小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

京都・大坂の旅 ユニバーサル・スタジオ・ジャパン

2022-05-30 19:54:33 | 写真日記
京都・大坂の旅 ユニバーサル・スタジオ・ジャパン

2022-5-9(月曜)
京都国際写真祭を離れて、今日は大阪ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに挑戦。
まずはカンディオホテル京都烏丸六角を後にして、一筋南の蛸薬師通りにある前田珈琲本店に入る


ネット情報

この喫茶店は京都人に愛され半世紀とあるので入ってみた。広いレトロな店内。しかし、2つの点で当方には受け入れがたい。水がまずい、それで入れたコーヒーが旨くない。伝統を変えないことは結構だが、水のタンクが老朽化しているのではないかと疑う?? 

今日の機材は全てFujifilm GFX100S+GF45mm



超高いモーニングも普通のモーニング。

家内はすでに進撃の巨人のTシャツを着てやる気満々。
家内のUSJへの興味がどこから来ているのは良くわかりませんが、今回の旅は多分に昨年末に子供たちが、京都大阪を旅した後を追いかけている状態であり、大阪はUSJで、着ているTシャツは子供から借りたものです。

さて、JR快速で大阪へ、USJへ。



連休明けの月曜だから空いているかと思いきや、入り口にはこんな列が出来ていました。





おそらく、我々の年齢の合計は、このUSJに今日おとすれている来園者でトップクラスの高齢者であると断言できます。何か記念品をもらってもいいんじゃないかと思います。

まずは、進撃の巨人のブースへ、 当方の役割は、もっぱら家内専属カメラマン。







進撃の巨人の手のポーズをとっているつもりだったのですが、これはあとで手の向きが間違っていることがわかりました。


ネット情報 これが正しいポーズ(公に心臓をささげる敬礼)。

USJのスタッフに会うたびに、家内はTシャツをほめられていました。実は家内は本当は進撃の巨人をよく知らないのです(当方は無論全然わかりません)。それでも家内は誰が好きですかときかれると<リバイ兵長>とか答える不思議なキャラクターの持ち主です。



関連グッズを買うことが大きな目的だそうです。


次は、子供達情報から、あまり並ばないで、あまり怖くないイベントとして推薦されたジョーズコーナーに向かいます。



サメ騒動が起きたアミティー・ビレッジの雰囲気が色々演出されています。





ここからボートが出発します。 ボートでは撮影禁止ですから、いい写真はとれません。








スマホ

たまたま空いていたので、スタッフに記念写真を撮ってもらいました。



アミティー・ビレッジのレストランに入ろうかと思ったのですが、スキップしてハリーポーター地区に向かう。




スマホ

USJには6種のジェットコースターあるそうですが、これが一番こわいやつかな?


ホグワーツ城、ハリーポッターの主たる活動場所。主人公のハリーたちが入学したホグワーツ魔法魔術学校は、校舎兼生活施設としてこのホグワーツ城を使用。実際はこの城はどこにも実在しないそうだ。



若い方は皆なんらかのコスチュームを付けている。家内も何かを付けることを試みようとしたが、結構高いのでやめた。



ホグズミード村をうろついていると、オリバンダーの店に呼び込まれました。



「杖が魔法使いを選ぶ」様子を体験する場所らしい。天井の高い建物の壁際にぎっしりと杖の箱が積まれている。



ここに入った10人程度のお客の中から一人選ばれて、その人に合う杖を選んでくれる。
この2人のお芝居に家内が選ばれた。色々なやり取りの末に選んだ杖を渡されお芝居は終了。



表に出て、この杖もらえるのですかと聞くと、これはサンプルで、同じものを買ってくださいと言われる。4500円といわれて辞退する。その後、ハリーポッターの映画をテレビで最後まで見て、家内は買っとけばよかったと後悔した。調べてみるとオリバンダーの店で選ばれることは名誉なことだそうだ。進撃の巨人のTシャツが効いたのか、変身常習犯の性癖を見破られたのか?


