・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

下手なニュース放送は節がついて聞こえる

2014年04月14日 | つぶやきの壺焼

アナウンスの質は一音で変わって聞こえます。

「ネクスコひがしにほんの」の「が」を上げそこなうと、そこに節がつきます。
アナウンスに節がつくと、とたんに中学生の朗読のようになってしまいます。

赤坂離宮の「さ」を上げそこなうと、赤坂と離宮が別々の熟語になって、赤坂&離宮のように聞こえます。

たまに弾みでおかしな発音になってもご愛嬌でよいのですが、何度聞いても同じ発音の場合は、それが染み付いてしまっているように思えて、気の毒になってきます。

大学院卒のお嬢様には、母国語の常用発音が教えにくいのでしょうか。

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繰り返し回数が増えると興味は増すか

2014年04月13日 | つぶやきの壺焼

繰り返し上映、再放送、何度も同じものを見て愉しむ人がそんなにいるのかと思っていました。
ところが、実際に再放送のドラマを見ていると、およそこんな話かぐらいしか覚えていないことがわかります。

TVのCMでもまったく同じことを二度続ける安手のものと、またかと思っても少し違ったところが見つかるものと、同じに見えて全然違うものとがあり、繰り返しにもあの手この手があって、なかには違いだけ見ていて何のCMなのかはっきりわからないのもあります。
購買意欲は不思議なうごめき方をしますから、わからないCMに惹かれることもありそうです。


人間の活動には、支配者型と服従型があって、支配者型の特徴の一つに、繰り返しを強要するところが見られます。
繰り返しの強要は、服従型の実行者にとっては、興味激減の材料なのですが、繰り返しであることに無頓着でいるうちに、支配者型行動が、いつのまにか繰り返しの壺底に落ち込んでいるという、奇妙な現象が見られます。


言葉を覚えることから始まって、人間は絶えず繰り返しを演じながら育っています。
嫌々ながらでも、繰り返しをすっかりやめることはできないでしょう。
演説の壇上で朗読を始める人が多いのは、覚え込みという手順を省きたくなるほど、繰り返しを嫌っているのです。
演説の中身のしらじらしさが、繰り返しを厭うようなものであれば、それも仕方がないのでしょう。

いったい何を言いたいのか、その説明には、嫌な繰り返しをまた始めなければならないので、ごめんこうむります。

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お助けは軽いほど上質

2014年04月12日 | つぶやきの壺焼

食事をせずに、サプリメントだけ飲んで生きていけるようになったら、ずいぶん楽だろうと考え、実践に及んだ奇人がいます。
炊事の手間が省け、食卓は無用、食器もいらない、噛む面倒もない、飲み込むだけで幸せ、というわけです。
まず足が弱り、手の力も衰え、目はスマホの画面しか見えず、歯が一本ずつ順に抜けてきました。
飲み込む動作だけは巧くなり、水もごくわずかで錠剤も顆粒もするっと入っていきます。
5年後にどうなったか、10年後にはどうか、それはご想像にお任せします。

この人は、サプリメントというカナ文字の魅力に惑わされたと語っていたそうです。
「補う」ものであるのに、「任せてよい」ものと思ってしまったというのです。

補助金依存症も、それ罹ると自力のだんだん失われていくところが、サプリメント依存症によく似ています。

お助けが過ぎれば、寄りかかるほうはますます弱くなります。
背負ってもらってあたり前と思い出したとき、お助けがお助けでなくなります。

お助けは、薄紙のような、ただしポリフィルムのようにペラペラでない、紙風船のようにふわっとした感じが互いに心地よさそうです。
ライトサポート、助けるほうも、助けられるほうも、互いに背負い込まない軽いお助け、それがよさそうです。

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万全の指示はシステムにどう働くか

2014年04月11日 | つぶやきの壺焼

道標の向きをイタズラで変えて遭難の原因になったというドラマがありました。
いまはスマホのガイドを頼りに歩くのでしょうか。
大きな自然の中で、小さな画面を見つめながら歩く、彼のドーミエにはどう見えるでしょう。


