南無煩悩大菩薩

今日是好日也

寒山と捨得。

2008-10-22 | 有屋無屋の遍路。

読む事を知って文字なし。

箒を持って掃除せず。


かんざんとじゅっとく。僧でも俗でもなしといわれる非常に興味深い二人。

様々なキャラクターをもって今に伝えられている。仙崖和尚などの仏画や、蕭白画伯の作品などこの二人を題材にしたものは見ていて楽しい。

遠い唐の昔の人だというから、その実像は知る術もない。


いつもにこいちで登場する。

共通するのは、なにかしらお茶目で、とぼけながらも、はっとさせられる率直さをもった人達のように思えてならない。

そこにあるのに慣れすぎて、本当は不可欠な存在にも拘らず、ついつい甘えてないがしろにしていながら、おもうところありの心持のときには、かけがえのない存在になる。

そんな地球と月のような関係の人がいる。

そのペーソスに感じ入り、山椒のように小粒ながらピリリとくる人がいる。

寒山と捨得とは、誰にでもいるであろうそんな人へのオマージュを感じるのである。


眼を閉じて文字を読み、箒を抱きて立ちすくむ。


読むことを知って文字なし。

箒を持って掃除せず。


君ならどう読み、どう掃除をするだろうか。

コメント
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