南無煩悩大菩薩

今日是好日也

クックテイル。

2008-10-07 | つれづれの風景。

むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ。

鶏中に鶴。

なぞと、引き合いに出される鶏。

飛べない鳥ともいわれる。


しかし。鶏尾侮りがたし。


尾羽枯れ落ちるほどの奮戦たくましきは、武将の本懐である。

いざとなったら鶏は必死の形相で立ち向かう。とさかに来た鶏はすごいのである。

チキン野郎ではないのだ。

普段は、なんと揶揄されようが、結構結構コケッコウ。

なのである。

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希望達磨。

2008-10-06 | つれづれの風景。

手も足も出ぬが希望を持つ時がある。

手を切ったほうがよいことや、足が出てまずいこともある。


面壁9年の修行を達磨さんはおこなったと聞くが、石の上にも3年程度で人は丸くなったりもする。

達磨大師に弟子入りする為に、自分の手を切って、参禅したというつわものもいる。


手八丁口八丁八面六臂千手観音の如き、希望も大事だが、手はなく足もなきとき、それでもなくさない希望は所謂尊きものであろう。


本当はそんなことを望んでいるのではない。と感じることこそ尊き面目ではあるまいか。


希釈水や希塩酸などと使われるときの、「希」とは薄められるということである。「まれ」ともいわれるその望が尊いのである。

薄い望み、希な望を見出す為に、静かに座ってみよう。

本当の我が面目は、すぐには、なかなか見つからないことに気付く。

所謂、希望なのである。


何を望むや。

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雨に濡れて。

2008-10-02 | つれづれの風景。

さてどっちへいこう。雨が降る。

たたずみ過ごすも、こぬか雨。


この頃は、秋雨も駄々降りの風情の無い降り方をしよる。

ちょいと肌寒く、移り行く季節を惜しみつつの人恋しい雨の降り方が好ましい。

春雨と秋雨は、モノローグとエピローグでなくてはならん。

雨に濡れることを厭わない心持にさせるのが、上品というもの。



女心と秋の空。

天高く馬肥ゆる秋晴れをまつよの如し。

軒近く、小糠に蟷螂濡れそぼる、秋もまた秋である。

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