大型店でレジの行列が長くなると、「○○番レジ開放をお願いします」と放送があって、隣のレジが開かれます。
この開閉の指示放送は、進んだシステムなのでしょうか。

これは、システムを進んだものにしようとして人間が遅れていく、現代型の仕組みの一例のような気がします。
システムもまだ成熟までには手が届いていません。
来店客に聞かせる必要のない放送を店中に聞かせていること、社内連絡に丁寧語を使っていることなど、どこかチグハグなのです。
システムが進化すれば、指令は内側で行われ、客には気付かせないでしょう。
さらに進んで、指令を待たなくても一人一人が気付くようであれば最上です。
そんなひまはないと、従業員が思っているうちはまだまだ進化途上ということになります。
指示放送を聞かせることが、サービス性のアピールになる、という人もいるかもしれません。

人類は、システムを考えながら、そのシステムに寄りかかって成長を止めるという、おかしなことを続けている生きものです。

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失業率とはどういう数字か

2014年04月10日 | つぶやきの壺焼

失業率6.5%維持とは、それより減らすことも考えない政策でしょうか。
何%以下に抑制しようとは言われません。6.5%±αの範囲にあれば健全な状態としているのでしょう。

失業している人は、決まった仕事に就こうとしない人と、これからの仕事を探している人です。
これからの仕事を探す人がいなくなれば、新しく人を雇うことができません。そうなれば引き抜きがはげしくなります。
これからの仕事を探す人がいなくなれば、有利な条件で人を雇うことができません。

事業を伸ばすには、新風を呼び入れなければなりません。
失業率は、ある意味では新風の供給源の大きさでもあります。


畑仕事にも、ときには新風が欲しくなります。
土に植わっているということが同じでも、作物とは無関係な畑の花をときどき見かけます。

失業率も、畑の隅の花のように、それをだいじにしている人がいるのでしょう。

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してはならないことだけを決めておく

2014年04月09日 | つぶやきの壺焼

してよいことだけを決めておくのと、してはならないことだけを決めておくのと、決めごとの持ち方としてどちらが優れているでしょうか。

してよいことだけを決めておいたのでは、活動の幅はいくらでも縮まります。
してはならないことだけを、できるだけ少なく決めておけば、活動の幅はどんどん広がります。

何も貼らない看板は、無限の智恵の象徴です。

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『復活』の冒頭は春でした

2014年04月08日 | つぶやきの壺焼

春です。

「何十万もの人間が、ちっぽけな一つところに寄り集まって、自分たちのひしめきあっている土地を醜くそこねようとどんなに努め、その土地に何一つ育たぬように石を敷きつめ、芽をふく草を片っぱしから摘みとり、石炭や石油でくすぶらせ、木々を切り倒し、動物や鳥を残らず追い払ってみたところで、春は都会の中でさえやはり春だった」

今日も春でした。

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列車はお客さんを乗せるものでした

2014年04月06日 | つぶやきの壺焼

列車の旅番組がTVにあります。
乗ってみたい列車と、興味の湧かない列車があります。
この興味は、行ってみたいかどうかとは少し違っているようです。

列車の「乗ってみたい感」は、列車にあるのか、駅にあるのか、沿線の風景にあるのか、駅前のたたずまいにあるのか、どれか一つをよくすれば、というコンサルタントがいたら、それは多分「勝手コン」か「買ってコン」でしょう。

この3月に、全線開業から3年を迎えた九州新幹線が、「時短効果の高い新大阪直通列車に比べ、九州内を走る列車は低い乗車率を改善できていない」というレポートがありました。

時短効果、乗車率は、平たく言えば早くて便利、儲かるかどうかです。こんな言葉の置き換えだけでは、乗ってもらえるかどうかを考えることには、頭が回らないでしょう。

列車の画像集にあった写真からふと思いつきました。冗談でもよいから、貨物列車に、幌馬車型に改造した観光車両をつないでみたらどうでしょう。
鉄道運送法がどうのこうのと、できない理由を見つけるのが先になっては、車輪も回り出しません。

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CMってのは何の略?

2014年04月05日 | つぶやきの壺焼

TVで福島レポートの直後に、葬儀セレモニーのCMが流れました。

CMとはコモン・メンタリティとも言えるかもしれません。
宣伝放送が気遣い無用なのは、コミュニティ・モードつまり世の中の空気が無神経になっているからでしょう。

絆だの思いやりだのと言っても、根底がコマーシャル・メッセージにあったのでは、コネクティブ・メソッドとしてはあまり上等ではなさそうです。

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パッと逃げ出した後の準備を

2014年04月04日 | つぶやきの壺焼

いま、住んでいるところから逃げ出さなければならない天変地異がやってきたとき、逃げるときに必要なものは、その場で気付くかもしれません。
しかし、逃げ出した先で一晩二晩過ごさなければならないとき、こういうものが要りそうだという智恵を、少し超えたところに、役に立ちそうなものがあるようです。

ひとつは「保温」もうひとつは「居報」です。
まず「保温」、体が冷えきれば、その先は天国か地獄かしかありません。
人間は、中心部の体温が35度より下がると危ないそうです。低体温症です。

平熱が36度より下の人はもっと低くても生きながらえられるかどうか、それはわかりません。
平熱と低体温症との関係のデータなど、あっても数が少ないでしょう。

低体温症から身を守るには、わきの下、股、胸を暖めるのがよいそうで、それには「使い捨てカイロ」、夏でも捨てずに非常用品の仲間に。
 ⇒ http://jump.cx/kairo

逃げれば待避所が待っていてくれるか、そうはいきません。
どこかに風を遮る囲いを作ったり、仮屋根をかぶせたり、そんなときに軽くて小さくまとめられる細めの丈夫な「ロープ」が役立ちます。ハンカチには別のだいじな役目があって、裂くのはドラマ用です。

「居報」は、救助のヘリやそこを通るだれかに「生きて居る」ことを知らせなければ、自分では動けないときに必要なことです。

居報は、光と音で、光るものは反射鏡、ごく小さいものでも遠くまで届きます。
色も光です。寝袋も、ニット帽も、タオルも目立つ色に、オレンジ色がよさそうです。
音は叩いて鳴るもの、電池式などはダメです。持ち主より電池の寿命が先に尽きます。
ほとけさまのおりんなどよさそうですが、いざというとき位牌と一緒に持てるかどうか。
今年の夏は、鉄製の風鈴を買っておきましょう。

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引ったくりは両手でなければできないように

2014年04月03日 | つぶやきの壺焼

サルのまねをして、ひとのカネを自分のものにしようという、あさましい引ったくりに遭わないようにする方法には、ひったくられにくい仕掛けをしなければなりません。

ひったくりは、片手でやられます。
両手を使わなければひったくれないトートバッグを、かばん屋さん考えてください。

片手ではずせるキーホルダーつきのかばんができたと聞いて、その逆のことを考えました。

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事故の原因はほとんどがソフトウエア問題

2014年04月01日 | つぶやきの壺焼

事故情報データバンクシステムという制度があります。

関係機関より「事故情報」「危険情報」を広く収集し、事故防止に役立てるためのデータ収集・提供システムで、消費者庁と独立行政法人国民生活センターが連携して、関係機関の協力を得て実施している事業だそうです。
 ⇒ http://www.jikojoho.go.jp/ai_national/

もう少し詳しい説明では、こうなっています。
関係行政機関が保有する生命・身体に係る消費生活上の事故の情報を一元的に集約したデータベースです。
事故の再発、拡大の防止に資する環境整備の一環として、消費者庁と(独)国民生活センターが連携して、 関係行政機関等の協力を得て実施している事業です。
国民の方々はインターネットから事故情報を自由に閲覧・検索することができます。

この「関係機関」というのは、「関係行政機関」です。
消費者庁、国民生活センター、消費生活センター、法テラス、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、製品評価技術基盤機構、国土交通省、日本スポーツ振興センターが、これにあたります。

これ以外の所管の事故はこのデータバンクに仲間入りできないようです。
自動車の不具合によらない走行中の交通事故、 放火や不注意による火災事故、 労災、自然災害などの情報は、数が多くても、規模が大きくても登録されません。

どういう情報が集められるのか、それは「関係機関から広く収集できる事故情報、危険情報で、事故防止に役立てるためのデータ」ということになります。
この「収集でき」「役立てる」というところが、データバンクの性格になっているようです。
そうなれば、収集しにくいもの、役に立ちそうもないものは入れてもらえません。

高速道路で何重衝突が起き何人亡くなっても、運転ミスが原因なら、このデータバンクに入る事故にはなりません。
原発の故障のように、「事故ではなく異常である」などと言い換えられたものは、重大な結果に結びつきそうなことでも、このデータバンクに入る事故にはなりません。


世の中に起こる事故の大部分は、人間の智恵と誠心に絡んだソフトウエア問題に起因します。

ハードつまりモノだけに起因する事故で、自然災害を入れない事故や危険には、どんなものがあるのでしょうか。
よくわからないどころか、思い浮かべることもできません。
まあ、わかっていれば事故にはならないのでしょうが。

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