小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

自然教育園日記 その194 カワセミの巣立ち

2021-06-30 21:05:40 | 写真日記
自然教育園日記 その194 カワセミの巣立ち

2021-6-26
今日の機材は動き物撮影用軽量新システムである、Fujifilm X-T3 + Fujifilm XF 70-300mm オンリーにしたのだが、ちょうどタイミングよくやたらカワセミが飛び回る。
カワセミの子供が巣から出て来て、魚取の練習に余念がない。親鳥(オス)は練習の具合を見ながら、餌を与えるのを焦らす。
こんな光景は来週には終わって、子供たちは巣立って行かねばならない。縄張りは厳密で、決して妥協できない。妥協すれば全員が食べて行けないし、繁殖も不具合が生じる。
聞くところによると、親が出て行く場合もあるとのこと。笑っちゃうよ、当家の場合はどうなるのだ??



このシステム実質540mmであるが、ヒョウタン池の奥ではこれでは足りずにかなりのトリミング拡大が必要である。暗いところでシャッター速度1/1000では苦しい。


上の元絵



子供たち。まだ羽の色がきれいになっていない。



近くで、プレ撮影出来れば、これくらいの写真はすぐ撮れる。





二羽の子供たちが交代で魚取の練習。















ヒョウタン池の奥で、3羽の子供たちが戯れる。


上の元絵



手前に1羽いるのは親だろうか?




上の元絵 



じゃれているのは今の内、すぐに独り立ちの時は来る。



Fujifilm X-T3 + Fujifilm XF 70-300mm はSony α1やα9の鳥撮り写真と比較すると、大人と子供の違いがありますが、このシステムは1.2kgと軽いから、しばらくは使うしかしょうがない。Sony α1やα9はフルサイズだから、600mmを得るには重たいレンズを持つことになり、コストはかかるし、重たいし、恐ろしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然教育園日記 その193  新機材2台体制―2

2021-06-25 17:41:36 | 写真日記
自然教育園日記 その193  新機材2台体制―2
2021-6-8~24

動き物撮影用軽量システム、Fujifilm X-T3 +XF70-300mm F4-5.6
絵画的写真撮影用システム FujifilmGFX100S + GF110mm F2

この2つのシステムは同時に持って行けるギリギリの重さの機材です。 といっても最近は暑いのでどちらか片方を持って行くことが多い。しかし、元気な時は2台持って行きます。

以下、Fujifilm X-T3 +XF70-300mm プレ撮影システム使用








Fujifilm X-T3 +XF70-300mmの撮影はかなりトリミング拡大しています。このシステムは予想よりずっとトリミング拡大能が優れています。しかし飛び鳥をAFで追うのは難しいので、約55回プレ撮影ショット/日X 4日で採用したショットは4ショット。約2%の歩留まり。

以下Fujifilm GFX100S +GF110mm
GF110mmのボケを生かして、大きく前ボケを取り込んで、絵画的写真を狙っています。同時にFujifilm GFX100Sの高画素を生かして、大きくトリミング拡大をしています。虫には確実なピントが必要なので、MFが望ましいのですが、三脚無し且つ動く虫にはMFは難しく、ここではAFを使っています。後ろの小さな虫にAFでピントを合わせ、前ボケをかぶせるのですが、虫は動いているのですから、なかなか難しい。500ショットで12ショットを採用。約2.4%の歩留まり。

























最後の3ショットは遠くから撮影してトリミング拡大、Fujifilm GFX100Sのトリミング拡大能を利用しただけ。

撮る目的により機材を選ぶのは当然ですが、そればかりではありません。 優れた機材はその人にそれまでと違った、予想を越えた撮り方を与えるのです。思い切っていい機材を手に入れましょう。新しい世界に連れて行ってくれます。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然教育園日記 その192 2021年春夏写真展、出展準備

