小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

冬の越前海岸 その2 波の無限パターンを追って

2012-01-29 19:09:25 | 旅行
冬の越前海岸 その2 波の無限パターンを追って


昨年2月の越前海岸。水仙はこれまでの暖冬で完全に壊滅していました。ところが、この日は記録的大雪。吹雪の合間に海を撮影。一昨年のその1では岩と波の対話を主題にしましたが、昨年のその2では、絵の素材とするために波の色々な形がほしかった。間欠的に吹雪が襲ってきて、撮影コンディションは最悪でしたが、ペンタックス単焦点レンズ ★DA200mmが加わったので、とっても楽しい絵がとれました。北陸に向かう湖西線の琵琶湖の夜明け一枚と、越前海岸でわずかに残った水仙一枚以外はすべて波。百数十枚の波です。バカといわれようが、私には楽しい海の風景です。
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これからのデジタルカメラの方向を考える独り言

2012-01-28 21:46:04 | 日記
これからのデジタルカメラの方向を考える独り言

あんまり、カメラのメカに関して議論したくないのですが、カメラメーカーに2つお願いがあるので書きます。
その1、これは前から言っているのですが、ペンタックスさんに、200mm limitedを作ってもらいたい。軽くて性能のいい望遠単焦点レンズがどうしても欲しいのです。単純に★DA200mmは重たすぎるのですよ。
その2、陶芸教室の新年会で、カメラのプロダクトデザインをしている女性と話しているときに、これからのカメラに関しての話となりました。当方の主張として、カメラとタブレットとロボットの3つのコラボレーションがキーワードだと言いました。
<写真>でなんだろうと素人なりに考えます。真実を写すと書きます。カメラが出来た時に絵画にくらべると真実を写すと思ったのでしょう。写真には<説明/報道写真>と<絵画的写真>の2つのベクトルがあると思っています。その混じりあいで出来ています。写真はその発祥からいって、<説明/報道>の要素からはじまり、この要素の割合が大きい。写真でいくら絵画的に優れていたからといって、それに2億円払う人はいません。絵画なら何億円でも払う人がいるのです。どう転んでも絵画的要素で写真は絵画にかないません。一方、<説明/報道写真>的要素では圧倒的に写真が有利です。連写、高感度、望遠に広角など、人の目に見えないことまで出来ます。ですから、カメラを語る人達は、人の目で出来ないことをメカに期待して、メカの話ばかりするわけです。必要もないのに、最高速が何百キロといって喜ぶ車ファンと同じです。<説明/報道写真>が現状、写真でお金を得る商業的(プロ)の主たる領域であり、商品写真やモデルの写真は絵画的要素というより、どちらかというと説明要素に分類されると思います。ですから、カメラメーカーの追いかける主体は<説明/報道的>要素です。特に日本は。絵画的要素は金にならないので、アマのオジサン(当方もここにいます)が好む一つの領域となっています。プロ用カメラの大御所であるニコンがD3をD3xとD3sに分けたのはその2つの要素に分化させようとしたのでしょう(なんでまたD4に統合したのでしょうか。そのうちまた分化させるのでしょうか)。ペンタックスは645Dに代表されるように、<絵画的写真>にふっています。すくなくとも<説明/報道的>要素でニコン、キャノンに対抗しようという意図をもっていません。
 ところが、カメラがデジタル化されて、<絵画的写真>の要素が新たな次元に入ったと思うのです。当方が写真に興味を持ったのはデジタル化されて、<絵画的写真>の要素が発展する可能性を見たのです。無論<説明/報道写真>の要素もデジタル化により進展する可能性があり、現在カメラメーカーはそれを追っているのですが、<絵画的写真>もこれまで以上に壁を打ち破るチャンスが訪れたと思っているのです。いまは到底2億円を稼げる写真は無いかもしれないが、将来は2億円を稼ぐ写真ができてもおかしくないという可能性が見えるのです。その第一ステップとして図のような装置を作ってください。



