小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

コロナ対策2020-4-28

2020-04-28 20:04:42 | 日記
コロナ対策 2020-4-28
前回のコロナ対策からまた一週間がたちました。

新型コロナウイルスと人の命の間にある2つの<最終砦>に関して書きます。
まずは最終砦を固めるのが筋でしょう。
1は<医療体制>です。<医療体制>がちゃんと機能しないと、新型コロナウイルスばかりでなく、全ての病気に対する最終砦が崩れます。
2は<抗体>です。感染症に対抗する体の最終砦は<抗体>です。新型コロナウイルスに対する<抗体>のでき方が解らなければ最終砦は崩れます。


1、<医療体制が潤沢に動き出す>まで緊急事態宣言を継続すべき。
自粛規制は最終砦である<医療体制>をちゃんと機能させる状態にすることが目的であることをしっかり認識する必要があります。自分が感染したり、感染させたりすることを防止するために自粛すると考えてはいけません。そうすると、これくらいなら感染しないだろうと言い出す人が出てきます。車で出かけて事故をおこせば病院に運ばれます。現在の医療体制に対する負担を与えます。医療体制に対する負担を最低にするために自粛規制をしているのです。

現在の自粛規制を緩和するタイミングの決め手は、接触8割減でなく、発表される見かけの感染者数減でもない。メディアは殆ど触れないが、この決め手は<医療体制が潤沢に動き出す時>です。<医療体制崩壊を防ぐ>ではない、ギリギリの状態ではだめなのです。<医療体制が潤沢に動き出す>です。なぜなら、また次に来る2波に対抗できる体制がそれまでに構築出来ていなければ、この戦いはエンドレスになってしまうからです。

このウイルスの2大特徴、1)無症状で他人に感染させる感染者が全感染者の50%存在する。2)重症化する感染者が把握している感染者の20%存在する。この意味を分かっているつもりだが、本当はわかっていない人が殆どでしょう。2)に関しては有名人の死によって実感する方が多いが、1)に関しては日本において何もデータが無い為にだれも実感していない。
人のマスは実感しないことには反応しない。隣の人が無症状患者であるかもしれなくても気にしない。同じ人がコロナ陽性と判明すると、途端に極端な差別が始まる。情けないが、そういうものなのです。

当方の3週間前のコロナ対策2020-4-9ブログにおいて、<無症状感染が他人に感染させる力が弱い為に、見えない感染者は幾何級数的には増えない、しかし、着実に増加している。現在おそらく数万人東京に存在しているであろう>と書きました。現在、病院への入院患者の無作為のPCR検査の結果、無作為の抗体検査、海外からの情報等から考えて、現在は東京に見えない新型コロナ患者が数%、すなわち数十万人存在していると思われます。まだたいした数ではありません。一日に5人くらいに出くわす程度でしょう。(一旦オーバーシュートに入れば、見えない感染者の感染力が低いなどとは言っていられない。フェーズが変わって幾何級数的に増加し始める。これは非常事態宣言で寸前のところで一応止められた。) 今回の自粛で見えない新型コロナ患者は大幅に減少すると推測されます。しかし、すでに病院、介護施設、家庭内に侵入したクラスターが火種となって患者数を一定数維持するでしょう。これらが、医療体制を直接、間接に圧迫することが1か月は続くでしょう。

自粛対策は病院へ向かう患者数を限りなく減らすことにより、その間に医療体制を立て直して、医療体制を潤沢に動かせるようにすることが目的です。
さらにこの1か月でどうしてもきちんとした体制を作らなければならないことがあります。それは検査体制と隔離体制です。これは一番最初にやるべきことでした。5月一か月の間にそれをやり、検査体制、隔離体制、医療体制の三位一体体制を確立して、6月から仕切り直しするのです。これはどうしてもやらなければならない。