2021-06-16 15:58:47 | 写真日記
自然教育園日記 その192 2021年春夏写真展、出展準備

021-6-16
今年の春夏写真展は緊急事態宣言で自然教育園が休園となった影響で、春の盛りに撮影が出来ず困りました。写真クラブの面々は6月に入って展示会に出せそうな作品作りに一生懸命になっています。いい写真を手に入れた方は、ニンマリとまたはホッとしていることでしょう。 当方も一億画素Fujifilm GFX100Sを生かそうと思うのですが、毎年6月は苦戦の月なのです。重たいFujifilm GFX100S+GF110mmを抱えて、連日自然教育園に通っています。いまのところニンマリとはほど遠い。

白の風景

シャガ 〇 (白の風景) Fujifilm GFX50S + GF120mm Macro

今年撮影の水滴バージョンです。(ガラスに水滴を作り花の前に置く)


ハナニラ △(ハナニラの宇宙) Fujifilm GFX50S + GF120mm Macro

昨年撮影の<リアルを越える>バージョンです。今年はいいのが無くて昨年の物から引っ張り出しました。 (この撮り方は秘密)


ニリンソウ Fujifilm GFX50S + GF120mm Macro

今年撮影のプロジェクションマッピング・バージョンです。(ハンディー・プロジェクターで画像を投射する)

今年の<リアルを越える>は多くの時間とエネルギーをついやしたにもかかわらず、水滴シリーズもプロジェクションマッピング・シリーズも会心作がなく、これが一番痛い。


Fujifilm GFX100S + GF110mm

このシステムを生かした最近の撮影方法、前ボケ+トリミング拡大(後述)の直近作


青の風景

Fujifilm GFX100S + GF110mm


〇 (青の風景)  Fujifilm GFX100S + GF110mm

これは Fujifilm GFX100S + GF110mm システムにおけるGF110mmのボケを生かそうと苦心しているうちに偶然出来上がった絵です。手前の紫陽花を入れると遠くの虫は極めて小さくなるので、ガンガンにトリミング拡大しているのです。つまりFujifilm GFX100S + GF110mm システムのトリミング拡大能とGF110mmのボケ双方を利用しています。GF110mmは前ボケも後ろボケもとても魅力的な色と形になるので、色々なアイデアが浮かんできます。本当に魅力的なシステム、世界一のシステムと感じています。自然教育園に限定されると、そう簡単にいい場面に出くわすわけではないのでこれからをご期待ください。


△ (紫陽花色の風景) Fujifilm GFX100S + GF110mm

その後の作、この虫、こんな面白い触角を持っているとは知りませんでした。

緑の風景

〇 (緑の風景) Fujifilm GFX100S + GF110mm


Fujifilm GFX100S + GF110mm

6月に撮れる風景ものといったら新緑しかないので、Fujifilm GFX100S + GF110mmで細密描写とボケのミックスを何とか表現しようと何度も撮影しています。これらは大きな画面で印刷しないと真価が発揮できません。画素数を落とした小さいブログ写真では無理です。


Fujifilm GFX50S + GF100-200mm


△(新緑の風景) Fujifilm GFX50S + GF100-200mm

この2枚は今年の4月にFujifilm GFX50S + GF100-200mmで撮影したもの。池に倒れ込んだ木のフォルムが面白いので、定点観測しているうちにサギと亀が入り込んだ、バイ・チャンス物です。

6月中に展示作品3点を決定しなければなりません。今のところ 〇印を出すつもりですがより分かりやすい△印という考えもあり迷っています。まだ半月ありますから、雨ものを撮ってみましょうか。

3枚とも全紙印刷するつもりです。いずれの絵も注目を集めるレベルに達していないのですが(元々自然教育園の観客は絵画的風景など全く興味ないのです)、中判カメラでの撮影を生かすためには全紙印刷しかない。 観客の興味がないものに高い全紙印刷でコスト(1万円)をかけるのはつらいですが、自分の主張を曲げるわけにはゆきません。

自然教育園写真展示会は7月22日から9月5日です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然教育園日記 その191 新撮影システム2台体制―1

