かしこい。とはどういうことなのであろうか?なかろうか?
人にやってもらえばいいことも全部自分でやろうとする人がいる。
この人は結局馬鹿に上手く使われていることに気付かない。
自分でしかできないことを人に頼ってしまう人がいる。
この人は結局何もできないお馬鹿さんになってしまう。
自分は賢い。と思っている人ほど詐欺に会いやすいという。
その場の空気を読めない人がいる。とする。
問題は。その場の空気を読む必要があるかどうかなのだが。
読めないとあいつは分かっていない。かしこくない。と思い込む。
この思い込み。というものが曲者だ。
わかっているつもり。
しっているつもり。
理解しているつもり。
つもりつもって。思い込みは定着する。
現場。現実。現状。をしっかり見ようと思えば先入観や偏見を捨てる事なのだが。
これはすこぶる難しい。
なぜなら。本人の価値観と関わっているからだ。
わかっちゃいるけどやめられない。
のが現実を無視してまでも自分の価値観を守ろうとすることなのだ。
なぜに?
つまるところ。楽だから。
考える。ということは新たな価値観を見出す。ということでもある。
自己否定や。再構築。が必要な作業だから。
この作業は骨が折れるし。その割りに対価としての実入りの少ない作業なのである。
したがって。人はそのような作業が必要になると。現場・現実・現状を自分の価値観によって歪めて受け取ろうとするのである。
そして結局。歪められた現実は 本人に対して結果不履行という形で帰ってくる。
そして又。自分以外の所為にしてしまうのである。
ああ。またしても。誤解の連鎖・・・・・。
パカパカパカパカ。おぱかさんが通る。
・・・・・。
人にはそれぞれに事情というものがある。
かしこさとは。それぞれの価値観という名の事情を鑑みて決済できる勇気なのではないかと私は最近思い始めている。
人によってぜんぜん違うものが価値観であり当然私のものとも違ってしかり。
無視する。付き合わない。ぼける。所謂ノーディールは重要な選択肢なのである。
自らの価値に合致した事物ほど この選択には勇気がいる。
執着がよくない。と言われる所以はこのあたりにありそうだ。
・・・・・。
上目使いのタヌキマン。
なにをかいわんやの。
南無煩悩大菩薩。