川が緑である。
しかしそれは正確ではない。
現実には、自身の立ち居地と角度の関係上の色光が、輝度の差により、より鮮明な色として立ち現れている処の川面が偶然にもなだらかであるため、鏡面の役割を果たし、川が緑として視覚されているということになる。
僕はそこに緑の川を見たが、川自体が緑であるはずはないことを知っている。
しかしこのある種の小さな感動は、抑えがたく、緑の川としてそれをみる。
ただその出所が、その思うところに在るのか、その立ち居地に行き合わせた自らへの、その幸運を手に入れたことへの、なんとはなくの誇りのような、小さな優越感にあるのか、はたまたうたかたの情動の所為なのかはよくわからない。
そんなわけで、
実際僕は自分自身のことすらよくわからないということを体験的に知っているし、
また、当事者が自身を正確に捉えてはいないこともある、
ということも知っている。