南無煩悩大菩薩

今日是好日也

落葉のフラクタル。

2009-11-16 | 有屋無屋の遍路。

一瞬、奇妙な感覚に捉われた。

人体を形成する細胞も、ミクロになって、下から眺めたらこんな感じではないか。

毛細血管のその先に細胞は形成され、落葉宜しくメタボリズムを繰り返す。

葉っぱの葉脈は枝のように見え、枝は木の連なりに見え、森全体は葉っぱの様でもある。

木々の並びは、神経系の用でもあり、循環器系の様でもある。

空から木が生えてきた。


異なるパターンが尺度を変えて繰り返し現れる。

マクロからミクロまで地球上の生成物は、同じパターンの繰り返しになっている。

幾何学的に同じパターンが様々に異なる尺度のレベルで繰り返し現れる。

小さな一部分が、ある程度全体に似た形になっている。

ちゃんとしたことは知らないが、そのようなものを、フラクタル理論というそうだ。


デジャブ(既視感)や、なんとなくの不安や、希望の高まりといったことも、もしかしたらだが、自分の経験が、尺度を変えて同じパターンを読み取っているのではないだろうか。


天高く落葉燃ゆる風景に、なんとなく物寂しさを覚えるのも、自分の老化とのいわゆるフラクタル性のパターンを読み取ってしまうからかも知れない。

だから、気持ちよく空を見上げていながら私は、一瞬、奇妙な感覚に捉われたのだ。

そしてこうも思った。

この木々は、綺麗さっぱり葉を落として、再生する。

きっと春には、今度は新規性の奇妙な感覚に捉われるのだろうと。


久しぶりにロックミュージックを聞きたくなった。
コメント
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