もう患者数は激減しているから、三位一体体制などもうどうでもいいじゃないのという意見が多数出てくるでしょう。それは正に上述の1)無症状感染者が50%存在する意味を理解していないということです。
火種はくすぶり、再度発火することは明白なのです。この自粛は単に仕切り直しの時間を作ったと認識するべきです。
検査体制、隔離体制、医療体制の三位一体体制を確立しておかないと、再び感染者が増加して、2回目の自粛は、経済的打撃、その他社会的打撃、精神的打撃が大きすぎて、国民はついてこない事態となる。色々な形で摩擦が起き、法的規制強化と経済打撃のぶつかり合いが激しくなり、ただ、だらだらと不穏な時間が過ぎて行く結果となります。

検査体制、隔離体制、医療体制の三位一体の確立は、各ワイドショウもモーニングショウ玉川氏も騒ぎ続けているし、地域の長、医療関係者もよくわかっているから、1か月あればなんとかなるでしょう。無論現場の方はとんでもなく大変ですが。
我々の出来ることと言えば、ただ患者を増やさないように、ひたすらステイホームしかありません。

2、調査研究を支援しましょう。
新型コロナウイルスに対する<抗体>のでき方が解らなければ最終砦は崩れます。どうしても、それを知る必要があります。


偉い医療関係者が皆さん、テレビで質問に答える時に、それはまだ分かっていないので、なんともいえませんと涼しい顔で言うのです。何か調査研究は海外の報告を待つのが当然と思っているように見えるのです。今、調べなければならいことがいっぱいあるでしょう。
一方、現在は臨戦態勢だから調査研究など考える方がおかしいという方が多いでしょう。一つの疑問が解ければ、打つ手は大きく変わるのです。闇の中であーでもない、こーでもないというから不安が増大するのです。偉い医療関係者も実態がわからないから、統一見解は無い、各自あーでもない、こーでもないと言っているので、専門家がこれでは一般の方は何を信じていいのかわからない。

当方が一番知りたいことは、感染者が抗体を獲得する状況を知ることです。どのような症状を持つ者が、各年齢において、種々の基礎疾患を持った感染者が、どれくらいの抗体を作りそれが経時的にどのように変化するか、です。当然、並行して患者さんにおける新型コロナウイルスの存在状態を出来る限り知る必要があります。肺や咽頭ばかりでなく、腸管、血管、腎臓などコロナウイルスの存在は多岐にわたっています。出来るだけ知る必要があります。これはPCR検査でいいのです。抗体の出来具合は、雑把な中国製キットでなく、精密な抗体測定キットが必要です。日本のベンチャーがこのようなキットを開発していると聞きます。
WHOは感染したからと言って抗体が出来るとは限らない、また感染しないという根拠はないといいます。こんな曖昧な表現は、抗体パスポートの乱用を懸念しての発言であることはわかっていますが、当方にとって迷惑なだけで、なにも役に立たない発言です。多くの人に抗体ができない、あるいはすぐ抗体が消えてしまう、あるいは複数種類の新型コロナウイルスが蔓延しているとしたら、人口の60%から70%が免疫を持たないと感染症は終息しないという考え方自体が意味ないものになり、ワクチンに対する期待が大きく低下する、ようするに打つ手がない、ずっと新型コロナと付き合わねばならないということを意味するわけです。これをWHOがぬけぬけと公言するのでしょうか? こんなWHOの話を気にする必要はありません。要するにわからないと言っているので、分かればいいのです。それならば誰かの報告を待っていないで、自ら調査研究しましょう。

現場の治療にあたっている医療関係者は臨戦態勢で手があくはずはありません。しかし、現場では動けない医療基礎研究者はいっぱいいます。彼らは何をしたらいいかは知っているはずです。足りないのは資金と統括する求心力のあるヘッドです。
送られてきた2枚の小さなアベノマスクを見ながらこのお金が、医療基礎研究者といくつかのベンチャー(別に、チャレンジしているところならベンチャーでなくても大企業でもいいのです)に投資されれば、いくつもの闇が消えるだろうに、と思うのです。当方にはその力がないですが、だれかクラウドファンディングを立ち上げて、有志で、医療基礎研究者といくつかのベンチャーで結成される調査研究チームにお金を集めることが出来ないかと思うのです。

