南無煩悩大菩薩

今日是好日也

希望達磨。

2008-10-06 | つれづれの風景。

手も足も出ぬが希望を持つ時がある。

手を切ったほうがよいことや、足が出てまずいこともある。


面壁9年の修行を達磨さんはおこなったと聞くが、石の上にも3年程度で人は丸くなったりもする。

達磨大師に弟子入りする為に、自分の手を切って、参禅したというつわものもいる。


手八丁口八丁八面六臂千手観音の如き、希望も大事だが、手はなく足もなきとき、それでもなくさない希望は所謂尊きものであろう。


本当はそんなことを望んでいるのではない。と感じることこそ尊き面目ではあるまいか。


希釈水や希塩酸などと使われるときの、「希」とは薄められるということである。「まれ」ともいわれるその望が尊いのである。

薄い望み、希な望を見出す為に、静かに座ってみよう。

本当の我が面目は、すぐには、なかなか見つからないことに気付く。

所謂、希望なのである。


何を望むや。

コメント (2)
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