小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

<全くの独り言> 

2024-08-22 13:57:28 | 日記
<全くの独り言> 

次なる作品のアイデアを得るために、海で波を撮りたいし、きれいな水面や流れも撮りたい。熱中症警戒アラートや台風や大地震警戒で近くにも遠くにも出歩くことがはばかられる。ここのところずっとだ。ブログネタがない。しかたないので、<独り言>をブツブツ書くしかない。
結局3つ書きました。
その1、トランプと<反アメリカ・グローバリズム>
その2、岸田氏はなぜ受けなかったか?
その3、 ポスト岸田

普通なら3回に分けてアップするのですが、まあ読む人もいないだろうし、3回もブログを占拠する必要も無かろうといっぺんにアップします。万一読もうと思う方は興味あるところをよんでくさい。世の中の状況はどんどん変わってきますから、のたのたアップしてもトンチンカンになってしまうこともいやですし。

<全くの独り言> その1,トランプと<反アメリカ・グローバリズム>

2009年12月に中欧の旅をしました。この時のゴシック建築の印象が、常によみがえります。
何が言いたいかというと、<キリスト教・グローバリズム>の恐ろしさです。


チェコ プラハ プラハ城内 <聖ビート教会> 周囲とはやけに違和感のある典型的ゴシック建築


いずれもプラハ城内にある、ゴシック建築教会とチェコ的教会の対比


ハンガリー ブダペスト マーチャーシ教会 ゴシック建築をはねのけた、これこそハンガリーの文化
(詳しくは2010年1月開始の連載、中欧物語をご覧ください)。
(註:現在チェコとハンガリーは直接地続きでなく、チェコスロバキアが地続きだったのが、チェコとスロバキアに分裂したのでこうなったのです)

キリスト教はキリスト教の正義を世界中に広めて、キリスト教一色に塗りつぶそうとすること自体が天命と考える宗教であるから、キリスト教国が制圧した国にはゴシック建築の教会を立てて、その権威をしめし威圧した。土着の文化など蹴散らした。チェコではかろうじてゴシック建築と土着の建築が半々になり、ハンガリーではキリスト教に改宗しても教会は土着の文化をガンとして守った。ヨーロッパの各地でこのせめぎ合いを見て来た。

<キリスト教グローバリズム>は<アメリカ・グローバリズム>にすり替わった。(註:キリスト教を深く信じる人が<アメリカ・グローバリズム>にスライドしたわけではありません。<力、正義、世界を覆う>という流れを当然と思う素地のルーツがキリスト教にあると言っているのです。むしろキリスト教を深く信じる人が<反アメリカ・グローバリズム>の中心にいます。)  本当のグローバリズムと<アメリカ・グローバリズム>の違いを気にしている人がどれくらいいるか?
  
この独り言で何を言いたいかというと、<本当のグローバリスム>がいつのまにか<アメリカ・グローバリズム>と混同され、こちらがメインストリームとなり世界中を覆う危険性とこれに反抗する勢力が単なる<ナショナリズム>に走る危険性をいいたいのです。

<キリスト教グローバリズム>とはキリスト教は正義であるから、世界をキリスト教一色に染めようとする考えです。<アメリカ・グローバリズム>も同じ、アメリカは正義であるから、世界をアメリカ一色に染めようとするのです。 アメリカが正義なら、最も力のある国、アメリカが世界をアメリカ色一色にして秩序を保つことは世界平和を保つという意味ではありかもしれない。しかし、アメリカ、イコール正義ではなく、アメリカに都合のいいように世界を一色にしようとすることが見え見えである。アメリカが最も力のある国でもなくなってきて、矛盾を抑え込むことが出来ずに、ぼろぼろホツレが露見する。これまでのトランプ快進撃の根底は<反アメリカ・グローバリズム>なのです。<アメリカ・グローバリズム、世界イコールアメリカ主義>のホツレをうまく利用して、不満の力を一手に掌握した。例えば世界の警察を維持するためにほったらかしにされたラスト(錆)ベルトの不満です。トランプが単なる<ナショナリズム/自国優先主義>を基盤とするなら、ここまで拡大出来なかったと思うのです。