スマホ

ホグズミード村でハリー、ロン、ハーマイオニーが仲良く乾杯して飲んだのがこのアツアツのバタービールということで、ここでは人気。ただ甘いだけといわれて、飲むのは本物のビールにした。



ホグズミード村らしいレストラン三本の箒にはいる。





ポークリブとフィッシュ&チップス、ビールを注文。レストラン三本の箒は雰囲気も食事もイギリスそのものと家内は感激。イギリスそのものということはベチャベチャのフライドポテトとフライドフィッシュであった。



ロンドンのキングズ・クロス駅から、ホグワーツ魔法魔術学校の生徒たちを乗せてホグズミード駅へやって来たホグワーツ特急。時々蒸気を噴き出す。


次はスーパー・ニンテンドー・ワールド



暗いトンネルをぬけると、ニンテンドー・ワールドが広がる。隣にいた高校生くらいの若者が、ワーと感激の声を上げた。彼の原風景ゲームの世界が実在したことに、心から感激したようだ。ちゃんと素直に心から感激することができる若者がいることがなにか嬉しかった。





もっとも安全な乗り物、ヨッシー・アドベンチャーに乗って、ニンテンドー・ワールドを一回り。





ニンテンドー・キャラはマリオなど多少見覚えがあるので、関連グッズ購入に挑戦する。

ジョーズエリアで買った指輪(キーホルダーに使う予定)とここではニンテンドーキャラ・キーホルダーを買う。キーホルダーはいくらあっても困らない。




ジュラシック・パーク・ザ・ライド

子供達はこれに乗ってずぶぬれになったそうです。

ジュラシック・パークは通り過ぎただけ。







最後にビバリーヒルズ・ブランジェリーでスイーツを食べて休憩。

これで年寄りのUSJはおしまい。京都・大坂の旅もおしまい。我ながらご苦労様でした。

夕食は駅弁でした。お酒は、昨晩の残りの秋鹿をペットボトルに詰めたやつ。残り酒これが美味しいんだな!






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Newアート考察 絵画と写真の狭間 その5 ~京都国際写真祭―3~

2022-05-28 17:58:05 | 写真日記
Newアート考察 絵画と写真の狭間 その5 ~京都国際写真祭―3~
2022-5-8 続き

少しは当方の写真に役に立ちそうな写真を見ようと、KG+の一会場に向かいます。烏丸通りを越して、京都文化博物館を越して、迷ったあげくコンセプトストア・ベルマナンにたどり着く。


KG+ Purpose of my life 217 MINA コンセプトストア・ベルマナン

Fujifilm GFX-100S + GF45mm


Fujifilm GFX-100S + GF45mm

やはり、撮影した後での重層やコラージュが当方の今後の方向だろうなと思うのです。





一見、紙袋に見えるが皮で出来ている。同様のバックが並ぶ。



イタリア製の装飾品だが、陶磁器というよりはファインセラミックスではないかと思う。店員の説明では落とすと割れますといっていました。色付けが幅広く、美しく均一で陶磁器から見ると魅力的。ファインセラミックスが家庭で作れるなら作ってみたい。

コンセプトストア・ベルマナンはなかなか面白い。


10/10現代日本女性写真家たちの祝祭  HOSOO GALLERY

岩根愛
<逞しい存在感を放つ桜の探訪である。写真と言葉を通じて、岩根愛は自らと自然との深いつながりを表現し、先祖伝来の信仰との関係性を表現する>


Fujifilm GFX-100S + GF45mm







𠮷田多麻希
「Negative Ecology」は、野生の鹿を撮ったネガフィルムの現像失敗を契機に始まったシリーズ。北海道の熊や鹿、鳥類など野生生物を撮ったネガフィルムを、洗剤や歯磨き粉など日用品に使用される薬品類を混ぜて現像することで、画像の損傷が「見えない自然の汚染」のメタファーとなる。


Fujifilm GFX-100S + GF45mm


ネット情報


Fujifilm GFX-100S + GF45mm


Fujifilm GFX-100S + GF45mm


Fujifilm GFX-100S + GF45mm

家内に言わせると、男女平等、女性差別反対と声高に叫んでいる連中が女性写真家の為の展示会とは何事か。さらにここに特別にGAY/LGBTの写真家が参加していることは何がいいたいのか。まあ深く考えることもなく、ただ人目を引きたいということと思いますが。
HOSOO GALLERYは、西陣の老舗「細尾」が運営するアートギャラリーですが、この展示会は人が集まるとふんだのか、予約制であり(我々は昨日の申請で次の日にやっと予約できた)、エレベーターは上りだけ、下りは5Fから歩けといわれ、トイレは無しといわれ、高齢者になんとも不親切な運営。全体に何か勘違いしているという悪い印象でここを後にします。

昨日見つからなかったKG+SELECT会場、<くろちく万蔵ビル>を見つけて入ってみました。公募型のコンペティションで選ばれた8名の写真家の写真が展示。しかし、特にここに載せる気になる写真もなく、スキップ。そのまま南に下って、四条烏丸駅でイタリアンを食べてビールを飲む、うまかった、昨日の昼食で入った土佐料理・居酒屋の藁焼のカツオ定食もそうでしたが、京都の味覚に対する平均値の高さを感じて嬉しくなる。

