新幹線途中下車の旅 ~丹波焼~ その3
陶の里(スエノサト)、窯元横町で買い物してから昼ごはんとおもって、横町に入ると30件近くならんでいるので、どれを買ったらいいか、うろうろ迷いまくる。1.5時間くらい迷ったあげくに幾つか買いました。
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リコーGXR+マウントA12+ペンタックス18-135mm 以下同様
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左の棚にある、梅干し入れみたいな壺は典型的丹波焼の縮小版みたいで買いたかったが、結局他の物を買ってしまった。
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ここで二つも購入。 後でお見せします。 棚の右下の湯飲みと梅干し入れ壺。
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やっと昼飯にありついたのは2時。 釜めしを食べる。
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陶の里、施設の上の方に、伝統工芸士作品展示室があり、続いて、伝産会館があって、丹波焼の全貌が展示してありました。 在るじゃないちゃんと。兵庫陶芸美術館ではちっとも教えてくれなかった。伝統工芸士作品展示室は撮影禁止と書いてなかった(のはずですが、違ったらすみません)ので、撮影。 伝産会館は撮影禁止、模写禁止。 とうとう出てきましたよ、<模写禁止>というのが。ここには丹波焼の歴史とそれを示す、伝統的作品がならんでいました 。なんで模写禁止なのかわからない。
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緑釉葡萄大皿 伝統剛芸士 市野 勝
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左から:窯変甘口徳利 伝統工芸士 市野信行
水差 伝統工芸士 清水俊彦
窯変ラッキョウ 伝統工芸士 今西公忠
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こういうのが、典型的丹波焼と理解しています。
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これも丹波焼特有の傘徳利
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上彩釉 六角壺 伝統工芸士 清水俊彦
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自然釉 花瓶
ネットからの丹波焼の説明を載せておきます。<丹波立杭焼(たんばたちくいやき)は兵庫県篠山市今田町付近で焼かれる陶器、器。主に生活雑器を焼いてきた。丹波焼、または立杭焼ともいう。起源は平安時代にまで遡るといわれ、信楽焼、備前焼、瀬戸焼、常滑焼、越前焼と並び六古窯の一つに数えられる。
平安時代末期から鎌倉時代が発祥といわれ、登り窯により最高温度約1300度で50~70時間も焼かれるため器の上に降りかかった松の薪の灰が、釉薬と化合して窯変、「灰被り」と呼ばれる独特な模様と色が現出し、また炎の当たり方によって一品ずつ異なった表情を生み出すのが丹波立杭焼の最大の特徴である。ただし、高級品は登り窯によって作られるが、廉価の多くの陶器はたいていはガス窯で焼かれたものであり、見た目も品質も全く別物である。中世には轆轤を用いない紐作りという手法で形を整え、窖窯と呼ばれる独特の窯で釉薬を用いず、焼き締めて作られた。初期には壺や甕、すり鉢などを主に作っていた。江戸時代に入ると登り窯が用いられるようになり、大量生産品としてのすり鉢が堅牢であったため、17世紀には、中部、関東以北に急速に普及し、堺産のすり鉢が18世紀中盤以降に普及するまでは東日本で瀬戸と二分するシェアを誇った。一方で、小堀政一(遠州)等の影響により、茶碗、茶入、水指といった茶器の分野においても数多くの銘器を生み、京都や美濃焼に影響され、釉薬を用いた陶器が誕生した。江戸時代後期には篠山藩の保護育成などもあり、直作、一房、花遊、一此、市作など世に名を轟かせる陶芸家を輩出した。窖窯時代には小野原焼と呼ばれていたが、登り窯時代に至って、現在の呼び名である丹波焼あるいは立杭焼の呼称が確立し、1978年(昭和53年)には丹波立杭焼の名称で国の伝統的工芸品指定を受けた。現在、今田町上立杭、下立杭、釜屋地区の窯元は約60軒あり、今田以外にも丹波立杭焼を名乗る窯元が多数ある。>
もう、3時だ、4時半には陶芸美術館で荷物を回収して、バスに乗らなくてはならない。大変だ窯元をたずねる時間が無い。あきらめようとも思ったが、一軒だけでもいいから窯元をのぞこうと、陶の里を出て、窯元地帯に向かいます。
