1946年に、「J・R・ヒックス」という人が「所得」というものの定義をこう唱えた。
「コミュニティーがある一定期間だけ消費を続ける時、その期首と期末で経済的な豊かさを悪化させることなく消費できる最大限の物量」
国家でも、会社でも、家庭でも、期首よりも期末が減じているならば、分不相応な消費、つまりリミットを越えた過剰所得の可能性がある。
現在の国家予算も、多大な借金でその既得権化した所得水準を維持している状況になっている。
全体の経済的な豊かさを悪化させながら、部分の経済的な豊かさを維持するということは、高度成長再びの奇跡を待っているとしか思えない。
夢のような期末(将来)を願って問題を先送りにして、今を借金でまかなうような所得認識の乏しい人の、破産者になる確立は非常に高い。
私は思う。
JRの切符を買うのにも、540円しかなければ、570円のところへ行こうとしてはならないし、30円足らないことを嘆き悲しんでもならない。お金が降ってくるなんて言う奇跡を待ってもならない。
もし570円の所へ生きたいならば、30円分は歩かねばならない。もっと遠くならもっと歩けばいい。
かえって健康的だし、楽しいことが待っているかもしれない。
そういうふうに折り合いをつけるほうがずっといい。
これを、「JR・フィックス」という。