一駅、阪急京都線に乗って、京都河原町駅でおりて、祇園の奥にある建仁寺に向います。

No.10 奈良原一高 両足院(建仁寺山内)
2020年に逝去した日本を代表する写真家のひとりである奈良原一高の《Japanesque》シリーズのひとつ〈禅〉が展示されています。ヨーロッパ滞在中に日本文化の魅力に目覚め、帰国後、曹洞宗大本山總持寺(神奈川県横浜市)や總持寺祖院(石川県輪島市)にて、禅僧や僧堂等を被写体とした作品を作成。
当方にいわせると、海外で日本文化の魅力に気が付くことはごく一般的流れ。当方もご多分にもれず。 これに気が付かずに死ぬまで海外文化に憧れ続ける人も少なくありません。吉野の桜も見たことないのに、昔、ワシントンDCの桜を最高だと主張し続ける知り合いがいました。日本を知らないくせに、たまたま海外で見た風景や文化を最高という人はいっぱいいます。これは悲しい。決してワシントンDCの桜が素晴らしくないとは言っていません。













建仁寺 法堂(はっとう)の双龍図、建仁寺創建800年を記念した小泉淳作(1924年– 2012年日本画家・陶芸家)の作品。


小泉淳作(日本画家・陶芸家)




家内が八坂庚申堂のくくり猿を訪ねたいというので、建仁寺を出て、東に歩いて東大路に出る。そのつもりだったのですが、いつのまにか南に向かって五条通りに出てしまいました。知っているようでわかってない恐ろしさ。タクシーで高台寺に向かいます。そここから八坂庚申堂はすぐ。

八坂庚申堂は最近突然ブレークした若者のネット時代の人気お寺。人気マンガ、きのう何食べた?の映画版で、しろさんとケンジが訪れ、可愛い物が好きなケンジがここの<くくり猿>に喜こぶシーンで有名になりました。









次の日の朝よった珈琲店に貼っであった八坂庚申堂の<くくり猿>の由縁。



八坂塔、八坂神社を抜けて、神社前の京の米料亭・八代目儀兵衛に向かいます。これも子供達情報による。



米を食べさせる料亭、米三昧~『八坂』コースで5千円なんぼ。これは一種のマジック。



当方はここでまた美味しいお酒<銀シャリ>にでくわす。京都・丹後の地酒 白杉酒造株式会社がササニシキで作る特別純米酒。ササニシキはお寿司で好まれる米で、通常お酒には使われない。シャープでドライな口当たりとうたっていますが、当方の感じではコメのうまみが濃厚でありながら通常の純米酒のように甘すぎないお酒。米を酒の肴に米の酒を飲むという初めての経験。これがなんとぴったりの旨さ。



八穀米のお粥から始まって、延々とお米の料理が続きます。


銀シャリパン



銀シャリの次に飲んだ、澤屋まつもと守破離・純米大吟醸。これは一般的純米大吟醸で、米を肴に飲むというお酒には銀シャリにかなわなかった。





土鍋炊飯釜Bambooで炊いた儀兵衛オリジナル米<翁霞>の銀シャリ御飯


御飯のお供盛り合わせ



10品目の締めはオコゲのだし茶づけ。
お米マジックは京都マジック。立派なマジックです。

店を出て、勝手知ったる(はずなのだが)白川沿いを歩いて地下鉄東西線・東山駅へ向かう。当方は10年前までの7年間、三条通りの三条駅と東山駅の中間に住んでいました。





地下鉄烏山御池でおりてホテルに向かう。今日も昨日も2万歩以上のウオーキングでした。
これで京都国際写真祭の話はおしまい。明日は大阪ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの日です。

ここで京都国際写真祭を見て、<絵画と写真の狭間>を総括しましょう。

Contemporary Artに関する本、<みんなの現代アート>グレイソン・ベリー著を行きの新幹線で読みました。期待に反して、何だかちっともわからない感銘を受けない本でした。本屋でたまたま開いたページに<一般の写真とアート写真の違いは、サイズが2m以上大きいか小さいか、登場人物が笑っているか笑っていないか。価格が5桁以上か否かである>という記述と著者が陶芸家であるという点が興味あって買ったのですが。当方の能力がプアなのか、根源がずれているのか。