陶の里(スエノサト)、窯元横町で買い物してから昼ごはんとおもって、横町に入ると30件近くならんでいるので、どれを買ったらいいか、うろうろ迷いまくる。1.5時間くらい迷ったあげくに幾つか買いました。
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リコーGXR+マウントA12+ペンタックス18-135mm 以下同様
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左の棚にある、梅干し入れみたいな壺は典型的丹波焼の縮小版みたいで買いたかったが、結局他の物を買ってしまった。
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ここで二つも購入。 後でお見せします。 棚の右下の湯飲みと梅干し入れ壺。
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やっと昼飯にありついたのは2時。 釜めしを食べる。
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陶の里、施設の上の方に、伝統工芸士作品展示室があり、続いて、伝産会館があって、丹波焼の全貌が展示してありました。 在るじゃないちゃんと。兵庫陶芸美術館ではちっとも教えてくれなかった。伝統工芸士作品展示室は撮影禁止と書いてなかった(のはずですが、違ったらすみません)ので、撮影。 伝産会館は撮影禁止、模写禁止。 とうとう出てきましたよ、<模写禁止>というのが。ここには丹波焼の歴史とそれを示す、伝統的作品がならんでいました 。なんで模写禁止なのかわからない。
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緑釉葡萄大皿 伝統剛芸士 市野 勝
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左から:窯変甘口徳利 伝統工芸士 市野信行
水差 伝統工芸士 清水俊彦
窯変ラッキョウ 伝統工芸士 今西公忠
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こういうのが、典型的丹波焼と理解しています。
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これも丹波焼特有の傘徳利
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上彩釉 六角壺 伝統工芸士 清水俊彦
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自然釉 花瓶
ネットからの丹波焼の説明を載せておきます。<丹波立杭焼(たんばたちくいやき)は兵庫県篠山市今田町付近で焼かれる陶器、器。主に生活雑器を焼いてきた。丹波焼、または立杭焼ともいう。起源は平安時代にまで遡るといわれ、信楽焼、備前焼、瀬戸焼、常滑焼、越前焼と並び六古窯の一つに数えられる。
平安時代末期から鎌倉時代が発祥といわれ、登り窯により最高温度約1300度で50~70時間も焼かれるため器の上に降りかかった松の薪の灰が、釉薬と化合して窯変、「灰被り」と呼ばれる独特な模様と色が現出し、また炎の当たり方によって一品ずつ異なった表情を生み出すのが丹波立杭焼の最大の特徴である。ただし、高級品は登り窯によって作られるが、廉価の多くの陶器はたいていはガス窯で焼かれたものであり、見た目も品質も全く別物である。中世には轆轤を用いない紐作りという手法で形を整え、窖窯と呼ばれる独特の窯で釉薬を用いず、焼き締めて作られた。初期には壺や甕、すり鉢などを主に作っていた。江戸時代に入ると登り窯が用いられるようになり、大量生産品としてのすり鉢が堅牢であったため、17世紀には、中部、関東以北に急速に普及し、堺産のすり鉢が18世紀中盤以降に普及するまでは東日本で瀬戸と二分するシェアを誇った。一方で、小堀政一(遠州)等の影響により、茶碗、茶入、水指といった茶器の分野においても数多くの銘器を生み、京都や美濃焼に影響され、釉薬を用いた陶器が誕生した。江戸時代後期には篠山藩の保護育成などもあり、直作、一房、花遊、一此、市作など世に名を轟かせる陶芸家を輩出した。窖窯時代には小野原焼と呼ばれていたが、登り窯時代に至って、現在の呼び名である丹波焼あるいは立杭焼の呼称が確立し、1978年(昭和53年)には丹波立杭焼の名称で国の伝統的工芸品指定を受けた。現在、今田町上立杭、下立杭、釜屋地区の窯元は約60軒あり、今田以外にも丹波立杭焼を名乗る窯元が多数ある。>
もう、3時だ、4時半には陶芸美術館で荷物を回収して、バスに乗らなくてはならない。大変だ窯元をたずねる時間が無い。あきらめようとも思ったが、一軒だけでもいいから窯元をのぞこうと、陶の里を出て、窯元地帯に向かいます。