ところが<アメリカ・グローバリズム>の旗艦バイデンがこけて、<アメリカ・グローバリズム>と<反アメリカ・グローバリズム>の対立が突然消えてしまった。この対立はただのわめく爺さんとポリティカルコレクトネス<ポリコレ>(特定の人物に対して不快感や不利益を与えないようにする行為のこと。現代では、人種や宗教、性別や見た目などにおいて差別や偏見を含まない中立的な表現を用いること)の対立に成り下がった。

このまま<反アメリカ・グローバリズム>は終わるのか? <アメリカ・グローバリズム>の矛盾はちっとも消えないどころかますます鮮明になってゆく。例えば、イスラエルを火種とする中東の戦いはエスカレートする。ガザの子供が殺されて、世界中のポリコレはイスラエルを一方的に非難する。イスラエルは自衛権行使という、当方もその通りと思う。しかし、アメリカはイスラエルのやりすぎにはずっと目をつぶって来た。なんたってアメリカ国内のユダヤ人勢力は絶大であり、なんたってユダヤ人は超優秀だ。正義は歪んで、グチャグチャになる。(当方はワシントンDCのNIH出向の時もボストンMIT出向の時もユダヤ人の優秀さとアメリカ全体いや世界全体を覆う団結力をもろに見て来た)

トランプ自体は思想などどうでもいい、利用するだけだから、 そのビジネスオリエンテッドな才能を再び発揮して底力を出すのか、若手が<反アメリカ・グローバリズム>を引き継ぐのか? 単なる<ナショナリズム>が台頭するのか?

日本は完全に<アメリカ・グローバリズム>の支配下にあり、大多数の人はそれを空気のように当然のことと思っている。占領国にたいして、日本ほど<アメリカ・グローバリズム>定着に成功した国はないといわれている。

安倍氏なきあと、自民党はポリコレ化(当方は都合がいいので、大衆ポピュリズムよりちょっとましな表面的正統性をまとったポピュリズムをポリコレと表現している)して、たまらず保守勢力は<日本保守党>を作った。しかし、<アメリカ・グローバリズム>に対抗する勢力というよりは、<グローバリズム>に対抗する<ナショナリズム>となっている。<ナショナリズム>は分かりやすく、シンプルに世界を色分けすることに快感を感じる人たち、国民とマスコミのポリコレ化がたまらなく嫌いな人達、フィールドで実戦の最中にある人でなく、安楽な観客席の人々のなかに広がってゆく。フィールドで実戦している人には生きて行くためにいやでもグローバルな考えを持たざるを得ないのである。

本当のグローバリズムと<アメリカ・グローバリズム>の違いを気にしている人がどれくらいいるか? <反アメリカ・グローバリズム>と<ナショナリズム>の違いが解るひとがどれくらいいるのか?
では<アメリカ・グローバリズム>を否定して、どうやって世界平和を保つのか?


<全くの独り言> その2,岸田氏はなぜ受けなかったか?

<総裁選には出馬しない宣言>の岸田氏の演説を聞いて、なぜ岸田氏が受けなかったかがわかった。
岸田氏が総理大臣になった当初は岸田氏をまったく評価しなかったが、その後2つの意味で、しばらくは岸田氏でいいんじゃないかと思うようになった。①安倍氏が築いた確固たる自民党王国における長老勢力をつぶすに、彼ならのらりくらりとやり過ごしながら、じわじわと長老勢力を自滅に導くことが出来るかもしれないと思ったことだ。実際安倍大国の矛盾が、ぼろぼろ露見し、自滅し始めた。当人の死はそれを一気に加速した。②安倍氏の死で目標を失った岸田氏は茫然自失となっていたが、気を取り直して、やるべきことはコツコツやって来た。時折思い切ったこともやり、当方はこの程度でコツコツやってくれればいいと思っていた。安部氏が先送りしてきた山のような問題をそう簡単に理想的に解決できる人はいるわけがない。いくら優れたアイデアが出せるひとでも、国民自体が安倍王国にいりびたって、ふやけてしまっているから、一気に変えられない。コツコツやってくれればいいと思っていた。ところがなんでこんなに支持率が低下したのか。

