小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

自然教育園日記 その161 再び中判(Fujifilm GFX50S)マクロ撮影

2020-09-18 08:40:50 | 写真日記
自然教育園日記 その161 再び中判(Fujifilm GFX50S)マクロ撮影

2020-9-4
自然教育園は暑いばかりでいい被写体が見付からない。これではFujifilm GFX50Sでの超広角接近撮影の成果を出しようがない。超広角接近撮影は中断、気分を変えて再びFujifilm GFX50S + GF120mm macroに戻ります。





9月に入っても夏っぽい雲です。夏っぽい雲は嫌いじゃない。


ルリシジミ?





ハギの花とツバメシジミ?の組み合わせは夏から秋への移り変わりを感じさせてくれます。



2020-9-8
この日は久しぶりにFujifilm GFX50S + GF100-200mmを持ち出したのですが、撮れたのはこの一枚だけ。この芋虫の擬態がすばらしい。

2020-9-11
再びFujifilm GFX50S + GF120mm macroに戻ります。



ツルボの幸せな世界



花の数は少なく、チョウはわずかな花を渡り歩かねばならない。なかなか大変な時期です。



GFX50S + GF120mm macroで鳥を撮るということは、実質100mmで鳥を撮るということで、豆粒の鳥をトリミング拡大しているわけです。GFX50S + GF120mm macroで鳥撮りはアホかと思うか、さすが中判カメラと思うか?



カワセミの幼鳥が現われました。自然教育園に居つくといいのですが。これも、豆粒の鳥をトリミング拡大。ボコボコなのは池の水面の反射かな、幼鳥だからかな??

なにか少しずつ、鳥の姿が表に出始めました。新しく巣立った幼鳥が大きくなってダイナミックに活動を始めたのでしょうか? 鳥撮りの体制に移行する必要がありそうです。

2020-9-15
今日は写真展の写真を撤収したついでに自然教育園で午前中に撮影。いつも仕事の都合で午後に撮影しているのですが、午前は色々な生き物が生き生きしていて楽しい。Fujifilm X-T3+フリンガ―レンズアダプター+ Canon 400mm F5.6で鳥を狙ってみるが、結局チョウ撮りになりました。



今年はクワガタやカブトムシがうろついており、これは自然教育園としては結構珍しいのです。



この元気でかわいらしいシジミチョウはツバメシジミで名前はよいようです。このAPS-C+望遠レンズと中判カメラ+マクロレンズでじっくり撮影したツバメシジミの写真(前出)と比べてください。



午前中はツユクサが開いているのがとてもいい。



秋の七草、オミナエシが咲き始めました。



これはナガサキアゲハ(メス)で、アゲハチョウ科の中でもっとも大きいチョウだそうです。
クロアゲハと違ってしっぽが出っぱっていないのが特徴です。






アカボシゴマダラ


アカボシゴマダラとアゲハチョウ

珍しいシーンを撮るにはAPS-C+望遠レンズもいいですが、当方にはやはり中判(Fujifilm GFX50S)マクロ撮影が好きだな。




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Newアート考察 その4 和功絶佳とTime Crossing

2020-09-07 12:40:34 | 日記
Newアート考察 その4 和功絶佳とTime Crossing

この暑さで、身の危険を感じて自然教育園での撮影はお休みです。ここのところ毎年今頃は涼しい展覧会巡りをしています。最近行った2つの展覧会をご紹介します。1)パソニック汐留美術館での<和功絶佳> 2)平成記念美術館 Time Crossing

和功絶佳は1970年以降にうまれた、注目の作家さん12人を紹介します。主催者は日本の美意識を受け継ぎながら。新たな感性で工芸の枠にとらわれない表現を探求している作家さんという表現をしています。日本の伝統文化の価値を問い直す「和」の美、手わざの極致に挑む「功」の美、素材の美の可能性を探る「絶佳」からつけたタイトルといっています。

一方、Time Crossingは当方の陶芸の師匠が毎年作品を出しているので、毎年おとずれる展示会で、東京芸術大学卒の陶芸の若手作家が伝統にはまったくこだわらずに自分の思うままに作る作品が展示されます。かれらは陶芸家とは名乗らず、陶造形作家と自称していることが面白い。当方のアプローチにはとっても参考になる展示会なのです。 

この2つの展示会をみると、当方が<Newアート考察 伝統工芸には革新があるか、必要か>で議論した2つの流れ、伝統工芸から革新をめざすアプローチとアート表現にたまたま陶芸という工芸手法を用いたアプローチにまさに合致します。当方にはこの2つの展示会は同じ場所でドッキングして開かれてもなにも不思議でないと思うのです。しかし、この2つのアプローチははっきりと分断されている。

この2つを分断しているのは、作家さんでは全くなく、見手の主催者側の考え方にあると思えるのです。<Newアート考察 伝統工芸には革新があるか、必要か>で述べた当方の結論は、<この2つのアプローチはむりやり混ぜることはない、それぞれ好きなように歩み、結果的にそれぞれが影響しあうことがもっともよい>ということでした。当方はそれを喜んで言っているわけではありません。それしか方法が無いからそう言っているのです。