デジタル一眼レフを使った、絵画を画く装置を作ってほしいのです。書く人は一日座って、タブレットに絵を描くのです。アマでいわば日曜画家です。プロの画家は何度も何度も現場に通って、何度も何度も素描をして、何か月、何年もかかって一つの絵をかくのです、だから何億円の価値が生まれるのです。現在は何か月、何年かけるのはむりですが、現場で一日かけて写真を作るという方向がデジタルで生まれようとしているのです。タブレットは全ての機能が集中されて、CGも出来れば、ロボットを操作して、カメラの向きや、ズームや撮影条件をコントロールできるのです。現場でこれをやれるのです。ペンタックス645Dがその入り口を作った。一つの写真を撮るのに時間単位が必要であり、絵画的要素を追求した。それなのになぜ、不必要用部分を切り落としただけで、必要な要素を拡大追求しないのか。ペンタックスもニコンもなぜカメラに必要な全てを受け持たせようとするのか。小さなボディーに詰め込んだって無理です。多くの部分をタブレットに分担させるべきです。一番怠慢なのは三脚です。三脚はなんにも進歩していない。三脚はカメラ、タブレットをむすぶ拠点にならなければ。ある程度の大きさを確保できるのですから、いまのカメラの電子部分やマイクロモーター部分をもっと受け持てるのです。
スタジオの商業写真はこれに近いことやっているのでしょうが、スタジオからそれを持ち出せるようにしなければならない。写真はスタジオだけで撮る話ではないからです。少なくとも電子部分はタブレットで軽くなりました。カメラと三脚を足した重量を、カメラから三脚に一部移すことによって、カメラ自体の重量の肥大化を抑えようとしているのです。カメラの機能の一部が三脚に移れば、三脚がもっと進展して、総重量低減が行われ、コンパクトになる方向が加速するでしょう。トータルとして、機能は上昇する枠が広がり、且つコンパクトになれる。三脚を使う必要のない時と使う必要のある時を分離できれば、カメラはもっと身軽になるのです。
 これは、なにか、結局、ペンタックスとニコンにお願いしていることです。この部分はキャノンには期待していないのです。<説明/報道的>から発生したメカ要素をうまく追求して、プロと素人、双方をうまく取こんだのはキャノンです。キャノンが絵画的要素を満足出来るか出来ないか私は知りません。少なくとも、キャノンが追いかけているのは、これまでの写真がもっている方向そのものをメカ的に追及していると見えるのです。キャノンが自慢しているのは、羽ばたいている鳥が綺麗に撮れるというのが第一の主張です。2つのベクトルの比率を変えようとしているわけではないのです。素直にこれまでの方向を追求しています。これはこれで否定してはいません。私はデジタルが新たに生み出した絵画的要素のフロンティアを追求することをペンタックスさんやニコンさんにお願いしているのです。

訂正(2012-4-27) 写真が最も高く売れたケースで3億円を越したことがあるとネットにでていました。日本人でも1億円くらいで写真を売っている方がいるそうです。写真に何億も出す人はいないだろうというのはあやまりでした。しかし、当方の話の骨子はかわらないと思います。
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冬の越前海岸 その1 (岩と波のオマージュ)

2012-01-28 11:07:48 | 旅行
冬の越前海岸 その1 (岩と波のオマージュ)


昨年と一昨年の2月に越前海岸に水仙の群像を探して旅しました。いずれも水仙は盛りを過ぎてよい写真がとれませんでした。昨年は壊滅状態でまったくダメでした。そのかわり冬の海を撮りまくりました。一昨年は岩と波のぶつかり合いを淡々と撮りました。昨年は波の無限のパターンを淡々と撮りました。それぞれ百枚程度の写真を載せます。スライドショーで見てゆくと、私には<海の姿>が見えてきて、とても楽しいのです。この一枚が、年初のブログにのせた壺の絵柄の元になっています。詳しくはそれぞれのブログをみてください。
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ふるさと祭り その4 (最終回)

2012-01-26 21:17:11 | 日記
ふるさと祭り その4 (最終回)

北海道,海鮮弁当を食べて元気をつけて。 さらに撮影。



次は沖縄のエイサー。<エイサーは、沖縄県でお盆の時期に踊られる伝統芸能。この時期に現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため、若者たちが歌と囃子に合わせ、踊りながら地区の道を練り歩く。>