治療薬やワクチン開発にお金をそそぐ、それは当然です。日本の政府もこのようなわかりやすい実用研究にお金を傾注することはこれまでもずっとやってきました。その分基礎研究からお金を引き揚げてきたのです、ここでいう調査研究は漫然とした基礎研究ではありません。実用に直結しているのです。当方は大企業社員時代は実用研究ばかり考えずに基礎研究をやらねばならないと主張し続けてきました。その後、自分でベンチャーを立ち上げて、この頃の考えがとんでもなく甘いことを実感したのです。毎日、毎日どうやって従業員に給料を払うかを考える日々を過ごしてきたのです。しかし、基礎研究を捨てることはありませんでした。 実用研究がいい基礎研究がいいという話ではない、漫然と基礎研究をやる必要があるという生っちょろい話ではなく、全体の戦略に従って、必要ならどこまでも、大企業で考えていた以上に基礎に迫ることが必要である。肝心なのは全体の戦略だという考えで動いてきました。

イギリス、ドイツ、アメリカ等欧米は目の前の対策を取ると同時に1)常に並行して必要な調査研究を行う。2)新型コロナ対策で行われた事の記録をきちんと保存し、将来の対策の検討の材料とする。ことを当たり前のこととして実行しています。

戦時体制でもこの2点が出来なければ、一流の国家とは言えません。この新型コロナ危機を契機に、日本の体制を変えませんか。戦後、政府の権力を抑えてきたことに対して、政府の権力を増大させようというのではありません。全体の戦略をもっと明確に、論理的に、意志を持って建てましょう。現在の政府は3強(大企業、大都市、アメリカ)頼りのなれ合い政治、問題を塗りつぶしてわからなくすることだけはとびぬけた能力を持つ政府、これ以上つづけるのは無理です。新型コロナ災い転じて福となしましょう。国民が変わらないと政府は変わらないのです。これで、高温高湿度の夏が来て、いつのまにか新型コロナが消滅し、めでたしめでたしとなり、うやむやに終わることになったら、むしろ心配です。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然教育園日記 その150 2020年春、最後の<リアルを越える>

2020-04-19 17:13:40 | 写真日記
自然教育園日記 その150 2020年春、最後の<リアルを越える>
2020-3-26
昨日から自然教育園が再開しました。気が付くのが遅くて、今日やっと自然教育園で、リアルを越えるシリーズの続きを撮影しました。次回の展示会までに少なくとも2枚の<リアルを越える>を用意しなければなりません。早くしないと、春の花が無くなってしまいます。
<リアルを越える>とは、野に咲く花をその周りに舞台装置を配することにより、本物より魅力的な絵にする試みです。
機材は全て、Fujifilm GFX50S + GF120mm macroです。


シャガ


ヤマルリソウ


ハナニラ


ハナニラ


これは何でしたっけ?


タチツボスミレ


タチツボスミレ


ニリンソウ


ニリンソウ

2020-3-27

自然教育園はまた明日から休園になりました。今日が最後の春の花、<リアルを越える>です。


イチリンソウ


イチリンソウ


シャガ


シャガ


シャガ


シャガ


シャガ


シャガ


ハナニラ


ハナニラ


とうとう、これで春の花の<リアルを越える>はおしまいになりました。第一、写真展すら開催するか不明になりました。オリンピック開催に合わせて、2か月間写真展を開くと言っていたのですが、全部パーになる可能性があります。

写真展はどうでもいいのですが、自然の抽象を写真に撮って、陶芸に具象化するという流れが滞ってしまいました。外出自粛ですから、家で陶芸をコツコツ作っています。やることは山ほどあるので、何も困らないのですが。入り口の写真を撮るという部分が出来なくなって、流れが作れないのは、なんとなく元気が出ません。それでも順応しなければと、心をしっかり持って、一つ一つ陶芸を完成しようと頑張っています。

これで、Newアート考察のネタも、写真撮影のネタも全て手持ちを放出してしまいました。今後ブログをどうするか? まあ、また考えましょう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ対策 2020-4-18

