南無煩悩大菩薩

今日是好日也

献身。

2006-10-19 | つれづれの風景。

やられた。とみるか。

さもありなん。もういいかい。とみるか。


身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある。


献身とは、理論で考えるものでは無いだろう。

やむにやまれぬその心持によってこそ成り立つ。

葉っぱにしてみれば、「食わしてやったぞ。こんな姿にしおって。」とは言わない。

マザーテレサさんが自らを捨つるようにて、子供達を慈しむのも同様。

親がひざをかじられるのも同様。

先輩が後輩にたかられるのもほぼ同様。

助けた亀に玉手箱をねだらないのも、まずもって同様。


この葉っぱを小生は美しいと思う。

それはしかし。受けた献身が、又与える献身になっているからだ。

お金も献身もそうであろうが。自分だけのところで溜め込んでは美しくない。

堤防を作ると、生態系は壊れ、水は腐るものよのう。


葉の献身の風景。
コメント (2)
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