和功絶佳の主催者あるいは館長さんはこの2つのアプローチがあることを理解しているのでしょか、それとも和功絶佳というネーミングにまんぞくしているのでしょうか? 少なくとも、相当革新的試みをしたと自負しているに違いありません。

ここは撮影OKだったので、16人の作家さんを全部ご紹介してもいいのですが、主題がぼけるので、当方の守備範囲に限って5人の作家さんをご紹介します。









彼に限らず、最近、抹茶茶碗でユニークなアプローチをしている作家さんが何人かいらっしゃいます。もともと楽茶碗は陶器の中でもユニークなアプローチが容認される分野で、抹茶が飲めるというアバウトな共通点があれば、なんでもOKです。この共通点というのが大事です。これが、一般の方と新しいアプローチの架け橋となり、この展覧会に存在できるのです。和功絶佳と気取っても、だれも見に来ないならどうしようもないのですから。

以下にも架け橋という言葉がでてきますが、その意味は。作り手の新しい試みを見手に受け入れてもらうには何か架け橋が必要である。それがないとただの作り手のひとりよがりとなり、作り手と見手は解離してしまう。作り手はそれでもいいと思うか、架け橋くらい作ろうと思うかが分かれ道だ。と当方は以前の旧アート考察に書きました。旧アート考察を全て非公開にしてしまったから面倒なことになっています。





この作品はテレビでよく報道されているので、細かいことは書きませんが、樹脂に平面の絵を描き、さらに樹脂を重層して、また絵を描きこれを繰り返して立体的、本物に極めて近い絵を作り出す手法です。結果的に本物そっくりということが、シンプルに一般の方との架け橋となるわけです。当方はこの手法に興味があるわけでなく、樹脂とライティング(バックの白)は水面の波紋を描き出すにいい方法だなと思っただけです。





これも重層手法です。ガラスに載金(きりがね)手法で絵を描き、再びガラスを重層することを繰り返すことで作り上げた作品です。純粋に見て美しいことが一般の方との架け橋となっています。







赤絵彩描という九谷焼の重要な古典的技法を習得して、新しいデザインで作品を作っています。デザインの元には欧米系の繰り返しパターンとそのもとにあるイスラム系やアジア系のパターンが影響しているように見受けられます。一般の方に対しては九谷焼きという大きな架け橋があります。







もともと陶芸にあった蛍手という手法、陶器に穴を空けて、そこを釉薬で覆う、覆う釉薬はガラスですから、その透明感により全体の透明感を得るわけです。その手法を発達させたものです。これ以外にボーンチャイナという磁器はある程度の透明性を持っています。北欧の作家さんも”蛍手”手法を追った方、アウネ・シーメスがいます。


アウネ・シーメス

いずれも新しい感覚を演出するに有効な手法です。もともと陶器の持つ安心感に透明性を付加することにより容易に見手に架け橋を与えます。







これは漆塗ですが、自然に対する目、愛情がうれしいので載せました。自然に対する愛情と、美しい色は見手への大きな架け橋です。













さてこの作品は一般の方への架け橋はなんでしょうか。当方には佐合道子さんの作品が一番印象的でした。当方はまさにこのような作品を作ろうと計画していたのです。

現在、当方は公募展への出品を目的に、中型陶芸窯の設置を実行中なのです。公募展は大きい作品でないと見向きもされないということで、仕方なく中型の窯を買うことにしたのです。当家にはスペースがありません。スタジオを借りる案は、反対意見が大きく、しかたなく駐車場の一部を改造して中型窯を設置することにしました。狭いスペースに大きい窯をいかに設置するか、設計図を引いては変更する事、なんと3か月を要しました。350kgの窯をいかに設置するか、それを覆う物置の組み立てをタイミング良くマッチングできるか、できなければ、どうやって風速80km/秒にもなる台風シーズンに窯を野ざらしから守るか。しょせん素人の趣味でしょという周囲の冷たい目をかいくぐって、だれにも迷惑をかけずに、いかに350kgの窯を無事稼働させるか。さらに現在の60kgの小型化窯も駐車場に移動させるのですから、これからさらに色々なDIYを含めて2か月の格闘を続けるのです。それで終わりではありません。ただの始まりなのです。なぜ当方は公募展への出品をもくろんでいるのか、本心は公募展なぞクソクラエと思っているのに、なぜこんなに苦労して実行しようとしているのか。その理由はまたそのうち書きましょう。

さて、話を本題にもどしましょう。
Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? その10 第8回菊池ビエンナーレ展 現代陶芸の<今>   における大石早矢香(おおいしさやか)さんの作品と佐合道子さんの作品は類似点があります。


大石早矢香 秘めリンゴ(black)

