再び台湾の旅
2024-5-19~5-22
最近の円安の影響(原因はこれだけではないかも)で海外旅行はバカ高く、家内は海外旅行のチラシを見て、海外はしばらく忘れましょうといいつつ、台湾ならいけるかもという考えになる。当方は、富山の居酒屋で海の幸を肴にお酒を飲んだ方が楽しいことは間違いないのだが、時にはあちらに合わせて、時にはこちらに合わせてもらうやり取りが自然の流れ。台北は以前行ったが、南の方は行ったことがない。南の高雄まで行って、新幹線で台北に戻るという3泊4日のツアーを選択。このツアーは新幹線以外に高雄で高雄圓山大飯店、台北でグランドハイアット台北という高級ホテルに泊まることが売りになっている。家内はここに魅かれたらしい。当方はこの旅にどういう意義を見出すか不明のまま旅に出た。
しかるに、カメラは徹底的にシンプル。Fujiilm X-T5 + Zeiss touit 32mm一本で押し通しました。わずか数ショットはZeiss touit 12mmをつかっています。観光写真は極力撮らずに、街の風景を撮ろうとしたのですが、フリータイムが殆ど無くて、バスの汚い窓からの撮影ばかりになりました。スナップにはZeiss touit 32mmが抜群に素晴らしいはずなのですが、見せ場もありません。しかし、この組み合わせはよく状況に対応していると思いますよ。
この写真は旅行の最終日のわずかなフリータイムの時訪ねた、台北の眷村(軍人村)の跡地、四四南村(スースーナンツン)から 101階建て台北101ビルを望む写真。この写真の意味を述べることで、この旅行の旅行記にしましょう。台湾の観光地はもう皆さんご存知でしょうから書いても面白くないでしょう。ザクっと台湾を知るための基本情報から始めます。つまらんと言わずに読んでください。後できっと役に立ちますよ。
しかし、ずいぶんと地味な旅行記になったもんだよ。当方にとっては数日で丸っと台湾を理解し、有意義な時をすごしたと自負しているのですが?
台北101 2004年12月31日オープン、509.2メートル、地上101階+地下5階、内69階分はオフィス。かつては完成建築物として世界一高いものだった。
台北信義区 四四南村
台湾の重要な年次、1949年に蒋介石は中国本土から台湾に中華民国を遷移する。その時の軍人の村、眷村の一つ四四南村がちょっとばかりリノベーションして観光スポットに変身したのです。
台湾とはどうとらえていいか、困ってしまう不思議な国なのです。
先住民族の時代(マレーポリネシア系先住民族 1624以前)
オランダ占領時代(1624-1661)
中国時代(鄭氏がオランダを駆逐、その後清国領、1661-1895)
日本時代(1895-1945)
中華民国(1945- 日本敗戦後中国は中華民国であったが、1949に中国本土は中華人民共和国となり、中華民国は台湾に逃げる)
つまり、この四四南村はスケールこそちいさいけれど、ボストン近郊のイギリスからアメリカに逃げたピューリタンらが上陸したプリマス・プランテーションの再現村 Plimoth Plantationに等しいのです。
マサチューセッツ州Plimoth Plantation(2020年からPlimoth Patuxet Museumsと改名)
ここでは当時の服装の人達が当時の言葉で、プリマス・プランテーションを再現している歴史村なのです。我々は以前、ここを訪れて、とても印象に残っています。現在も同じように運営されているかは不明。
プリグリム・ファーザーズが現在のアメリカ合衆国に発展するのです。四四南村から 101階建て台北101ビルを有する台湾に発展しました。台北の故宮博物館には蒋介石が移動させた中華民国の膨大な栄華資産が展示されていますが、台湾にはここで生まれた文化は80年くらいの歴史しかないのです。むしろ日本時代に台湾の近代化に向けた色々な仕掛け(農業、工業、商業etc)が現在の台湾の元になっています。四四南村の建物も旧日本陸軍倉庫を改修して住居としたものです。しかし、そんな過去の日本との関係を知らない若い世代に台湾は移行しています。これから台湾はどうなる、日本との関係はどうなる。
次は台湾新幹線(高鉄)
行政区 面積(km2) 人口(2019年5月末)
台北市 Taipei City 271.7997 2,658,615