<総裁選には出馬しない宣言>の岸田氏の演説には岸田美学がちりばめられていた。裏金問題の責任をとることはいささかの躊躇もない。世の中の組織では部下の大きな失敗は社長がすぐ責任をとることが当たり前である。自分に大きな失態が無くてもである。今頃いいだすとは、自分には失態が無いからこのまま続けると思っていたが、周囲の状況からやめざるを得なくって、この期に及んで<責任をとることはいささかの躊躇もない>といったととられても仕方ない。

つまり彼は<いい子であること>が人生の目標だったのだ。小さいころから<いい子>になることが当然のこととして育てられ、自分でも<いい子>であると自負してきた。数々の失敗の中から答えをねじりだし、また失敗し、それでも前に進んで、作り上げた目標は無いのである。かれの演説には、しがみつく自分で作り上げた政治目標を感じないのだ。これが彼が受けない第一の理由。つぎに<いい子>であるために、聞く人を演じなければならなかった。必然的に行動は周囲に左右され、軸がずれてしまう。軸が無い上に軸がずれる。なんにも悪い事をしていない<いい子>であるのに、人を引き付けられない。

当方はどういう結論に導きたいかというと、政治家の長期世襲は大きな弊害をもたらすということだ。

岸田氏だけでない、安倍氏もそうだった。憲法改正の主張は、安倍一族の怨念なのだ。現在の憲法はアメリカに押し付けられた、しかるに変えねばならないという怨念が子供のころから染み込んで、空気のように安倍氏を支配していた。それ以外にも子供のころから染み込んだ政治的バックグラウンドがかれの自信に満ちた行動の骨格となっていた。染みついた家柄は大きな力ではあるが、3つの点でぼろが出た。①科学的対応が必要なコロナ対策では科学的地頭の欠如から手も足も出なかった、② 3本の矢の3本目、これからの日本を作る為の稼ぐ力を生み出すアイデアがそういう地頭の欠如からにっちもさっちもいかなかった、③先代が当たり前と思っていた統一教会とのつながりを当人も当たり前と思ってしまった。 彼はそういう自分の欠点をついてくる人を徹底的に排除したことが、安倍大国の衰退を生み、後世に大きな課題をごまんと先送りした。そして③のために銃弾に倒れた。

言いたいことは政治家の長期世襲をつづけると日本を壊すということだ。

欧米の政治家のトップは日本のような長期世襲で埋め尽くされることはない。メルケルは物理学者であり、サッチャーは中流食糧雑貨商の家に生まれた。オバマの小さいころの経歴はご自分で調べてみたらどうでしょう、およそ世襲とはかけ離れた世界だ。

<全くの独り言> その3 ポスト岸田

政治のリーダーに必要な能力を3つに大分する。
A:現状の手持ちの原資をいかに配分し、いかに文句の出ないようにするか。
ようするに、パワーバランスをうまくとれる人。
B:日本の将来、世界の情勢を俯瞰して、長期グランドデザインを立て、実行し、結果を検証し、改良してゆくサイクルを回せる人
ずばり、日本の国力を上昇させるためのアイデアを出し、上記のサイクルを回せる人。
C:A and/or B 実行の為に関係者に対する調整能力を持つ人
それ以上に、カリスマ性あるいは人を引き付ける何者かを持つ人
Aが得意な人はBは不得意、Bの得意な人はAが不得意。当方はAとCは全く分からないし、興味もないし、能力もない。
政治家、マスコミ、一般大衆の9割はAとCしか興味ない。

