無人走行の自動車に、座席、窓、ハンドルがあるのは、運転ということへの人間の未練が残っているようで、奇妙に感じます。
A I 戦争時代に、音速を超えたとか、音速の何倍とか、移動能力を課題にするのも、操縦ということへの人間の未練が残っているようで、これも奇妙に感じます。
実用上無意味なことに、知恵を絞り、力をつくすのはなぜなのでしょう。
自動車の場合は、座る人がいなくなる座席のシートのすわり心地、覗く人がいなくなる窓ガラスのまぶしさ軽減、握る人がいなくなるハンドルの手触りに、心をつくし作り続けたい人がいることはわかります。
では、人を驚かすことしかできない超音速飛行には、それを極めたい何があるのでしょうか。