新北市 New Taipei City 2,052.57 4,003,294
桃園市 Taoyuan City 1,220.95 2,232,623
台中市 Taichung City 2,214.90 2,809,545
台南市 Tainan City 2,191.65 1,882,624
高雄市 Kaohsiung City 2,951.85 2,773,026
台北市は一番大きな都市と思っていましたが、人口的には最北端の新北市がダントツに人口が多く、台北は台中、高雄に続く4番の都市でした。しかし、経済、政治、文化の最大の中心としてあることは間違いありません。最近人が増えているのが台中で、最近の一番人気らしいです。台北観光の定番、今回も訪ねた十分、九分は新北市です。ちなみに台湾の面積は九州よりちょっと小さいくらいです。
日本の東京や、韓国のソウルみたいにやたら一極集中とならないところが不思議です。日本や韓国の一極集中を生み出すなにものかが諸悪の根源と考えている当方にとって、台湾がそうならない理由が知りたい。
高鉄の駅名で、南湾は台北市であり、左営は高雄市です。桃園は国際空港がある街です。高鉄は平野の多い台湾の西側を走り、中央山脈に接する東側はこの前、大地震がありました。こちら側に新幹線が通ることはないでしょう。移動手段としてはこれも西側の南北に3本の奇数番号の高速道路(快速公路)と東西方向にいくつかの偶数番号高速道路があります。国道は全て有料高速道路となります。西側に比べると東側はずいぶんと不便なようです。
当方にとって台湾は2度目ですから、興味は観光地でなく、高鉄沿いの、台湾西側の都市がどんな状態なのか、どんな特徴があるのか雑駁な印象を手に入れることにあります。何故なら、台湾有事が起きた時に、日本はどうするか、その時自分はどういう考えで行動するかの根拠となるのが、この印象にあると思うからです。
行きにはバスで台中、嘉儀によって、高雄に行き、帰りは台南から高鉄で一気に台北に戻ったのです。
まずは高雄の街
台北よりずっと離れた南の街なので、南国風の街かと思いきや、工場や学校の集まる活発な産業都市でした。
まずは、観光ツアーで必ずたずねる蓮池潭(レンチタン)
高雄、蓮池潭(レンチタン)龍虎塔 現在修理中
修理前はこんな具合。(ネット情報)
蓮池潭は淡水人口湖です。何故か津波注意という立て看板があるので変だと思ったら、蓮池潭風景区から西に1kmほどで海でした。南に5kmほどで高雄港のクルージング出発点にでます。ここから台湾海峡をクルージングできます。現在、のんきにクルージング出来るのか知りません。当方はただ台湾海峡が見たかったと思うのです。
今回の旅で、黄色、紫色、赤色の花をつけた街路樹をよく見ました。台湾は一年中、花が咲いているそうです。
これは赤い花の一つ、 ホウオウボク(鳳凰木)の花です。卒業シーズンに咲く花であることから、卒業式に咲く花、卒業生の門出を見送る花として知られています。台湾の赤い花はもう一つノウゼンカズラ科の 火焔木(カエンボク)の花があるようで、これも道すがらよく見ていると思うのですが、写真はありません。
車中から何度も見る黄色い花。ゴールデンシャワーと呼ばれるナンバンサイカチの花、中国名は[阿勃勒(アーボーロー)]だそうです。なかなか魅力的なゴールデンシャワーです。
問題はこの紫色の花、あちこちに咲いている。帰って調べればすぐわかると思ったのに、ネットで調べてもわからない。薄紫の花というとジャカランダは三大街路樹として有名なのでネットにいっぱい出てくるけれど台湾であちこちに咲いているかはわからない。生成AIに聞いてみたが、やっぱりよくわからない。なんということか。ネットで何でもわかると思ったら大間違い、見当違いだとまったく情報が得られない。だけど台湾のネット情報というのはとっても偏っている。誰か教えてください。
あと街路樹で有名なのはカジュマルとマンゴー。カジュマルは沖縄でよく見るのと同じ、台湾にいっぱい存在します。街路樹のマンゴーはちゃんと熟して、むしろ落果が危険と言って市が採取作業するらしい。
高雄の夕食は海鮮中華
大きな伊勢海老の看板なので、エビが売りのようです。
蒸しエビ、1人2匹に決まっています。美味しいのではあるが2匹ではしょうがない。