日本の現状はBがあまりにもコケにされている。日本が平和で、稼ぎが潤沢の時はAとCだけでいいからそうなった。

石丸氏、小林氏はBからの視点で話す。日本の将来は平和でもなく、稼ぎが潤沢でもないことが見え見えだから、将来がある若者は石丸氏や小林氏に興味を示す。

AとCしか理解できないコメンテーターやマスコミが石丸氏や小林氏と議論しても所詮話がかみ合わない。
一例をいう。
コバホーク小林鷹之議員、選択的夫婦別姓は「国民的議論が大切」と言ったことに吉永みち子氏が国民の殆どは選択的夫婦別姓を支持しているのに、「国民的議論が大切」は気に入らないとかみついた。これまで夫婦別姓は反対といっていたコバホークがあいまいな表現をしたといってネトウヨはコバホークを見限った。海外に合わせねばということを理由とした夫婦別姓ポリコレはネトウヨの最も嫌うことである。田崎史郎氏は曖昧な表現をつまらないやり取りだったといった。コバホークは夫婦別姓は反対が本心であり、さらに本心はBからみればこの話題は殆どどうでもいい話で、ここで夫婦別姓は反対と言っても世間を敵に回すだけだから、ぎりぎりの「国民的議論が大切」と表現をしたので、そうせざるを得ない当たり前のやり取りだと当方は思う。コバホークも当方もこの話題は国民の総意に従えばいいだけで、どうでもいい話なのだ。当方は吉永みち子氏が嫌いではない。今、女性で活躍している方にとっては選択的夫婦別姓は必須条項なことは解っているし、むきになることも理解できる。しかし当方には選択できることならどうでもいい事なのだ。

こういうAとCに関するやりとりばかりが続くことにうんざりしているのだ。試しにテレビをみてくださいAとCに関するやりとりばかりが延々と続くことに気が付くはずだ。
違った、A. Cしか興味のない人はBがない事に気が付くはずはないのだった。

石丸氏、小林氏に賛同した一般大衆はただ現状が変わってくれることに興味があるだけなので、Bからの視点で話す彼らの真意は理解していない。時がたてば彼らのメッキが剥げたとか剥げるだろうとかオリコンとかいう。メッキが剥げたのは分からずさわいだ一般大衆の方なのだ。マスコミはB視点など視聴者に受けないからどうでもいいので、石丸氏、小林氏のメッキは面白いから話題にしているだけである。

AとCしか理解しない現状の日本を救うには、Bをねじ込むしかない。多勢に無勢、それが至難の業なのだ。
石丸氏は石丸流トークとSNSを用いた、小林氏は地頭がよくてもまだまだ未熟だ。石破氏はやろうとしたが出来なかったのであきらめて歩みを止めてしまった、今再開しても考えがリニューされていない、流れからおいて行かれている。本来、本当にやりたいことがあったなら歩みを止めることは無かったはずなのに? 小泉氏の得意技はCであるが、AだけでなくBも考えている、しかし地頭が不足している。Bは難しいのだ。出来なくてもいい、人を使ってBを補えばいいのだ。人を引き付ける何者かがあって、アホみたいなことを言わなければ小泉氏が一番ポスト岸田に近い。

長老キングメーカーは石丸氏の快進撃をみて、若くても上手くやればやれるかもしれないと思い始めた。大衆を丸めこめて、自分達の立場も維持できる。これが小泉氏や小林氏を推す原因となっている。この点でも石丸氏の出現は大きな影響を与えたのだ。

ここに登場しないポスト岸田はいまのところ当方の興味の外だから登場しない。

AとCしか理解しない現状の日本を救うには、Bをねじ込むしかない。多勢に無勢、それが至難の業なのだ。どうする。

2024-9-16追加:あとから立候補した高市氏はBに関して最もしっかりした考えを持つので、一押しとします。世間も同じことを考えているようで、世間もすてたものではありません。
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独り言 2024 その2

