シニア演劇に人気が集まっているそうです。
演ずることへの興味は、思いっきり何かができる魅力にあるようです。
主役とか端役とか、そんなことはどうでもよく、ライトを浴びたい、ちょっとでも人の心を動かしたいという欲望の端っこでも、かなえられた気になればよいのでしょう。
もちろんプロの役者とは、できることが違い、やることが違います。
自分を見せるか見せないかの違いではないかと思います。
職業は俳優と言いながら、自分を見せたがる人もいて、見せるにはどうしたらよいか、いろいろ考えます。
ところが、困ったことに考える頭が先にたつうちは大根役者なのです。大根の保存には頭を上にして置くのがよいと聞きました。
アマチュア演劇は見せたがってよいのです。
歓ぶのは観客でなく、演者自身なのですから。
演者の愉しみは、自分を見せるのではなく壊すことにあると気づくと、ますます乗ってきます。
自壊か、それとも自戒か、そんな面倒なことは考えません。
喜怒哀楽を巧く表現できるようになるには、自分が邪魔になります。
ふと思ったのは、自分がどうにもならなくなるほどの、本当の喜怒哀楽の経験があったかどうかということです。
考えてみると、私の場合、あったのはおなかが痛くなって転げまわるほどの笑いだけでした。
あのときの笑いは喜怒哀楽のどの感情だったのか、まず怒や哀ではないので、喜か楽か、そのどちらかなのですが、これがどちらとも言いようがないのです。
喜怒哀楽の経験がなくては演ずることはできません。やはり自分は演劇には向かないらしいことがわかりました。