「せいめい」と読んでも、「しょうみょう」と読んでも、「声明」は、文字からすれば声で思いを明らかにすることですが、それには宣伝の意図が強く表れます。
首脳会談の締めくくりに出される共同声明も、会談の成果を宣伝するためのもので、それぞれの思いとは裏腹の部分もあるでしょう。
声明の文言がどうであれ、用意された会談でそれぞれの考えが翻るはずもなく、何を思って会談に臨んだかを察知しなければ、見当違いの受け取り方をすることになります。
共同声明の読み取りには、会談の前の行動をよく見なければなりません。
犯行声明という物騒なことも、やはり「やった、やったぞ」という宣伝です。
仏教のしょうみょうは、仏典に節をつけて歌うもので、梵唄(ぼんばい)と呼ばれますが、歌うということは儀礼としての行為にも見えます。
しょうみょうに、梵匿(ぼんのく)や魚山(ぎょざん)という呼び名もあると聞いては、匿された何か、魚も山に登るような何かがやはりあるのかなどと、凡迷な考えもさまよい始めます。
しょうみょう、元の梵語はシャブダ・ビドヤーだそうですが、この言葉、どこかシャバダビダーと聞こえるあのスキャットに似ていませんか。