「げんつき」という乗り物がありました。
原動機付き自転車の略称、原付ですが、ここはその話ではありません。
制限付き研究という、一見学術的な行為があります。
研究の意味が研究費獲得だけにありそうなケンキューです。
そのケンキューには、領域と理論の制限がついています。
制限を守らない人は、仲間に入れてもらえません。
この領域内でこういう方法でという制限付きのかたちがあって、目指す結果は合格のみ、自動車学校に似ています。
ある大学院では、軍事研究ではないかと疑われそうなことは、ケンキューの領域に入れられません。
防衛大学の卒業生は、受け入れを拒否されていたと聞きます。
法理論では、権威とされる大先生の理論を覚え込まされ、それに異を唱えない人だけが受け入れられるというところもあったと聞きます。
そのケンキュー機関は、老舗のしきたりがなくなる世代交代の時期が来なければ、本来の研究ができるところにはならないようです。
そこから巣立った人は、政治、行政の場に散らばって、重要な職に就きます。
学校教育に異様な限付きケンキュー思想が浸透していることを考えると、望ましい世代交代の効果があらわれる時期は、いつくるのかをかりません。
異端な国から覇権の波が押し寄せる時期と、どちらが先なのか、空恐ろしい思いが、表を走るバイクの音のように、背中を吹き抜けていきます。