2021-06-12 20:25:58 | 写真日記
自然教育園日記 その191 新撮影システム2台体制―1
2021-6-1~6-11
Fujifilm GFX100S + GF110mm

この組み合わせの特徴、① トリミング拡大により原図とは違う絵を作り出す。 アップの写真はみなこれです。② ディテールの細密描写による、リアルを越える ③ 大胆な前ボケによる絵画的表現 を追求しています。まだまだですが、この組み合わせはボケの意味を教えてくれました。特に上記③はこの組み合わせで初めて気が付いた、第4の一億画素のポイントです。

























2021-6-2~6-11
Fujifilm X-T3 + Fujifilm XF70-300mm  プレ撮影システム使用

このシステムは確かに1.2kgと軽量で540mmをたたき出す。Fujifilm GFX100S + GF110mmとこのシステムの2台体制で撮影しています。4kgになりますから大変ですが、何とかやっています。暑い中、拷問に近いですが。 AFが素晴らしいとはいいがたい。エナガの群れに出くわしたときに、プレ撮影を連発したところ、撮影バッファーが不足して、連写スピードが大幅ダウン。エナガの集合写真が連写にならなくて一枚のみの撮影になってしまいました。動き物撮影では今のところ何とか使える状況です。

































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2021 陶芸財団展

2021-06-10 18:09:22 | 写真日記
2021 陶芸財団展

2021-6-23~27 国立新美術館 展示室3Bで陶芸財団展が開かれます。
当方は3点出展して(今回初めて公募展に出品したのです)、3点とも入選の通知がきているので、展示されるはずです。
コロナで危なかったのですが、開催されそうです?


海のデッサンー1


海のデッサンー2


海のデッサンー3

海のデッサンー1は80cm四方、30kgある大作で、賞狙いでしたが、何の賞も通知に書いてなかったので、外れのようです。あとの2点は海のデッサンー1のための予行演習作品で大した作品ではありません。30~40cm四方の小さなものです。ただ海のデッサンー3はガラスブロックが2つ入った、陶器とガラスのハイブリッドです。このようなハイブリッドが陶芸財団展で受け入れてもらえるかを試してみたわけです。
ちなみに2016年の受賞作品がネットに出ていました(なんで2016年なのかな、 2021年の間違いじゃないか??)。とにかくこんな感じのものが大賞をとるようです。 39種も賞があるのだから、どっかに引っかかっても良さそうなのですが? お呼びでなかった。


文部科学大臣賞
時空の膜~ブレーン宇宙論~ 上野昌則


陶芸大賞 伝統部門
山里の春 宮代房子


陶芸大賞 前衛部門
転生 大国成子

当方の海のデザインー1は作品応募日、前日に完成した状態で、メインパーツ2つはばっつり割れたのをつないであるし、全てのパーツが歪んでガタガタ状態、満身創痍なのです。作り直す時間があれば賞をとれるはずなのですが????
全部で12個のパーツをコンパネに上に集合しているのです。主要パーツは素焼き、本焼き、上絵、ガラス、上絵修正と少なくとも5回窯を出入りしています。30kgの作品を一人で、添え木をあてて、40本くらいのビスでネジ止めしているのです。

現在来年用の作品を作っています。同じ感じで、また30kgと格闘中です。また同じように割れて、作り直しの繰り返し。本当に大変。

当方は今回インテリア部門に出品しましたが、伝統部門、茶器部門以外に前衛部門、実用食器、人形もあり、陶芸財団展は間口の広い公募展であることが特徴です。当方のような純粋芸術的アプローチも受け入れられるかもしれないと思って出しているのですが、ガタガタ状態だから落ちたのか、丸いロクロワークでないと受からないのかわかりません。当方が審査員だったら、このガタガタ状態の作品に賞を与えることは展示会の品格を落とすと思って、まずありえない。しかし、当方のアプローチは<陶絵画>と銘打って、かなりユニークと思うのですがいかがでしょうか?
賞を取る作品は、よく見ると立派なものなのですが、ちっとも面白くない。伝統だの前衛だのいっても毎年似たり寄ったりの作品ばかりで、当方の<陶絵画>は面白いと思うのですが???

