古典落語をひとつ。
今でこそ、識字率は99%をこえておりますが、江戸の頃の庶民で字の読める人は少のうございました。
その頃の噺でございます。
おう!今帰ぇったよ。
あら。おかえんなさい。それで目医者の先生はなんて?
目の病は早目が一番ってえんで、今ならこの薬で治るとよ。
そう。それで薬の使い方おそわってきたんだろうね。
いけね。忘れちまった。お前ここに書いてあるから読んでみな。
いやだよう。私に読めるわけないじゃないか。お前さん読めないのかい?
ばかやろう。これぐれぇのもの、よんでやらぁ。べらぼうめ。
「こ。こ。こここここ。こここここ。こ。こ。・の・・・・」
あらいやだ、おまえさん。にわとりじゃないんだよ。
だまってろい!「こ。このく。く。く。くくくくくく。く。く。く。・す・・・」
なんだろねこの人は。今度は鳩になっちまったよ。く。す。じゃないのかい。くすときたら「り」、じゃないのかい?
あたぼうよ。「このくすり」ってえんだ。まちげえねぇ。こりゃ薬だ。
当たり前だよ。それからなんなのさ。
それがよ。そん次がわかんねぇ。どっかでみたことある字なんだけどよ。
おまえさん。それ。あたしも見たことあるよ。確かさ、お風呂屋じゃなかったかい?女湯ののれんに書いてある字じゃないかい?
おお。がってんだ。するってぇとよ。なになに・・・。
「このくすりめしりにつけてつかうべし」と読めるぜお前。
・・・しょうがねえなぁ。おい!おまえ、しりめくんな!
なにいってるのさ。いやだよう。まっぴるまから。
なにいってやがる。木の股から産まれてきたわけでもあるめぇ。
第一、亭主の目の病の為でぇ。ひとはだ脱ぎな。
しょうがないねぇ。たのむから早くしとくんなよ。人にでもみられて、あすこの女房は好きもんだ、なんていわれちゃあたまんないよ。
気にするこたぁねぇ。治療をしてましたと、本当のことをいやぁいいんだ。
何の治療なんだろうねぇ。目と思ってくれるのか心配だよ。
しかし。なんだなぁ。女房のいねぇ奴は、おちおち病気にもなれねぇなぁ。
・・・おっと。動くんじゃねえよ。薬の粉が飛び散るじゃねえか。
しかし、どうすりゃいいんだってんだ。このへんにこうして・・・・・・。
くすぐったいよおまえさん。あらいやだ。さっき食べた芋が・・・。
「ぷぅ~!」
おめえ!屁こきやがったな!あ!薬が目に入っちまったじゃねえか。
あ。・・こうして使うのか。
・・・。
「このくすり目尻につけて使うべし」
「このくすり女尻につけて使うべし」
識字率が上がったからといって、人の理解力が上がっているとは限りません。
賢いからといって、義理人情をないがしろにしてよいはずもありません。
人の世を楽しゅう生きてみたり、仲良く過ごすのには、こ難しい理屈よりも、落語の力が大きかったりもしますなぁ。
「このくすり浮世に浸してつかうべし」
さ。わたしは。五臓六腑に染み渡る薬を飲みに行くとしましょう。
なに。使用方法は、わかっておるつもりでありますが。