読む事を知って文字なし。
箒を持って掃除せず。
かんざんとじゅっとく。僧でも俗でもなしといわれる非常に興味深い二人。
様々なキャラクターをもって今に伝えられている。仙崖和尚などの仏画や、蕭白画伯の作品などこの二人を題材にしたものは見ていて楽しい。
遠い唐の昔の人だというから、その実像は知る術もない。
いつもにこいちで登場する。
共通するのは、なにかしらお茶目で、とぼけながらも、はっとさせられる率直さをもった人達のように思えてならない。
そこにあるのに慣れすぎて、本当は不可欠な存在にも拘らず、ついつい甘えてないがしろにしていながら、おもうところありの心持のときには、かけがえのない存在になる。
そんな地球と月のような関係の人がいる。
そのペーソスに感じ入り、山椒のように小粒ながらピリリとくる人がいる。
寒山と捨得とは、誰にでもいるであろうそんな人へのオマージュを感じるのである。
眼を閉じて文字を読み、箒を抱きて立ちすくむ。
読むことを知って文字なし。
箒を持って掃除せず。
君ならどう読み、どう掃除をするだろうか。