南無煩悩大菩薩

今日是好日也

席。

2009-02-12 | 有屋無屋の遍路。

ある男がいた。

その男は、蛙の鳴き声を聞きたいと思った。

庭に小さな池を掘り、おたまじゃくしを買ってきてそこに放した。

おたまじゃくしは手も足も生えてきて順調に育っていた。

ある日男は、ある出来事から、アヒルのひよこ達を買うはめになった。

その男はそのうち、ある事情からその場所を引っ越していった。

或る日、成長したヒヨコ達が小さな池で騒いでいた。

アヒルの水浴びで濁った水がやがて澄んでくると、そこにはもう、一匹のおたまじゃくしの姿もなかった。

・・・。


魯迅さんの短編に確かこのようなストーリーがあった。


私はふとそんな考えが浮かんだ。

椅子はあれども席は無し。

おたまじゃくしやひよこやあひるからみれば、その男は椅子は用意したけれども席は用意できなかった。

そのおたまじゃくしやひよこやあひるからみれば、その男は運や縁の創造者とも映る。



席を確保する。

こしかける ものでありながら、なにかを けしかける ものでもある。


蛙の鳴き声が、アヒルの鳴き声に変わっても、それが意図したことではないとは、誰も言い切れないだろう。

コメント
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