やられた。とみるか。
さもありなん。もういいかい。とみるか。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある。
献身とは、理論で考えるものでは無いだろう。
やむにやまれぬその心持によってこそ成り立つ。
葉っぱにしてみれば、「食わしてやったぞ。こんな姿にしおって。」とは言わない。
マザーテレサさんが自らを捨つるようにて、子供達を慈しむのも同様。
親がひざをかじられるのも同様。
先輩が後輩にたかられるのもほぼ同様。
助けた亀に玉手箱をねだらないのも、まずもって同様。
この葉っぱを小生は美しいと思う。
それはしかし。受けた献身が、又与える献身になっているからだ。
お金も献身もそうであろうが。自分だけのところで溜め込んでは美しくない。
堤防を作ると、生態系は壊れ、水は腐るものよのう。
葉の献身の風景。