南無煩悩大菩薩

今日是好日也

まことに咲く花。

2010-05-22 | 有屋無屋の遍路。

・・・長崎の岡政というデパートで僕の絵の展覧会があった。
食堂でめしを食べていると僕の目の前にいる人が、
「わしも山下清に毛が生えたような男です」とよその人に話していた。
僕はびっくりして僕に毛が生えるというのは、どういうわけですか?
どこに毛が生えるとあなたになるのですか?と聞いたら、みんながどっと笑った。

その人は僕の質問に答えてくれないで、にやにやしている。
僕は何でも知っているとおもう式場先生にそのわけを聞いた。
するとそれはちょっと説明しにくいが、似ているという言葉にいろをつけたのだと教えられた。
その「いろ」をつけるというのがまたわからないというと、いいまわしをかえるのだと聞かされた。

この前、鳥取の宿で近所で酒を飲んで夜遅くまで騒ぐ人があったので眠れなくて困るといったら先生は、それは災難というものだよと教えてくれた。
それから僕はちょっとつらいことがあると、すぐこの災難という言葉をつかうので、
君は京都で哲学という言葉を覚えて、むつかしいことになると「これは哲学ですか?」といったが、今度は災難をつかいだすのかと言われた。

すると、長崎で聞いた「清に毛が生えた」というのも、僕がこれから使うことになるのだろうか。

それにしても、清に毛が生えたというのは、どうもわけがわからない。
これは哲学よりもっとむつかしいようだ。
僕はもう三十四で毛はみんな生えているのに、このうえどこにどんな毛がはえるのだろうか。
僕は頭が悪いのでわからぬことが多いのです。
-山下清「日本ぶらりぶらり」より-


日本のゴッホ、放浪の天才画家といわれた、山下清さん。
その超然さは、なんだかとてもいいことを教えてくれるようです。
まことに咲く花のように。
コメント
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