2024-07-16 21:44:05 | 日記
独り言 2024 その2
1,石丸氏はオワコンだという報道が流れている。コンテンツとしてもうおしまいだということらしい。話題になるとおもえば、とことんしゃぶりつくして、食べ終われば次々と対象を変えて行くマスコミの行動パターンがなんとも浅はかだ。大谷さんに対してもそうだ、とことんしゃぶりつくしている。それに負けない大谷さんはすごい人だ。彼が突然消えたら、ニュースの半分は消滅する。大谷さんに飽きている人もいる、そこで今度は石丸氏だ。石丸氏のニュースが大谷さんと同じくらいになっている。石丸氏を袋叩きにすることが、ニュース・コンテンツの現在のトレンドとなっている。マスコミは受けの言いストーリーを作り、そのストーリーに都合の良い質問をし、ストーリーにそぐわない部分で、大衆が反発すると思われる部分を切り取ってどんどん流す。それを取り巻く観客は、そうだそうだと拍手し、飽きると、そろそろ決着がついたということで、オワコンと言っている。ドレイに戦わせて、コロシアムで手をたたいてるローマ人のようである。
2,彼の登場するテレビをたまにちらっと見るのだが、言っていることは当然のことで、当方には何の違和感もない。何故彼はマスコミの挑発にわざわざ乗っているのか?
3,想像するに彼は集中砲火に我が身をさらすことにより、マスコミの実態を明らかにしようとしている。彼は今が最大のチャンスと思っているのだろう。
3,マスコミが受けのいいと思うストーリーを流すということは大衆はそのストーリーが好きであるということで、これまではそれでマスコミと大衆はなれ合ってきた。
4,しかし、ネットの世界では色々な意見が飛び交い、必ずしもマスコミが思う大衆受けばかりではない。彼は大衆はそれほどバカではない、マスコミのレベルの低さを暴露できると思っている。このバトルの状況を<ちゃんと>か、<なんとなく>か彼の主張を支持する大衆が10%以上いれば、彼の試みは成功かもしれない。
4,彼の投げかけたことは、当方がいつも言っている、理論に元づく長期グランドデザインを立て、ブレずにそれを貫き、トライする、そして検証し、誤りは修正することを繰り返すことにより世の中全体を改良してゆくということである。これに対する現在の世の中の流れは、その時その時のパワーバランスをとることに重点があり、政府のパワーバランスの最重要ファクターは政権維持であり、国民を幸福へ導くことではない。この方法をうまく駆使すれば、その瞬間における国民は特に深刻に困らない。しかし、このやり方でずっと進むと地盤沈下がおきて、長期的には国民の幸福が維持できなくなる。うまいバランスをとってゆくと国民は一見安心しているが、カエルの釜茹でになる危険性があるのだ。実際にカマの温度は上がっている。それでも大衆は大きな変化を望まない。
5,ブレずにそれを貫き、トライする、そして検証し、誤りは修正することを繰り返すことにより世の中全体を改良してゆくという考え方が、日本で壊滅しており、カエルの釜茹でに近づいている。これをどう打開するか? 彼は考え抜いて、この釜茹で脱却を、マスコミを使って、全面対決し、SNSで生中継する方法をとっているとしたら、到底、当方が考え付かないことだ。
このバトルの状況を<ちゃんと>か、<なんとなく>か彼の主張を支持する大衆が10%以上いれば、彼の試みは成功かもしれない。
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独り言 2024-6

2024-06-30 13:20:43 | 日記
独り言 2024-6

生きていて良かったと思うことがあります。

最近珍しく音楽のコンサートに行っています。直近ですとストラヴィンスキー3大バレー、火の鳥、ペトルーシカ、春の祭典、を2台のピアノで演奏するものです。
2024-6-18 東京芸術劇場コンサートホール、務川慧悟(ピアノ)、ナターリア・ミルステイン(ピアノ)

ストラヴィンスキーは当方のクラシックへの入り口から現在に至るまで、変わらずに尊敬している作曲家です。このコンサート、当方は画期的、歴史的演奏と思ったのですが、世の中の評価は知りません。音楽を聴いて、生きていて良かったと思うことがあります。この演奏はこの演奏を聴いて、生きていて良かったというよりは、この演奏を聴けて、この世に生まれて来て良かったと思いました。

当方は、オーレル・ニコレ演奏バッハのフルートと通奏低音のためのソナタ ハ短調BWM179を聞いて、これを演奏したいと思い、それまで楽譜も読めなかったのに大学に入ってからフルートを始めました。その後、30年して、フルートの発表会でこの第一楽章を演奏しました。フルートの先生とその読売交響楽団を引退したご主人のチェロ(専門はトランペットです)と家内のピアノの4重奏でした。最後の最後の章節で間違えました。それまで一回も間違えたことが無かった章節だったのに。その後、ある時ホームコンサートでこれを演奏して、聴いていたひとが、涙が出そうだったといってくれました。当方自体、一人でバッハのソナタを弾きがら人知れず涙を流すことがあります。特にフルートと通奏低音のためのソナタ ホ短調BWM134は当方のような晩年の男が、過去を振り返って、後悔するでもなく、悲しむでもなく、淡々とこんなこともあったのだよとポツポツと語るような、ただしみじみと、それでも涙がこぼれるような。それほどバッハのフルート曲は素晴らしいのです。 現在は陶アートに傾注して、フルートを弾く余力が全くありませんが、バッハのフルートの曲は生きていて良かったと思うことの一つです。