蒸し海老とシシャモ(?)のフライ烏賊と野菜を甘酢炒め等々。この魚はシシャモみたい、まさか台湾でシシャモが出てくるとは。調べてみると日本で普通に食べるのは北海道の本物のシシャモでなく、カナダやロシアなどから輸入される類似品。いずれにせよ北の魚。台湾の人はポピュラーに揚げて食べているらしいが、どうみても輸入品。ここの料理はマイルドな味付けで、おいしさもマイルド(普通程度)。このツアーの料金は驚くほどリーズナブルなので、豪華な料理は期待する方がおかしい。といって、絶望というわけではありません。そこそこでまとめるところはたいしたもの。
台湾の料理屋でお酒といえばこの台湾ビールしか出てこない。アルコール度が低くて間違いなくおいしい。我々ツアー客はたった7人。男性は当方ともう一人だけ。この方は結構飲む方なので、シェアというわけに行かず。当方はいつも一人一ビン飲む羽目になる。
夕食後は高雄観光定番の美麓島駅へ。
高雄、美麓島駅。高雄地下鉄駅、世界で最も美しい駅2位、世界最大のステンドグラスアート。イタリアのアーティストと日本の技術者の合作らしい。
構内のコンビニを探検
日本のお菓子が並びます。
地下鉄、美麓島駅上部の光景
お馴染みの台湾、バイク群れの光景。
高雄では高雄圓山大飯店に泊まります。
高雄圓山大飯店外見拝見。Fujifilm X-T5のレンズはZeiss touit 32mm(実質48mm)一本で押し通しているので、一部しか映っていません。すみません。
ホテル、ロビー拝見。
ホテルからの町並み拝見。
ホテル部屋バルコニーの眺め
圓山大飯店は台北の方が上だとツアー客がブツブツ言う。そんなこと最初からわかっていることで、なにをブツブツいうか。
これは台北から帰りの飛行場へ行く途中で撮った、台北の圓山大飯店。こちらは500室、9階建て。高雄の圓山大飯店は107室、5階建て。(この写真が、本台湾旅行の最後の写真)
なんせ、夜8時30分頃にホテルについて、朝7時30分には出発ですから、台北と高雄の圓山大飯店の良し悪しなどどうでもいい話で。このツアーでは町を散策するチャンスが全くありません。翌朝バスから必死に街を撮影しますが、このバスの窓が超汚い。必死に修正しますが、これが限度でどうしようもない。このバスの窓の汚さのおかげで、大半の写真が汚くて、本当に、本当にすみません。
今日はここまで、次回は高雄から台中までの旅。
2024-5-19~5-22
最近の円安の影響(原因はこれだけではないかも)で海外旅行はバカ高く、家内は海外旅行のチラシを見て、海外はしばらく忘れましょうといいつつ、台湾ならいけるかもという考えになる。当方は、富山の居酒屋で海の幸を肴にお酒を飲んだ方が楽しいことは間違いないのだが、時にはあちらに合わせて、時にはこちらに合わせてもらうやり取りが自然の流れ。台北は以前行ったが、南の方は行ったことがない。南の高雄まで行って、新幹線で台北に戻るという3泊4日のツアーを選択。このツアーは新幹線以外に高雄で高雄圓山大飯店、台北でグランドハイアット台北という高級ホテルに泊まることが売りになっている。家内はここに魅かれたらしい。当方はこの旅にどういう意義を見出すか不明のまま旅に出た。
しかるに、カメラは徹底的にシンプル。Fujiilm X-T5 + Zeiss touit 32mm一本で押し通しました。わずか数ショットはZeiss touit 12mmをつかっています。観光写真は極力撮らずに、街の風景を撮ろうとしたのですが、フリータイムが殆ど無くて、バスの汚い窓からの撮影ばかりになりました。スナップにはZeiss touit 32mmが抜群に素晴らしいはずなのですが、見せ場もありません。しかし、この組み合わせはよく状況に対応していると思いますよ。
この写真は旅行の最終日のわずかなフリータイムの時訪ねた、台北の眷村(軍人村)の跡地、四四南村(スースーナンツン)から 101階建て台北101ビルを望む写真。この写真の意味を述べることで、この旅行の旅行記にしましょう。台湾の観光地はもう皆さんご存知でしょうから書いても面白くないでしょう。ザクっと台湾を知るための基本情報から始めます。つまらんと言わずに読んでください。後できっと役に立ちますよ。
しかし、ずいぶんと地味な旅行記になったもんだよ。当方にとっては数日で丸っと台湾を理解し、有意義な時をすごしたと自負しているのですが?
