一瞬、奇妙な感覚に捉われた。
人体を形成する細胞も、ミクロになって、下から眺めたらこんな感じではないか。
毛細血管のその先に細胞は形成され、落葉宜しくメタボリズムを繰り返す。
葉っぱの葉脈は枝のように見え、枝は木の連なりに見え、森全体は葉っぱの様でもある。
木々の並びは、神経系の用でもあり、循環器系の様でもある。
空から木が生えてきた。
異なるパターンが尺度を変えて繰り返し現れる。
マクロからミクロまで地球上の生成物は、同じパターンの繰り返しになっている。
幾何学的に同じパターンが様々に異なる尺度のレベルで繰り返し現れる。
小さな一部分が、ある程度全体に似た形になっている。
ちゃんとしたことは知らないが、そのようなものを、フラクタル理論というそうだ。
デジャブ(既視感)や、なんとなくの不安や、希望の高まりといったことも、もしかしたらだが、自分の経験が、尺度を変えて同じパターンを読み取っているのではないだろうか。
天高く落葉燃ゆる風景に、なんとなく物寂しさを覚えるのも、自分の老化とのいわゆるフラクタル性のパターンを読み取ってしまうからかも知れない。
だから、気持ちよく空を見上げていながら私は、一瞬、奇妙な感覚に捉われたのだ。
そしてこうも思った。
この木々は、綺麗さっぱり葉を落として、再生する。
きっと春には、今度は新規性の奇妙な感覚に捉われるのだろうと。
久しぶりにロックミュージックを聞きたくなった。