生きていて良かったと思う瞬間があと2つあります。先輩に数万円のワインを飲ませてもらった時と、草津温泉、西の河原での露天風呂に入ったときです。 不思議なことにアートと日本酒で生きていたよかったと思う経験がありません。この2つは評価基準が全然高いのでしょう、きっと。

一方で、もうこのまま死んでしまったらどれほどいいか、と思った時が何度かあります。京都でのバイオベンチャー経営に疲れ切って、京都御所の森の中でこのまま倒れ込んで死んでしまったらどれほどいいかと思いました。もう一つは、白神山地のビジターセンターのシアターで白神山地の冬、その壮大な雪景色を見た時、この雪にうずもれて、このまま死んでしまったらどれほどいいかと思いました。

現在は、諦めるな諦めるなと言いながら、一方でもういいからお墓に入ろうという声が拮抗しています。うまくゆかないことばかりです。

当方個人が旨くゆかないことばかりであることは勿論、世の中うまくゆかないことばかりです。

安倍氏が作った自民党は、日本で最も有利な条件にある大企業であり、企業の最大関心事である、最大の利益を得て、社員(議員)に還元することと、企業がどこまでも存続する事に邁進している政党大企業です。本当は今どきの企業は株主に利益を還元することが絶対必要条件なのですが、与党大企業の株主である国民に利益を還元することは念頭になく、第一目標は与党大企業の存続です。 国民はどうせ何も分からない、国をうまく動かして、国民をうまくごまかして、誘導して、自民党という企業の利益の最大化とその維持を図ることが第一の大企業になったのです。野党はこの下請け中小企業で、大企業自民党ありきで、これに文句をいうふりをして、野党を演じることにより、下請け中小企業の従業員に給料を与え、自分の企業を存続させることを生業としてきました。政党企業体も、現在の株主総会みたいなものを開いて、実態を開示し、今後の計画を明示し、株主(国民)からの動議を受け、採決(株主=国民による)するべきです。
東京都知事をねらう蓮舫氏はこの野党の性癖まるだしで、薄っぺらな考えというおうか、考えもしないで、ただ変わらねばならないとキーキー言い続けます。多くの人がこれに引っかかる。どうしようもないので、しょうがないから小池都知事の継続を支持するしかない。本心は石丸伸二氏を応援したい。

彼の主張をヒントに、当方は面白いアイデアを考えました。
当方の持論の一つ、諸悪の根源は東京一極集中にある。地方を住んで幸せと思う地域に変えて行かねば、そのための第一歩として地方の公共交通機関を再構築すべきだ。しかし、だれも賛成してくれませんでした。いくらお金がかかると思っているんだと一蹴されました。地方の為にそんな金を使ったら、全く効率悪いじゃないかというのです。東京、アメリカ、大企業にお金をつぎ込むのが最も効率がいいと言い続けます。
石丸伸二氏が発想の転換をしてくれました。石丸伸二氏のアイデアを当方流にアレンジすると、地方に住んで幸せと思う地区を作るのではなく、東京に、住んで幸せと思う地区を作るのです。東京都といっても色々な地域があります。港区や千代田区のような昼と夜の人口が全く違う地域、多摩地区や離島のような大自然と接する地域、発展する近隣地域と行き来の激しい地域、湾岸の近代と自然が拮抗する地域、下町の歴史と混沌が混じり合う地域等々、いくつかの地域に分けてその地域を幸せに暮らせるようにするプランを出させて、コンペティションを行うのです。限られた原資を平等に分配するのでなく、コンペティションで勾配を付けて分配することはドイツでよくやる手です。良いアイデア生み出すためにやるのです。東京都は原資が豊富ですから、理想的アイデアを追求することが可能です。このアイデアを実現すれば、地方の資金では出来なかった世界が現実となります。地方はこの成功例を自分たちの現場に当てはめて実行可能な戦略を練ることが出来ます。東京は色々な成功モデルを日本全体に提供するのです。石丸氏の言うように発展する近隣首都圏と行き来の激しい東京の地域は近隣の地域と連動したアイデアを出して、東京周辺の街が住んで幸せになる地域にするのです。彼のいうように、地方から東京一極を是正するのでなく、東京から東京一極を是正するのです。これを拡大すれば、日本には住んで幸せな地域が全国に広がるでしょう。東京から日本を変えることが出来ます。住んで幸せな地域ができればほっといても出生率は上がります。