2020-04-18 16:12:39 | 日記
コロナ対策 2020-4-18

コロナ対策 2020-4-11 にコロナ対策プランを述べてから1週間近くたちました。

この間に変化したこと
1、検査体制、隔離体制、医療体制の三位一体体制が最も重要と書きましたが、
三位一体体制が急務だという声が大きくなり、実際に関係者はそういう体制を取り始めました。相変わらずスピードが遅くイライラしますが、とりあえずOK。政府ばかりを頼らずに地域が独自に動き出したこともOKです。

2、イギリス、アメリカで抗体検査の大きな動きが始まりました。イギリスでは抗体が出来ている方に<免疫パスポート>を渡して、経済活動を再開させるプランが検討されています。これは当方が前回書いた<コロナクラブ会員証>に正に相当します。免疫パスポートの方がいい呼び名ですね。ぜひ当方の1週間前に書いた前回のコロナ対策を読んでください。

3、ここからが最大の謎であり、最大の問題点です。
1)中国の報告で、コロナに感染しても抗体ができない人がいる。特に若い人に抗体のできない人が多い。コロナに感染してPCR陰性になっても再度コロナ症状が出る人がいる。コロナに対する抗体が出来ても早期に消失する場合がある。
この報告を自分で読んでいないので、よくわからないのですが、現時点でこの報告で大騒ぎするのは危険な気がします。

大事なのは、今、患者と抗体の出来具合をちゃんと調査することであると声を大きくして主張したい。いつのまにか、PCR検査、ドライブスルーの大合唱となりました。お医者さんはバカじゃないから、ちゃんと抗体検査も考えていると思います。ただ、なにやら大衆の合唱にひきずられている政府がまたグランドデザインもなしにこの合唱にのったり、降りたりふらふらされるとこまるのです。モーニングショウの玉川氏も、PCR検査ばかりいってないで、抗体検査の実体を調査して、逐次流してください。

2)もう一つの問題点は現在の抗体検査キットは中国産と思うのですが、定性的でアバウトである。IgGに対しては何とか使えるがIgMに関しては精度が悪い。現状では疫学調査にしか使えない。という情報が出てきたことです。先の中国の報告は、このアバウトなキットをつかって、中国の大きな人数の調査のアバウトなデータから、受けの良い(世界を脅かすような)示唆をひきだして報告したのではないかと疑っているのです、
抗体ができないで、感染症が治るとは思えません。抗体価が低いだけでしょう。抗体がすぐに消えるのでなくて、半減するするスピードが速いのでしょう。
日本は、さっさと精密な抗体検査キットを開発して、きちんとしたデータをとるべきです。
精密な抗体検査キット開発をプッシュできるのは政府で、これを使って調査研究するのは国立感染研でしょうから、バラバラに動いていてもまたノタノタしてるだけしょう。欧米からキットや報告が出て、やっと動き始めるにちがいありません。

<危機は人の、家庭の、国の、最善と最悪を暴露する>、日本は最悪ばかり暴露して、ちっともいい所がありません。情けない!

4、中国の報告では感染しても抗体のできない人が30%いる、いいじゃないですか70%は抗体ができるのだから。免疫パスポートを渡せる人がいる。最大の問題は、感染しても抗体が早期に消えてしまうと言っていることです。

ここをちゃんと調査しましょう。感染者の何人かを症状と抗体価を経時的にモニターして
少なくとも1か月のデータを取りましょう。1か月で半減するのか0になるのか、そうなる人が何%いるのか。調査には最低1か月必要です。今から始めないとまた間に合わなくなります。1か月で半減まで行かない人が50%いれば<免疫パスポート>は捨てたものではありません。

単に<免疫パスポート>の為にだけ、抗体の調査研究をしろと言っているのではありません。この謎の多いウイルスの実体を知ってゆかなければ手が打てないからです。現在は何もわからないから、人と人との接触を8割減らせといっているので、これが失敗した時にどういう次の手をうつというのですか? 今度はスーパーマーケットがクラスターだといって、みな宅配にするのですか? 日本人はバカなのですか? この暗闇での右往左往が最も人に不安をあたえるのです。

5、ここからは真面目に聞かなくてもいいです。幾つかの謎
1)どうしても、アジア系の国の方が、ヨーロッパ系の国より、感染のスピードが遅く死者が少ないように見える
2)なぜ無症状の人と、急速に重症化する人がいるのか?
3)なぜ、抗体のできる人と出来ない人がいるのか?