どうやらこの手のアプローチは伝統的陶芸の延長線上に一定の地位を確保しつつあると思われます。非ロクロタイプ(つまり円形でない)で、細かい陶器パーツの集合体としてのオブジェ―です。なぜ伝統的陶芸の延長線上とみなされるのか?? 陶器の持つ細密造形が手わざの極致として伝統的陶芸の延長線上とみなされるのでしょう。この細密性が一般の方への架け橋となっているのでしょう。佐合道子さんの自然への愛情も架け橋であることは付け加えなければなりませんが。

さて、Time Crossingへ移ります。松尾美森さんは毎年このような造形作品を出展し続けています。
佐合道子さんの作品とアプローチとしてはほぼ同じジャンルに入ると思うのです。見る方によっては佐合道子さんの作品は伝統工芸の延長にあり、松尾美森さんはアート造形作品であり全く違うという方もいるかもしれません。しかし、当方にはその間に境目はありません。このお二人の作品は、まさに当方の目指す方向に一致するのです。











この平成記念美術館は平成建設の大きな建物展示場オークランド住宅公園に併設されており、2階には平成建設のインテリアが展示されています。Time Crossingの作品がこのインテリアにおけるオブジェ―として飾られていることがこの展示会の面白い所です。Time Crossingの作品が単なるアーティストの独りよがりでなく、実際のインテリアのなかで、存在意義を発揮していることが示されています。



ひろし高橋さんはまさに陶造形作家さんで、不思議な立体パーツの集合体を毎年出品しています。



今回は彼にしてはめずらしい試みとして、彼の絵と写真がかなりの数展示されていました。




ひろし高橋さんの絵

彼の立体と絵は雰囲気がずいぶんと違います。



角谷啓男さんは当方の陶芸の師匠です。昨年からカラス作品を作り続けています。天然の石や木と陶器を組み合わせることにより、自然との融合を生み出す、新しい境地を見出しています。







森口直洋さんは自然の岩から直接かたどりをして陶器を作り、写真や動画と作品を融合させたインスタレーションとしてディスプレイしています。自然と自分に境界線を引かずに自然の延長としての形を目指していることがわかります。








さて、この2つの展示会の対比の意味をご理解いただけましたでしょうか? 

パソニック汐留美術館での<和功絶佳>は名のある美術館の企画した展示会であるのにくらべ、平成記念美術館 Time Crossingは4名のグループ展であり、当方がたずねた1.5時間の間の訪問者は当方のみでした。伝統工芸の延長にある陶芸と純粋アートの陶造形とは当方にとってはイーブンの意味があるのに対して、一般の方の受け止めは大きく違うのです。この狭間における若い作家さんの苦しみをパソニック汐留美術館の館長さんはわかっているのでしょうか??

だいぶ言葉か足りないでしょうか? 先ほど見たテレビのサスペンスでは有名な窯元の後継者選びのゴタゴタで殺人がおきるという筋、明日は<なんでも鑑定団>で偉そうな髭の和服おじさんが、古い壺を手に取って、なんてすばらしいのだとつぶやく。こんな場面が皆さんに陶磁器の概念を刷り込んでゆくのです。伝統工芸の担い手も一般のユーザーもこの暗黙の強固な概念の中に存在している。和功絶佳では新たな感性で工芸の枠にとらわれない表現を探求している注目の作家を集めたという。あくまでこの枠を前提に思考している。注目のといってもあくまでこの枠から見た注目である。この枠を取っ払ってしまっては、お客さんは来ないのです。作家も批評者もユーザーもビジネスもこの確固たる枠を軸に動いているのです。自分の表現したいものが先にあって、自由に表現するtime crossingの連中は伝統の技を苦心の末に身に着けた伝統工芸作家より楽な道を歩いているのか? そんなことはありません。自分の表現したいものが先にあって、自由に表現するといいますが、そこには終わりのない試行錯誤の苦しみの連続があるのです。枠から外れているということは支える物のない恐怖と闘わねばなりません。無論、収入を得て生きてゆくための大きな苦難もあるのです。 九谷焼、越前焼、備前焼、丹波焼等々、何とか焼きと名前が付くだけで、ユーザーとの懸け橋が生まれます。枠に参加できるのです。この枕詞がつかない陶造形は自由と苦しみを同時に味わうことになります。

当方はただ2つのアプローチがあると言いたかっただけです。それを多くの人に認識してもらいたのです。

Time crossingは東急世田谷線、上町から世田谷通りを歩いて10分の平成建設オークランド住宅公園に併設している平成記念美術館で9月29日まで、観覧無料、10:00~18:00 日曜休館



これは当方の最近作。ヒザラ貝をモチーフに陶器の彩色テストを行っていたのですが、キャンパスに貼りつけたら面白いかもしれないとやってみました。額も陶器で作る試みをしています。結構気に入っています。陶絵画作家と名乗ろうかと思うくらい、ここのところずっと絵画風陶器を連作しています。しかし、色立体も作っているので陶絵画作家を名乗るのはしばらく様子見です。上記陶造形作家さんに比べて、当方の主体は色を追っていることがお分かりになるでしょう。





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