ちょっとネットから拝借。



以前、沖縄国際通りで開催される、エイサーの大会に偶然出くわしたことがあります。沖縄各地のエイサー部隊が沢山集まって、国際通りを練り歩くのです。もう大変、みなさんマジに競い合っています。沖縄はいいですよ。いまでも生活の場から歌が生まれ、踊りが生まれ、音楽が生まれています。







今日は、最終日のラス前の日で、エイサーグループも大半帰ってしまったのか、人数もすくなくちょっとさびしいエイサーでしたが、現地のエイサー大会はものすごい迫力ですよ。ファルマフロンティアでいっしょに働いていた女性がロックダンスをやっていたので、アメリカのまねばかりしないで、沖縄のエイサーを一度見て、ロックダンスに取り入れてはどうかといったのですが、まったく聞き入れてもらえませんでした。ちなみにロックダンスのロックとはLockで、固定するという意味だそうで、Rock ’n Rollのロックとは発音が違うのです。てっきりエルビスプレスリーのロックと思ったら、Rock ‘n Rollは揺らして、転がすという意味で。全く違うのでした。ロックダンスは、激しい動きをして、急に止まる状態になるところがユニークなアメリカで生まれたストリートダンスだそうです。見に来てくれといわれて、一回ロックダンス大会を見に行った時に、全員アメリカの国旗が入ったTシャツをきて、ロックダンスを踊っているグループがありました、LockでもRockでもいいのですが、そこまでアメリカにならなくてもいいではないですか。なさけないですよ。エイサーを見て、考え直してもらえないでしょうか。じいさんくさいこというなといわれても、アメリカに負けて、日本の過去と誇りをすてた大人たちがそだてた子供たちが、何も知らずにアメリカの国旗をきたTシャツでロックダンスを踊っているのを、追い詰められて沖縄の喜屋武岬(きやんみさき)から身を投げた人達や硫黄島の洞窟で最後まで戦った人たちが見たら、どう思うのでしょうか。そこまで平和になったかと喜ぶのでしょうか、もう涙すら出ないのでしょうか。



最後はねぶた祭りでしめましょう。















これで、ふるさと祭りはおしまいにします。日本のエネルギーがまだまだ燃えていて、こんなに人が集まることは、ほんとうに嬉しい。
最後にまた言いますが、当方が何で天皇遷都を主張しているかというと、皇居を開放して、一年中、日本中の物産が集まって、世界にアピールするトレードセンターを作りたいからです。江戸城が再建されて、皇居という舞台に日本文化が集結して、世界にアピールするのです。東京は日本中の力を終結して世界に挑戦するところだから、アメリカのまねをして挑戦するのではなくて、日本の根底からある力で挑戦するのです。西にもどった天皇はじっくり、本当の日本をその根底から育てなおすのです。西はそういう役目を担ったところなのです。
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ふるさと祭り その3

2012-01-25 21:25:42 | 日記
ふるさと祭り その3

さて、次は秋田竿燈(かんとう)まつり。
<毎年8月3日 - 6日に秋田県秋田市で行われる祭り。竿燈全体を稲穂に、連なる提灯を米俵に見立て、額・腰・肩などにのせ、豊作を祈る。大若(おおわか)は提灯が46個、重さが約50kg。大若、中若、小若、幼若と大きさ順に呼び名がついている。いまは、1町内で1スポンサーがついて、それぞれの町を表わす絵柄をつけている。>
16時ころと、18時ころの2回も竿燈祭りを見てしまいました。



竿燈の入場です。



さあ、始まります。



いっぱいの見物人で、写真を撮るポジションを確保するのが大変。特別観覧席というのがあったのに、1000円をケチったために、撮影に苦労しました。後から考えるとバカみたいです。







50kgですから大変ですよ。



おはやしがまたいいのです。たまたま、ねぶたがバックに入って、ねぶたと竿燈がミックスして迫力満点。ふるさと祭りだからこそのショットです。





50kgがこれだけたわむと、とっても大変そうです。観客は大喜び。





ここからは夜の部。照明を消して、竿燈まつりを演じます。



見てる方は、楽ちんですが、演じている方は真剣です。









いやいや、ご苦労様でした。秋田に行かなくても、竿燈まつりが見られました。よかった、よかった。
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