国民から集めたお金を色々な理屈をつけてばらまいてゆくことでは何も生まれません。子育て支援だろうが、教育の無償化だろうが、結局はばらまきです。足りないところに少しばかりのお金をちょろちょろまくのは、結局は国民をうまくごまかして、誘導して、与党という企業の利益の最大化その維持を図る企業の常套手段に過ぎないのです。膨大な税金を吸い上げて、グランドデザインもなく、その場しのぎのばらまきをして、政権を維持してゆけば、またまた、ずっとずっと税金を巻き上げることができるのです。その場しのぎばかりに頭がまわる。試験だけできる東大生の最も得意とする分野です。日本の長期デザインを考えて述べる人は袋叩きにあうのです。
こいつらに任せないでみんな考えろ、考えろ、1mmでも理想に向かって行動せよ、行動せよ。

最近のニュースでは石丸氏が蓮舫氏を猛追撃中で、蓮舫氏の2位も危ういと報じています。その場しのぎの政策とそれを喜ぶ国民ばかりかと思っていましたが、根っこのある変革プランを望んでいる人々が結構いっぱいいるのだなと思いました。慎重に、慎重に進むのは結構です。それでも根っこのある変革プランを提示している人の考えをちゃんと聞きましょう。
みんな考えろ、考えろ、1mmでも理想に向かって行動せよ、行動せよ。
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能登半島地震に思う

2024-01-24 18:52:48 | 日記
2024-1-25 能登半島地震に思う

能登半島地震はショックでした。ここは何度も訪ねているし、地震の後の寒さの中で対応する人達の心がひしひしと伝わってくるのです。

当方は手術とその後のトラブルで、ここのところ<人生は耐えることに等しい>という思いがつのっています。ごく普通の生活を営むことそれ自体が簡単なことではないのです。もし、朝起きて夜寝る、ご飯を食べて、排せつする、ヒトと時々会話したり、表を歩いたりする。これが続けられるとしたら、十分幸せなのです。

以下、被災地の真っただ中の方にとっては、以下の文はのんきなことを言っていると思われるでしょう。能登やその周囲の方が、その地域と同化して地域の一部として生きていると思えるのです。当方はその能登やその周囲がいかにその地域に愛情をもっているかを、能登島や富山の<ガラス>にこめる思いから感じ取っているのです。輪島塗からもそうです。九谷焼からもそうです。 毎日の家の倒壊現場のニュースばかりでなくこういう切り口を書くのもご容赦願えることを期待します。

<過去のブログ>
Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? その6 能登島ガラス美術館-1  ブログ2020-4-7
Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? その7 能登島ガラス美術館-2  ブログ2020-4-7

能登島国際ガラス展 2020-2-6

金沢から七尾へ七尾線の旅 能登の寒さは何かとてもこたえる寒さであることを思い出します。


七尾からバスで橋を渡って能登島、ガラス美術館へ 




この時は向かいの道の駅が閉店で、この寒さの中バスを一時間まったことを思いだします。

<過去のブログ>
New アート考察9 <金沢、富山の陶芸・ガラス工芸を追う> その2 能登島・国際ガラス展 ブログ2022-12-28
 
能登島国際ガラス展2022-11-16


能登島ガラス美術館はどうなったのでしょう?


能登島にわたる2本の橋はこの通り、一時孤立したようです。ネット情報


ネット情報

能登島ガラス美術館の庭のガラス作品の倒壊


七尾市の県能登島ガラス美術館。屋外に展示する14点のうち、1991年の開館時から設置されている楠田信吾さんのガラス彫刻作品「COSMIC FLY」が大破した。他に藤田喬平さんの「蔵」もバラバラに。館内でも約100点のうち2~3割が倒れたり、欠けたりした。



次は富山市ガラス美術館です。
ここも能登島に続いて2020と2023に2回訪れています。

<過去のブログ>
Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? その8 富山市ガラス美術館-1 ブログ2020-4-12

富山市ガラス美術館 リノ・タリアピエットラ展 2020-2-7

リノ・タリアピエットラの作品 イタリアのヴェネチアングラス生産の中心地ムラーノ島

<過去のブログ>
Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? その9 富山市ガラス美術館-2 ブログ2020-4-14


