例えば私達は、カロリー5%の清涼飲料水より、95%ノンカロリーの清涼飲料水がよかったり、
ポリエステル5%を混綿したタオルより、コットン95%と表示されたタオルを選んだりする。
生存率95%と死亡率5%も、豚肉表示で赤み80%も脂肪分20%も中身は同じながらも、受け取る印象は異なる。
どちらに重きを置くかで、同じものを違うと思い込んでしまうような、認識のバイアスを起こしてしまうのだ。
また例えば、普通の牛乳の脂肪分は4パーセント前後で、低脂肪牛乳は0.5%以上1.5%未満、無脂肪牛乳は0.5%未満と厚労省の省令で定められている。低いと言っても、無脂肪といっても、たかが3%前後の違いでしかない。
一緒やんけ。
という判断を下すか、普通とは違ういいものだと思い込んでしまうかは、配分と比率の元になっている分母とその対象の在り方に注目し、その情報の本質を捉える力量が要求される。
「割合で、言われておつむはパーセント」では困ることもある。
また、医薬品なんかでもそうだが、「すごくいい」薬には、「すごく悪い」副作用の可能性があったりする。
偽薬というものがある。
プラシーボともいわれるようだが、新薬の効果を調べる際の二重盲験法(被験者だけでなく実験者自身にも、誰が本物の薬を投与され、誰が偽薬を投与されたか知らせない方法)などでも使われるという。
偽薬がまじることで、本物に本物としての力があるかどうかの、予断を許さない客観的な証明をする為に用いられるのである。
この実験の副作用として出てきた面白いことは、麦や豆の粉等だけの偽薬でも確か3~4割程は病状が改善に向かうなんていう話を聞いて、さもありなんと思ったことがある。
どうも私たちは、提示の具合によって色々と左右されるようだ。
嘘の提示はもちろんのこと、嘘ではなくともその具合を検証・理解することは、嫌な思いをしないための大事なことだと思う。
自分は善意のつもりでも他者に悪影響を与えてしまう思い込みは誰にでもある。
発信するにしても受け取るにしてもデジタルディバイドと言われるような情報格差や情報の不均衡性は常に存在するようだ。
私はさっきまで、いまどきは「アニメソング」を「ア二ソン」と呼ぶということを知らなかった。
それなら、会社の女性が好きな「クレバのソング」は「クレソン」か。
なんともいかん、提示の具合。