台北101 2004年12月31日オープン、509.2メートル、地上101階+地下5階、内69階分はオフィス。かつては完成建築物として世界一高いものだった。
台北信義区 四四南村
台湾の重要な年次、1949年に蒋介石は中国本土から台湾に中華民国を遷移する。その時の軍人の村、眷村の一つ四四南村がちょっとばかりリノベーションして観光スポットに変身したのです。
台湾とはどうとらえていいか、困ってしまう不思議な国なのです。
先住民族の時代(マレーポリネシア系先住民族 1624以前)
オランダ占領時代(1624-1661)
中国時代(鄭氏がオランダを駆逐、その後清国領、1661-1895)
日本時代(1895-1945)
中華民国(1945- 日本敗戦後中国は中華民国であったが、1949に中国本土は中華人民共和国となり、中華民国は台湾に逃げる)
つまり、この四四南村はスケールこそちいさいけれど、ボストン近郊のイギリスからアメリカに逃げたピューリタンらが上陸したプリマス・プランテーションの再現村 Plimoth Plantationに等しいのです。
マサチューセッツ州Plimoth Plantation(2020年からPlimoth Patuxet Museumsと改名)
ここでは当時の服装の人達が当時の言葉で、プリマス・プランテーションを再現している歴史村なのです。我々は以前、ここを訪れて、とても印象に残っています。現在も同じように運営されているかは不明。
プリグリム・ファーザーズが現在のアメリカ合衆国に発展するのです。四四南村から 101階建て台北101ビルを有する台湾に発展しました。台北の故宮博物館には蒋介石が移動させた中華民国の膨大な栄華資産が展示されていますが、台湾にはここで生まれた文化は80年くらいの歴史しかないのです。むしろ日本時代に台湾の近代化に向けた色々な仕掛け(農業、工業、商業etc)が現在の台湾の元になっています。四四南村の建物も旧日本陸軍倉庫を改修して住居としたものです。しかし、そんな過去の日本との関係を知らない若い世代に台湾は移行しています。これから台湾はどうなる、日本との関係はどうなる。
次は台湾新幹線(高鉄)
行政区 面積(km2) 人口(2019年5月末)
台北市 Taipei City 271.7997 2,658,615
新北市 New Taipei City 2,052.57 4,003,294
桃園市 Taoyuan City 1,220.95 2,232,623
台中市 Taichung City 2,214.90 2,809,545
台南市 Tainan City 2,191.65 1,882,624
高雄市 Kaohsiung City 2,951.85 2,773,026
台北市は一番大きな都市と思っていましたが、人口的には最北端の新北市がダントツに人口が多く、台北は台中、高雄に続く4番の都市でした。しかし、経済、政治、文化の最大の中心としてあることは間違いありません。最近人が増えているのが台中で、最近の一番人気らしいです。台北観光の定番、今回も訪ねた十分、九分は新北市です。ちなみに台湾の面積は九州よりちょっと小さいくらいです。
日本の東京や、韓国のソウルみたいにやたら一極集中とならないところが不思議です。日本や韓国の一極集中を生み出すなにものかが諸悪の根源と考えている当方にとって、台湾がそうならない理由が知りたい。
高鉄の駅名で、南湾は台北市であり、左営は高雄市です。桃園は国際空港がある街です。高鉄は平野の多い台湾の西側を走り、中央山脈に接する東側はこの前、大地震がありました。こちら側に新幹線が通ることはないでしょう。移動手段としてはこれも西側の南北に3本の奇数番号の高速道路(快速公路)と東西方向にいくつかの偶数番号高速道路があります。国道は全て有料高速道路となります。西側に比べると東側はずいぶんと不便なようです。
当方にとって台湾は2度目ですから、興味は観光地でなく、高鉄沿いの、台湾西側の都市がどんな状態なのか、どんな特徴があるのか雑駁な印象を手に入れることにあります。何故なら、台湾有事が起きた時に、日本はどうするか、その時自分はどういう考えで行動するかの根拠となるのが、この印象にあると思うからです。
行きにはバスで台中、嘉儀によって、高雄に行き、帰りは台南から高鉄で一気に台北に戻ったのです。
まずは高雄の街
台北よりずっと離れた南の街なので、南国風の街かと思いきや、工場や学校の集まる活発な産業都市でした。
