャーは曲作りの才もあるのでここは正攻法で彼のオリジナル作からスタートするのがベターだったのでは。

後になってケリーの未発表、別テイクを集めたアルバム(国内盤)がリリースされ、このセッションから未収録2曲が日の目を見た。

 

 

ストロージャーのオリジナル“Tibbit”とスタンダードの”Just In Time”で其々9:44、7:25としっかり時間をを掛け、ストロージャー、リトルのソロがたっぷりと聴くことが出来、内容も良い。

特に“Tibbit”でのリトルのロング・ソロは聴きものですよ。何時になく余裕とスケール感を持たせながら気持ちよく吹くリトルの後ろでケリーが「ソロは長ければ良いてなもんじゃないぜ。いい加減、止めろ、もうオレの出番だ」(笑)とばかりpを強く弾き、合図する辺り面白い。それとも「いいね!」だったのかな。

また、ストロージャーも単なるパーカー派では収まらない新しいアプローチを聴かせ、スタンダード解釈も実力の程が知れます。二人とも自分の語法に確り落し込み、吹いている所が良いですね。

この2曲を組み入れ、選曲を吟味したならば、本作はもっと注目されただろう。