セザンヌから始まった分解と再構成、選択と削除のアートの世界はContemporary Artにいたって。そのダイバーシティの極致が複数の<アート村>を作った。狭い村では村でだけで通用する価値基準がある。村の住人は自分たちの価値基準にのめり込んでおり、分からない奴はバカだと思っている。村人は自分たちの価値基準で競い合い、優れたと思われる作品には億という値がつく。その値につられて、作家は何とか注目されたいと競いあう。
グレイソン・ベリーは美術館で小便器がアートとして飾られ、さらにそこに本物の小便を流し込む試みまでがアートか否かという議論を延々と続ける。
<現代アーティストの話題は抽象表現主義vsシュールレアリズムとかではなく、政治であり、誰が価値ある活動家であり、誰が金に目をくらませたエセ冷笑家であるかというようなことである>という彼の言葉が表すように、ある意味、今回の京都国際写真祭が示すように、アートとはアート村でいかに目立ち、上手くゆけば村の金持ちに取り入ることが出来るのではないかという試みであるのだ。アートは美しいもの、皆の心が感動するものの追求ではなくなった。それでもアート村の住人には心の糧なのだ。

Contemporary PhotographyはContemporary Artに大きな影響を与えています。Contemporary Artのダイバーシティーのなかで、極めて重要なポジションを締めているように思います。
今回のContemporary Photographyの中にいくつかのアート村が混在するようですが、どれも当方の方向には一致しない。それぞれの村の住人は当方をバカにするだろうが、そうだからしょうがない。

しかし、これらの<アート村>は互いに影響し合っており、当方にも何らかの影響を与えているに違いない。以前のアート考察にも述べましたが、アート村はそれぞれ独立し、しかし互いに影響し合うしかなく、それが最もいいのだという結論にまた到達する。

丸めて言えば、今回の旅の結論は皆勝手にしやがれ、当方は好きなように自分の方向を追うだけだ、という原点に戻っただけでした。しかし、これも大きな収穫です。

アートと日本工芸、再び日本工芸のすごい力を京都に見ました。しかし、当方が目指す<アート>を変えることはできない。影響し合うことはできるが、変えることはできない。

且つて絵画は写真の出現で実写から追い出されて抽象画に向かいました。セザンヌ、ルノアール、マチス。ピカソを経て近代絵画の全盛期を迎え、これが当方の原風景であり、<絵画>のイメージなわけです。
<川邊りえこ>のいうように現代アートは作家の個性を「もの」に表出する。個性を「もの」に表出するには写真は手っ取り早い、しかも簡単に全世界に広がることが出来る。いつのまにか現代アートは写真/動画/デジタルアートが中心軸となっているように見えます。インスタレーションも写真/動画/デジタルアートが無ければ成り立たない。

当方の原風景を仮にファインアートとよぶことにすると、ファインアートはまたもや写真に追い出されて元来た道を戻っているのか? まあ素敵、この絵は写真見たいと観客が精密具象に喜ぶ。かろうじてウォーホル、バスキア、バンクシーなどが頑張ってはいるが、現代アートは写真/動画/デジタルアート/インスタレーションとイコールとなり、一般大衆にはつまらない時代になる。
クラシック音楽の流れが、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンまではなんとかなるが、その後の現代音楽は大多数の人が感動できる音楽ではなくなった(しかし、当方は<4分33秒>の無音の演奏として知られるジョン・ケージの演奏、<4分33秒>ではありません、プリペアド・ピアノを聴いて。その才能に感激したのですが)。現代アートも同じ道を進んでいるように見える。

<絵画と写真の狭間>という課題の設定自体が現代アートに関しては意味ない気がしてきた。これから現代アート、写真、ファインアートはどこへ行くのか?

この国際写真祭を京都でやることは何を意味するのか? 絶対的自信のある京都の伝統芸術にとって、現代写真祭は単に客寄せの手段であり、屁とも思ってないのかもしれないし、伝統芸術に何か少しでも刺激が入ればいいかと思っているのかもしれない。

これから現代アート、写真、ファインアートの行く先は、ウォーホル、バスキア、バンクシーの次は日本の伝統芸術の心かもしれない。且つて、浮世絵が西洋アートに大きな影響を与えたように。

<川邊りえこ>のいう<日本の美の本質は総体にある>が鍵となるか?

確かに、お茶、能/ 狂言/歌舞伎、御所/お寺/お庭/仏像を考えると現代アートのはるか上のインスタレーションであり、皮肉と札束ではなく厳しい美の戒律とオモテナシが支配し、自然/宇宙/万物との真摯な融合/祈りである。個人が世界/宇宙の中心でなく、総体の中に個人がいる。
伊藤若冲のいう、当方の根源である<あらゆるものに神は宿る! 私は祈りながらそれをありがたく写し取らせていただくだけです。> それでいいと思うのです。






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Newアート考察 絵画と写真の狭間 その4 ~京都国際写真祭―2~

2022-05-27 16:40:20 | 写真日記
Newアート考察 絵画と写真の狭間 その4 ~京都国際写真祭―2~

2022-5-7 続き

烏丸通りを越してすぐのところに京都文化博物館および別館があります。
ギイ・ブルダン  京都文化博物館 別館

この別館の上部に小さなバルコニーがあり、この機会に特別に入ることが出来ました。そこからの眺めは貴重なもの。


<ギイ・ブルダンは<フランスを代表するファッションフォトグラファーのひとりである。「滑稽と崇高」という紙一重の関係のあわいに戯れるような意外性を備えた緻密な作品により、ファッション写真を優れた芸術に押し上げた>
とネットで説明がある。確かにファッションフォトグラフがベースであることがわかります。ファッションフォトグラフは当方の写真の方向とは全く違う世界で、この<絵画と写真の狭間>の最後で述べるようにこれも一つの<アート村>を形成していると思われます。


Fujifilm GFX-100S + GF45mm


Fujifilm GFX-100S + GF45mm


Fujifilm GFX-100S + GF45mm


Fujifilm GFX-100S + GF45mm


スマホ

三条通りのすぐ上、御池通の脇道に嶋臺ギャラリーがありました。会場はどこも行列が出来ています。
No.2 マイムーナ・ゲレージ Rûh|Spirito  嶋臺ギャラリー

<マイムーナ・ゲレージはイタリア系セネガル人でクリスチャンからスーフィー系のイスラム教に改宗したり、写真、彫刻、ビデオ、インスタレーションなど多角的媒体を用いたり、
アフリカ、アジア、ヨーロッパの文化など多角的理解をベースにすること等、文化・社会・言語・民族・宗教にまつわるバリア(障壁)を超越することを目指としている。>  確かに会場はインスタレーション風でした。
当方も個展・クロスオーバー展を開くなど障壁をとっぱらったり融合させたりすることは大好き。すでに30年前にボストンで1年間コンテンポラリー美術館の会員だったからこの手のインスタレーションには慣れています、といって他人のインスタレーションは楽しい事もない。といって自分でもインスタレーションはやってみたい。


Fujifilm GFX-100S + GF45mm


スマホ









これも<アート村>の一つという印象で、当方にはお好きなようにやってくれという感じ。

今日の夕食は錦市場で食べ物を買い込んでホテルで食べようと錦市場に向かいます。その途中にある京都国際写真祭と同時開催している<KG+  KYOTOGRAPHIE> の一会場を目指すが勘違いしてどうしても見つかりません。疲れて喫茶店に入ります。前川珈琲明倫店とある。後で調べると<「明倫店」は、1993年に閉校した明倫小学校の建物が京都芸術センターとして生まれ変わった時、1階の教室にカフェとして入店>




Fujifilm GFX-100S + GF45mm


Fujifilm GFX-100S + GF45mm

建物もレトロだがメニューも極めてレトロ。家内はメロンソーダ、当方はコーヒーフロート風なんとかかんとか。



小学校の建物ですが、芸術センターの内部という雰囲気も醸し出されています。京都ならではの演出。




Fujifilm GFX-100S + GF45mm
明倫小学校の名残でしょうか、二宮金次郎の像がありました。家内が感激して記念撮影。

さて、錦市場に到着したはいいですが、だいぶ遅くなってしまいました。本当にここは6時には店がバタバタみな閉まってしまう。


Fujifilm GFX-100S + GF45mm


Fujifilm GFX-100S + GF45mm
超特急で買い物、一番困ったのはお酒。当方の行きつけの酒店はすでに閉店。色々聞いても開いている酒店の情報が無い。やっと横道の立ち飲み酒屋でお酒を手に入れることができました。秋鹿という大阪のお酒しか売っていなかったので、一番高いやつを買いました。立ち飲みの連中がワイワイ盛り上がっていました。カウンターのお客さんが当方の買った一ランク上の酒をうらやましそうに見ていた気がします。

この秋鹿、<秋鹿酒造は1886年大阪北部にあたる能勢にて創業されました。「秋鹿」という酒名は初代・奥鹿之助が実りの『秋』と、名前から一字を取って名付けられました。秋鹿の酒造りは土造りから始まります。大阪の山奥、能勢町の自社畑にて山田錦を栽培。無農薬の米造りに力を入れており、米と麹と水だけで造られる純米酒のみを造っています。この、酒造りに対する強いコダワリが秋鹿を銘酒たらしめる大きな要因の一つとなっている。自分の呑みたい酒を自分で栽培した米で造る><安倍晋三前総理とトランプ氏が大阪サミットで乾杯し、味わった銘酒>とネットにあるようにこちらでは酒飲みには知られた銘酒でした。購入したのは秋鹿 山廃純米 自営田山田錦 火入れと思われます。少々古酒に近い味で、これまた当たり、記憶に残る一期一会となりました。


Fujifilm GFX-100S + GF45mm
エビ豆、うなぎの肝焼き、アナゴ巻きずし、お寿司、タコ焼き

2022-5-8(日曜)



ホテルから見る朝の光景。真下がホテルの改修町屋、我々はその奥の10階建てビルの9階にいます。前は六角通り。


子供たちの推薦で、一つ南の蛸薬師通りにある、京菜味野村で朝食。湯葉丼とよりどりおばんざい小鉢。朝から列ができる人気店。祇園や先斗町のおばんざい料理は高すぎる。ここはリーズナブルな値段というか当然の値段で結構。

京都のお寺を見る時間は今日の午前中しかありません。当方がたった一つ選んだお寺は真如堂。特に桜とか紅葉とか何か特別な見どころがある時期でもない京都で選んだのは、当方が京都に住んでいた時のいつもの散歩道の一つ黒谷、真如堂、哲学の道、法然院コース。時間を節約して、タクシーで真如堂へ向かったので黒谷はカット。
当方は10年前に7年間京都三条に住んで、バイオベンチャーを運営していたので、京都は知り尽くしている。(はずだったのだが、今回の旅で色々な間違いを犯している。知っているという思い込みほど危ないことはない。)


Fujifilm GFX-100S + GF45mm

真如堂は人が少なく、なにげない癒しの空間がいつも用意されているオモテナシのお寺。


Fujifilm GFX-100S + GF45mm


Fujifilm GFX-100S + GF45mm


Fujifilm GFX-100S + GF45mm




スマホ 
ここは紅葉が有名、紅葉が有名なところは青モミジも美しい。


Fujifilm GFX-100S + GF45mm


Fujifilm GFX-100S + GF45mm


Fujifilm GFX-100S + GF45mm
真如堂の裏手の急な坂を東山を見ながら下ると白川(北白川)を越して哲学の道にでます。裏道的黒谷、真如堂から、表道観光スポットの哲学の道へ坂一本で突然出くわす落差が好きなのです。


Fujifilm GFX-100S + GF45mm
この水路は琵琶湖疎水で北にむかって逆に流れる。 朝なら観光客はほとんどいません、地元の人が犬をつれて散歩している。昔、京都が実家の知り合いが若き頃、酒を飲んだ帰りに水路に落っこちてお父さんに助け出されたと言っていました。結構はいあがるのは大変そうだ。


Fujifilm GFX-100S + GF45mm


法然院はこの門以外に特に見るべきものもがありませんが、なんとなくいつも訪ねます。着物姿のおばさんたちが法事で急な坂を法然院に上がって来ました。着物では大変だろうにさすが京都だ。

さて、タクシーでホテルに戻って京都国際写真祭の2日目を仕切り直し。
続きはまた明日



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Newアート考察 絵画と写真の狭間 その3 ~京都国際写真祭―1~

2022-05-26 20:06:23 | 写真日記
Newアート考察 絵画と写真の狭間 その3 ~京都国際写真祭―1~

子供達が相次いで発熱、その後当方が38℃突然の発熱、てっきり新型コロナかと思いきや、家族全員PCR検査は陰性。しかし、よかった、よかったではありませんでした。ガタガタ悪寒で震えていた当方は半日で急速に平熱に戻る。ところが仕事に復帰できない。これまで毎日やっていた仕事の内容が全く思い出せない。記憶の一部が飛んでしまう痴ほう症の始まりか?ブログのアップの仕方も思い出せない。万事休す。もう年なのだからまあいいか痴ほう症でも、と居直る。Trancriptome解析自動化の仕事はうまくゆきそうではあるが完成までの道のり(お金稼げるまで)があまりに大変。陶絵画はどの展示会も理解してくれない、作品を吊ってくれない。写真は周りとの乖離が激しくドン詰まり、新たな機材を買って打開しようにも金が無い、どれもこれもギシギシ圧迫する。そんな時に、最近の進展なら公的機関の補助金申請が出来るかもしれないと思い始める、しかし締め切りは6月初め、2週間で申請書を書かなくては。ブチ切れて全てを拒否する発熱と痴ほう症だったのか?? マジに恐怖が襲って来た。その後、少しずつ以前に戻りつつある。仕事に復帰、ブログ書きも復帰。何だったんだこれは??? 本当に復帰したのか????


日曜美術館で京都国際写真祭が紹介されました。京都らしいあちこちで、町屋やお寺で行う国際写真祭は面白いかもとこれに乗っかりました。連休最終日にこの国際写真祭が終わるというので、駆け込みの京都旅行を企画しました。写真に興味ない家内と、帰りにユニバーサル・スタジオ・ジャパンによるというバーター取引で7日発9日帰京都・大坂の旅が成立しました。


機材はFujifilm GFX-100S + GF45mmとFujifilm X-T3+ Zeiss touit 12mm     Fujifilm GFX-100S + GF45mm(実質32mm)で撮影した写真はそのように記載しますが、記載していない写真はFujifilm X-T3+ Zeiss touit 12mm(実質18mm)で撮影。この使い分けでなんとか全てをカバーしました。こうやって見ると、さすがにFujifilm GFX-100S + GF45mmは断トツのクオリティーを示し、どんな場面にも対応する底力を持っていることがわかります。

2022-5-7(土曜)
カンディオホテル京都烏丸六角
子供達が昨年末にとまったカンディオホテル京都烏丸六角が連休中に予約できました。今回の旅は子供たちの旅情報を踏襲して進行します。
カンディオホテル京都烏丸六角は町屋をリノベーションした宿ということですが、実はフロントと共有スペースの一部が町屋の改修で、客室はその後ろにある10階建てのビルなのでした。しかし、その価格からいって文句はありません。この価格でどうして商売になるのと家内は心配していました。


ネット情報

Fujifilm GFX-100S + GF45mm 町屋部分
偶然ですが、京都国際写真祭の出発点のインフォメーションセンターはホテルから歩いて5分もかからないところでした。このホテルは烏丸通りから六角通り入ってすぐのところにあります。一つ北が三条通り、一つ南が蛸薬師通り。京都各所に点在する国際写真祭の開催地の半分はこのホテル周辺でした。

出発点のインフォメーションセンターは町屋であり、結構見ごたえのある所でした。
No.00 インフォメーション町屋
八竹庵 (旧川崎家住宅)

八竹庵




スマホ


Fujifilm GFX-100S + GF45mm







当方が大変面白いと思ったディスプレイの書(書道家/美術家 川邊りえこ作)。


川邊りえこ ネット情報
<日本の美の本質は総体にある。
幼い頃から日本の伝統文化に触れて来た私は、そう直感していた。茶道、華道、香道など日本の芸道には共通する根拠がある。それは、「もの」単体で完成する美ではなく、関係性によって見いだされていく身体性と総合性である。現代アートのように作家の個性を「もの」に表出したものでなく、またコンセプチャルアートのように、言葉によって理解するものではない。日本の美は、共体験を通して「享受」し合うもの。受け手がどれほど知識があっても、感受できる「感性」を身につけない限り受け止めることができない。総体、つまり主客の感性が響き合う時間と空間を作ることが日本の美の本質であり、この総体の新しい様式の構築することが私の作品である。>





ロール印画紙を使った長い写真。これは当方はすでに個展・クロスオーバー展でロール印画紙での波の表現写真を展示しています。






過去の京都国際写真展のポスター


No4 イザベル・ムニョスx田中泯x山口源兵衛 誉田屋源兵衛 黒倉・奥座敷
このナンバーは京都国際写真祭会場の通しナンバーです。全部で10か所あります。

インフォメーションセンターのすぐ近くの誉田屋源兵衛 黒倉・奥座敷はこの国際写真祭の一つの目玉です。


入場するには長い行列に並ぶ必要があります。




スマホ




Fujifilm GFX-100S + GF45mm

誉田屋源兵衛十代目当主 山口源兵衛が体をはって写真家イザベル・ムニョスの要望に従い奄美大島で大島紬ドロ染め用池に浸かって奮闘。

<イサベル・ムニョスが2017年春にKYOTOGRAPHIEで誉田屋で展示をした際、誉田屋源兵衛当主の山口源兵衛が見せた誉田屋の織物や日本の古布にいたく感動し、日本の根源的な存在(exist)に興味を持ち、「日本の起源を探究したい」と日本を被写体とした作品の制作を決意する。イサベルは2017年再び日本を訪れ、KYOTOGRAPHIEのコーディネートのもと、誉田屋源兵衛の工房があり太古の自然が残る奄美大島で、ダンサーの田中泯と山口源兵衛を撮影。本展ではその写真と映像作品を展示する。また、イサベル・ムニョスがスペインで制作したプラチナプリントを京都で裁断し、糸に紡ぎ織り上げられた山口源兵衛作の3本の帯も初公開される。山口源兵衛が旧知の仲である田中泯の踊りのために制作した衣裳も特別に展示される。>


奄美大島ドロ染め ネット情報

我々は奄美大島に旅して、奄美大島紬村でドロ染め現場を見学しています(上の写真は大島紬村ではありません)。


ネット情報 誉田屋源兵衛の帯


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京都室町で創業280年以上を迎える帯匠、誉田屋源兵衛十代目当主 山口源兵衛


ネット情報 誉田屋源兵衛の帯


ネット情報 誉田屋源兵衛の帯


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2021 京都国際写真祭:MIROIRS–Manga meets CHANEL / Collaboration with 白井カイウ&出水ぽすか 誉田屋源兵衛十代目当主 山口源兵衛は積極的に現代のアートと接点を模索する。


黒倉


黒倉2F

黒倉の3Fに今回の写真をとりいれた帯が展示されていました。


Fujifilm GFX-100S + GF45mm

これ等写真を織り込んだ帯は、相当気を入れて作ったらしいです。


Fujifilm GFX-100S + GF45mm


Fujifilm GFX-100S + GF45mm


Fujifilm GFX-100S + GF45mm


Fujifilm GFX-100S + GF45mm

圧倒的京都伝統の力。誉田屋源兵衛十代目当主 山口源兵衛のエネルギーの集中は思いつきだけのContemporary Photographyでは足元にも及びません。

続きはまた明日




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New アート考察 絵画と写真の狭間 その2

2022-05-16 17:41:25 | 写真日記
2022-4-29
柴田敏雄Shibata Toshio氏は東京芸術大学大学院油画卒ということで、画家がルーツの写真家です。自然と人工物の共存が作る感性に触れる写真を絵画的に表現していると思います。















以下、ここに展示されていた、柴田敏雄氏と対比させたほうがいい絵画を載せましょう。


ヴァシリー・カンディンスキー


ピエト・モンドリアン


草間彌生

ヴァシリー・カンディンスキーは当方にとって謎の作家さんです。カンディンスキーの作品は世界中のあちらこちらの美術館にポツポツ展示されているものの、その全体像を紹介する展示会に日本で出会ったことがありません。彼の絵とクラシック音楽の同じロシアの作家イーゴリ・ストラビンスキーとは当方の頭の中で共鳴します。当方のクラシック音楽の旅はストラヴィンスキーが入り口であり現在でもそのまま続く特別な人です。この絵のようなカンディンスキーの前期の作品は当方にとって度肝を抜く自然の捉え方なのです。

写真が出来る前の絵画は、現実を図として残す、写真./写実の役割を持っていた。そこに現実的ニーズが加わって、色々な衣が重層していた。これをセザンヌはシンプルに、目の前の現実を、目の前の実体を使って、自分の心の鏡に映った通りに表現するという当たり前のことを当たり前に行った。鈴木理策の方向はそのセザンヌの方向そのものと思われます。
その後、セザンヌが解き放った、自分の心の鏡に映ったものを表現する方向が爆発的に色々な方向に拡大するのです。自分の心の鏡に映ったものをより強く表現する為に、必要なものは強調し、必要でないものは取り除く試みが現在に至るまで続いています。現実を分解し、その人にとって不必要なものを排除し、必要なものを選択して再構成する。分解と再構成です。ミロ、クレー、カンディンスキーの抽象画もしかり、ピカソのキュービズムもしかり。柴田敏雄はこのレベルで写真を作る。時には色を削り、常に写真の情報伝達性を削る。

当方は写真の情報伝達性を削り、色と骨格の形を残す。  違います、違います。自然の中に元々ある、当方の心に響く形と色を見つけ出して、それをありがたくただ写し取るのです。それをそのまま、陶絵画や色立体として形にするのです。

以下、この展示会の階の下にある、別の展示会、<Transformation 越境から生まれるアート>と<石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 ピカソとミロの版画 —教育普及企画—>から当方の好みの展示を少し載せます。

ジョアン・ミロ


ジョアン・ミロ


ジョアン・ミロ


ジョアン・ミロ


ジョアン・ミロ


パウル・クレー


アンリ・マチス


ラウル・デュフィ


バブロ・ピカソ


バブロ・ピカソ


バブロ・ピカソ


このあたりの絵は、当方が絵を習っていた小学校時代に脳神経に染み込んでいる原風景なのです。それぞれが、何を取り上げ強調し、何を削ったか。
当方は何を取り上げ強調し、何を削るか、もっと覚悟をきめ、もっと命がけにならなくては現状を抜け出ることはできません。



展覧会を見終わって、アーティゾン美術館の窓から見える工事現場は、アートに染まった頭から見ると十分アートです。



東京駅から10分にあるアーティゾン美術館は一度訪れてみてはいかがでしょうか。

さて、この流れの次にある現代アート(Contemporary Art)の世界はこれまでの当方の原風景とはかけ離れた恐ろしい世界です。
次回は京都、国際写真展で体験したContemporary PhotographyとContemporary Artの狭間を考察します。
最後にまとめて絵画と写真の狭間を総括します。
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