まずは、観光ツアーで必ずたずねる蓮池潭(レンチタン)
高雄、蓮池潭(レンチタン)龍虎塔 現在修理中
修理前はこんな具合。(ネット情報)
蓮池潭は淡水人口湖です。何故か津波注意という立て看板があるので変だと思ったら、蓮池潭風景区から西に1kmほどで海でした。南に5kmほどで高雄港のクルージング出発点にでます。ここから台湾海峡をクルージングできます。現在、のんきにクルージング出来るのか知りません。当方はただ台湾海峡が見たかったと思うのです。
今回の旅で、黄色、紫色、赤色の花をつけた街路樹をよく見ました。台湾は一年中、花が咲いているそうです。
これは赤い花の一つ、 ホウオウボク(鳳凰木)の花です。卒業シーズンに咲く花であることから、卒業式に咲く花、卒業生の門出を見送る花として知られています。台湾の赤い花はもう一つノウゼンカズラ科の 火焔木(カエンボク)の花があるようで、これも道すがらよく見ていると思うのですが、写真はありません。
車中から何度も見る黄色い花。ゴールデンシャワーと呼ばれるナンバンサイカチの花、中国名は[阿勃勒(アーボーロー)]だそうです。なかなか魅力的なゴールデンシャワーです。
問題はこの紫色の花、あちこちに咲いている。帰って調べればすぐわかると思ったのに、ネットで調べてもわからない。薄紫の花というとジャカランダは三大街路樹として有名なのでネットにいっぱい出てくるけれど台湾であちこちに咲いているかはわからない。生成AIに聞いてみたが、やっぱりよくわからない。なんということか。ネットで何でもわかると思ったら大間違い、見当違いだとまったく情報が得られない。だけど台湾のネット情報というのはとっても偏っている。誰か教えてください。
あと街路樹で有名なのはカジュマルとマンゴー。カジュマルは沖縄でよく見るのと同じ、台湾にいっぱい存在します。街路樹のマンゴーはちゃんと熟して、むしろ落果が危険と言って市が採取作業するらしい。
高雄の夕食は海鮮中華
大きな伊勢海老の看板なので、エビが売りのようです。
蒸しエビ、1人2匹に決まっています。美味しいのではあるが2匹ではしょうがない。
蒸し海老とシシャモ(?)のフライ烏賊と野菜を甘酢炒め等々。この魚はシシャモみたい、まさか台湾でシシャモが出てくるとは。調べてみると日本で普通に食べるのは北海道の本物のシシャモでなく、カナダやロシアなどから輸入される類似品。いずれにせよ北の魚。台湾の人はポピュラーに揚げて食べているらしいが、どうみても輸入品。ここの料理はマイルドな味付けで、おいしさもマイルド(普通程度)。このツアーの料金は驚くほどリーズナブルなので、豪華な料理は期待する方がおかしい。といって、絶望というわけではありません。そこそこでまとめるところはたいしたもの。
台湾の料理屋でお酒といえばこの台湾ビールしか出てこない。アルコール度が低くて間違いなくおいしい。我々ツアー客はたった7人。男性は当方ともう一人だけ。この方は結構飲む方なので、シェアというわけに行かず。当方はいつも一人一ビン飲む羽目になる。
夕食後は高雄観光定番の美麓島駅へ。
高雄、美麓島駅。高雄地下鉄駅、世界で最も美しい駅2位、世界最大のステンドグラスアート。イタリアのアーティストと日本の技術者の合作らしい。
構内のコンビニを探検
日本のお菓子が並びます。
地下鉄、美麓島駅上部の光景
お馴染みの台湾、バイク群れの光景。
高雄では高雄圓山大飯店に泊まります。
高雄圓山大飯店外見拝見。Fujifilm X-T5のレンズはZeiss touit 32mm(実質48mm)一本で押し通しているので、一部しか映っていません。すみません。
ホテル、ロビー拝見。
ホテルからの町並み拝見。
ホテル部屋バルコニーの眺め
圓山大飯店は台北の方が上だとツアー客がブツブツ言う。そんなこと最初からわかっていることで、なにをブツブツいうか。
これは台北から帰りの飛行場へ行く途中で撮った、台北の圓山大飯店。こちらは500室、9階建て。高雄の圓山大飯店は107室、5階建て。(この写真が、本台湾旅行の最後の写真)
なんせ、夜8時30分頃にホテルについて、朝7時30分には出発ですから、台北と高雄の圓山大飯店の良し悪しなどどうでもいい話で。このツアーでは町を散策するチャンスが全くありません。翌朝バスから必死に街を撮影しますが、このバスの窓が超汚い。必死に修正しますが、これが限度でどうしようもない。このバスの窓の汚さのおかげで、大半の写真が汚くて、本当に、本当にすみません。
今日はここまで、次回は高雄から台中までの旅。