リノ・タリアピエットラの作品

この時、あまりにも危なっかしい展示だったので、地震があったどうするのですかと美術館の人に尋ねたのを覚えています。特殊な接着剤で張り付けていますという答えでした。こんな素晴らしい作品が日本で展示して粉々になったらどうしようとおもいました。実際この展示会の一か月後くらいに能登で大きな地震があったのです。

<過去のブログ> 3年後の2度目の訪問です。
Newアート考察9 金沢・富山の陶芸・ガラス工芸を追うーその3 フィンランドガラスアート展<自然とアート> ブログ2023-2-3

富山市ガラス美術館のフィンランド・グラスアート展(2022-11-16)

マルック・サロ <アートグラス ユニークピース>


オイヴァ・トイッカ  <ボンボン・ユニークピース>



さて富山市ガラス美術館はどうなったのでしょう?


ネット情報


富山市ガラス美術館と同じ建物(TOYOAMAキラリ)にある富山市立図書館はこの状態。ネット情報
特別展示場の一階下です。


ネット情報


ネット情報
免震装置や転倒防止のシートが功を奏して、300点の展示品のうち壊れたのは3点のみだったそうです。上の最も壊れそうな作品も無事でした。能登島でなく富山だから助かったのか、対策が優れていたのか?

<過去のブログ> この時は富山ガラス工房もおとずれています。
Newアート考察9 金沢・富山の陶芸・ガラス工芸を追うーその4 最終回 富山ガラス工房 ブログ2023-2-20


2022-11-17富山ガラス工房





工房

ここ富山ガラス工房はどうなってしまったのでしょう?
すぐ近くの第二工房の情報では、大した被害なくすんだそうです。とても心配していたのですが、よかったよかった。

箱根のガラスの森美術館では戦々恐々としていることでしょう。焼き物も同じです。当方のスタジオでは作りかけの作品が地震で壊れないように結構気を使っておいてあります。白金陶芸教室などでは、危なっかしい置き方を平気でしています。陶芸家は陶器は壊れるからいいのだ、壊れなければ商売にならないといっています。作る人には不思議な美学があるようです。当方はだめです。作っている途中の作品が壊れるのはとてもつらいのです。一つ一つの工程が、苦労の連続で、すべての工程が上手くゆくか全くわからず、地面を這うようにじりじりと進むしかないからです。

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2023年 年賀

2023-01-03 17:32:01 | 日記
2023年 年賀
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。




今年の年賀状です。
頑張っている雰囲気がでていませんか?

昨年12月に長年の夢だった陶芸スタジオをガレージを改造して作りました。



奥に数年前に設置したSHIMPO 中型電気窯DFA- 06と小型電気窯DMT-1 が置いてあります。スタジオを作ったといっても、今のところ3階の小さな作業場にあった道具や荷物を雑然とおろしたにすぎません。これで300kgくらいは3階が軽くなったと喜んでいます。オープンエアーですから、極寒と真夏は3階とここを行ったり来たりすることになるでしょう。



ロクロはやらない方針でしたが、陶絵画のパーツ作りや個展の売り物用に丸いものも作るかもしれないと、SHIMPO 大型電動ろくろRK-3Dを入れました。本当に使うのかな、それが心配です。

今年は現展、未来アート展、ZEN展に出展するという宣言をしたからには、この実現のために1月1日から作業をしています。実際は公募展用陶芸作品の作成は遅れに遅れていて、
どうなるか全く見通せません。その後は、ハンドメードマーケットへの出展、第2回目の個展開催を計画しています。もうちょっと、陶芸に自信ができたら、今度は本当の陶芸スタジオを作るんだといって頑張っています。

これ以外に、昨年からの大きな持越し事項が2つあって、今年は年初から全く気が抜けない年になりました。まじに考えると押しつぶされそうになるので、とにかく<明るくやろう>と年初に決心しました。

写真撮影と、連動するブログはすでに15年にわたって続けているので、マンネリ化は避けられません。こちらに力を回そうにも、上記3つの問題が大きくて、無理です。当面は<継続こそ力なり>と唱えながら、とにかく続けます。いずれチャンスがまわってくるにちがいない。


それでは、
皆様にとってよい年でありますように!

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