さて、当方がずっと言ってきたこと、日本伝統工芸と西洋発アートの分断についてです。
日本伝統工芸は実用品から発生し、応用芸術から純粋芸術まで広がっています。展示会に出てくる大きな壺や皿は、使おうと思えば使えますが、実際は鑑賞用で、純粋芸術といえます。西洋発アート、絵画・彫刻は鑑賞することが目的の純粋芸術です。発祥は、宗教的あるいは為政者の為の実用的存在であったものが、早い時期に純粋芸術に変身していったと思われます。

誰もそのような差別を主張していないのに、日本人一般の日本伝統工芸と西洋発アートに対する受け取り方が、片方は応用芸術、片方は純粋芸術と何故かばっつりと2分されているのです。

陶芸を例にしますと、美大の陶芸科を卒業した方は、美大で純粋芸術としての陶芸を学びますが、卒業してからそのままでは食べていけないので、もう一度窯元に修行に出てロクロを学び、陶芸教室を開くしかないのです。一般の人は陶芸とはロクロで丸いお皿や茶碗を作り、料理を入れて楽しむものと決めてかかっているのです。

間口を広げて、陶芸振興を図る陶芸財団展ですら水がもれる使えない器はあり得ないのです。一般の方が陶器を買う場合でも、傷があったり歪んでいたりすれば売れないのです。工芸の字のごとく技術がまず第一です。一方、純粋芸術、西洋発アートはまず作者の主張・感性が第一です。技術が無くてもいいということではありませんが、二番目です。極端な例ですがニキ・ド・サンファルは壁にぶら下げたペンキ缶をライフルで打ち抜き、流れるペンキを芸術としたわけです。最初からそうであったわけでなく、そのようにアートを変革していったのです。

日曜美術館で倉敷の大原美術館(西洋アートを日本に紹介する為に作られた草分け的美術館)をある女優が紹介しているのですが、西洋アートの棟と別に日本工芸の棟があって(これもはっきり2分されている証です)、ここの陶磁器を見て、わたしはこれが好き、陶磁器を見るときはいつも、これに料理をのせたらどうなかイメージしながら見ると言っていました。日曜美術館で、西洋発アートを紹介する時に、使ったときのイメージで見るなどという言は聞いたことが無い。

日本伝統工芸と西洋発アートの分断は日本人全体が暗黙のうちに作り上げているのです。そして、西洋発アートはマイナーであり食べて行けない。

西洋発アートの美術館はいっぱいあり、多くの人が見に行くではないか。でも西洋発アートは一般の人の生活の中には入り込んでいないのです。だから西洋発アートでは食べて行けない。

当方の陶絵画は純粋芸術を目指しています。日本伝統工芸の流れで陶絵画を作っているわけではありません。西洋発アートの流れにたまたま陶芸技術を利用しているのです、だからガラス工芸技術の利用もしている。これが陶芸財団展に理解されるか否かはわかりません。だめなら、ほかの展示会を探します。それでもだめでも、同じ方向で作り続けるでしょう。
別に賞の為に作っているのではありません。賞をもらったと書かないと買ってくれないと思うからです。買ってくれないと30kgがどんどんたまって、家が傾いてしまう。誰かが買ってくれるなら全然問題ないのです。

ちなみに、海のデッサンー1が5万円、2が2万円、3が3万円(ガラスは原価が高い)で売りに出しています。海のデッサンー1が満身創痍でなければ、5万円ならメチャクチャ安いと思うのですが??

しかし、少なくとも満身創痍の作品ではどうしようもない。なんとかちゃんと作り上げなければ。ほんとこの歳で大変なのです。3階の3畳の部屋でパーツを作り、駐車場の窯で焼いて、行ったり来たりを繰り返し、リビングルームで30kgを組み立てる。展覧会用搬入所に車で運んで、また撤収する。何度も何度も。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする