"まごころ"という言葉は、ふだんの生活ではあまり耳にしません。
店の名前やグループの名前にはときどき見かけます。
日本人にとって、まごころは自らが尽くすことで、わざわざ口にすることではないものになっているからでしょう。
他に望むことでも、それに頼ることでもない"まごころ"は、日本の心を持ち続けている人に限って通じるという、何やらはかないものになっています。
外国人でも、日本の心を知り、それが身に付いた人には通じます。
日本の国籍を持っていても、日本の心を失った人には通じません。
ところが、"まごころ"という日本独特のものが、地球上のどこに行っても、地球に住む誰を相手にしても通じるものという妄信にとらわれている、心やさしい人もいます。
対話を続ければ、いつかはわかってもらえるときがくるなどと、のんきに構える人が案外多いのです。
外交の仕事をする人が、そんな妄想にとりつかれていては話になりません。
それを知っていて、何もしない自分への言い訳に妄想を利用するやからは、魔ごころをもったとんでもない悪党なのです。