うりもんやのに、うらないとは、これいかに。
不足していても、たるというがごとし。
そういえば、先日昼飯に洋食屋へ行った。
トンカツにチキンカツにビフカツなど、若いときはガツガツ食ったものだが、この頃はたまにしか食べない。
今の若者たちはどうかと店主に問えば、彼らはもっぱらコンカツらしい。
ガツガツ食えば、どんな味がするのだろう。
そういえば、誰かの迷言にこんなのがあった。
「結婚とは、判断力の欠如であり、離婚とは忍耐力の欠如であり、再婚とは記憶力の欠如である。」
男女に限らず、判断と忍耐と記憶の力の低下は、考えものだ。
子供店長なるものも、いまどき流行っているようだ。
子供に店長をさせて、知識や責任感等において消費者利益を確保できるのかということと、市場社会での精神的な重圧を幼いものに与えて障害が残らないのかという問題を危惧していたら、
こんど予定されている国政選挙の立候補予定者をみていて、ああ、時代はこうゆうものか、流行をなめてはいけないなと妙に合点がいった。
世の中を見回すと、ギリシャは生きるか死ぬかギリギリシャとなっており、中国の万博は入場者の低迷で、ちゅうか人民今日は来い、になっておる。英国では二大政党が過半数に届かず連立でキャメロン首相が誕生する。ポリシーの違う連立で、どこぞの国のように政策がキャメレオンにならないか、危惧されているようだ。
先日大阪では、公園のチューリップが千本単位で、何者かに首から先を切り落とされるという事件が2件も続いた。
これはいかん。地元の人の丹精を辱め、市民の憩いの場を踏みにじるとんでもない行為。
もはや、アホやバカや腹黒さといったものを通り越して、悪意以外の何者でもない。
わしは、怒っておる。
このやるせなさは、柳川ブルースの比ではないのだ。
つぶやきといえば、ツイッターなるものも流行っているらしい。これで短文のやりとりをするようだ。
「昨日は三重県にいたんだって?」「うん。津行ったー」なんてやり取りをするのである。
ちょっとしたまのつもりがながいつぶやきになってしまった。