何のために学問をし、修養をし、仕事につくかといえば、目的のため。
目的、つまり知恵、理解力、よい判断力、よい嗜好を身につけることで、
たくましく、自尊心があり、正しい怒りを持ち、支配や搾取、宣伝やわけのわからない文明化、暗示や流行に対して抵抗力のある人間に近づくこと。
悟性を身に纏うことで、煩悩をやっつけようとする、弱肉強食の内なる戦いの手段を手に入れようとする目的のため。
そう僕は思う。
時節柄、おおくの学生は進路の最終的な判断を迫られる時期でもある。
学校や、職場に進まなければいけない。
出ることや、入ることは、そのための手段、名声やお金も同じように。
目的のための手段はいくらでもあるものだから、手段を目的にしてしまわないようそう願う。
目的の地まで、進路は続くよどこまでも、なのだ。