なぜ極端に2分されるのでしょうか??

まず2)と3)から。重症化するのは免疫反応の過剰、サイトカインストームであるという説があります。当方はそうではない、このウイルスはステルス機能を持っている、免疫防御機構をすり抜ける技をもっているからだと推測します。免疫機能をすり抜けてどんどん増殖するから、非特異的自己防衛機能がストームを起こすのであり、ストームで重症化するのではない(鶏と卵の関係ですから、最終的にストームで死ぬといってもあやまりではないかもしれませんが)。癌の末期のものすごい免疫機構のストームを自分のデータとして持っています。癌は免疫の監視をすり抜けるからどんどん増大するのです。このウイルスは癌よりもっと増殖の速いステルス生命体なのです。

ではなぜ人個人や国によって明暗がはっきりとわかれるのか? このウイルスはもともとまったく人に対してたいした危害を加えないウイルスだった。ごく少量の免疫反応で排除されていた。これがある特定の人に対してステルス機能を持つようになった。

こんなはっきりと明暗がわかれるのは、自然に変異したとは考えられない、人為的に誰かを狙ってステルス機能を遺伝子構造に付加したのだ。と米国の有名な研究者が報告をしています。
たとえば、ターゲットはMHC。すべての人が持つ、個体識別分子、人の間の臓器移植の時にこれが拒絶反応することで、皆さん知っていると思います。一方で臓器移植できる場合があることもご存じでしょう。個々のMHCは違いますが、遠目にはその違いに大きい小さいがあるのです。ヨーロッパ人に多く存在して、アジア人には少ないMHC構造の一部を組み込めば、ヨーロッパ人はこのウイルスを自分と間違えて免疫が攻撃できなくなります。
これはかなりアバウトなステルスですから、アジア人の中にもステルス機能が働いてしまう人もいるでしょう。

この生物兵器説以外にもi)BCG接種ありなし説、ii)コロナに近い害の少ないウイルスに以前感染していたためという説があります。いずれも可能性があります。BCGは結核菌で、我々は動物に免疫して抗体を作るときに必ずBCGを免疫増強剤として抗原と一緒に注射するのです。どんな抗原でも抗体産生を増幅するわけですから、BCG説はありえます。ただし、コロナに感染した人にBCGをうったら、逆効果かもしれません。

いいたいことは、調べなければわからないじゃないのということです。そんなこと言ってる場合じゃない死にそうな人を助けなければというのはそのとおりです。三位一体をきちんとやれば、死亡率を下げられます。もうすぐとりあえずの治療薬ができるでしょう。こんな厄介なウイルスでも今年中にワクチンができるとイギリスが宣言しました。
落ち着いてください。ちゃんとしたグランドデザインをもって調査研究データを蓄積しましょう。これは今しか出来ないのです。 日本人は本当にバカですか?
ちゃんとした医学関係者はわかっているはずです。政府は応援してやってください。地方自治体が先頭来切ってもいいのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? その10 第8回菊池ビエンナーレ展 現代陶芸の<今>  そして総括

2020-04-16 19:46:33 | 旅行
Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? その10 第8回菊池ビエンナーレ展 現代陶芸の<今>  そして総括

第8回菊池ビエンナーレ展 現代陶芸の<今>
2019-12-14~2020-3-22
菊池寛実記念 智美術館主催の公募展です。この美術館は実業家、菊池寛実の娘、菊池智さんの収集した近代陶芸作品を収蔵し、常に新しい陶芸作品を見つめてきた日本を代表する美術館です。


大賞 中村清吾 白磁鉢 引用文献1


青瓷ぐい呑 22000円 ネット情報

1975年
佐賀県有田町に中村清六の孫として生まれる
1998年
九州大学経済学部経済工学科卒業後、有田焼、高麗庵清六窯にて修業
佐賀県無形重要文化財陶芸白磁の保持者
受賞多数
高麗庵清六窯で活動

中村清六は高麗庵清六窯を作った白磁の大家で、人間国宝を断ったということ。

確固たる伝統の上に立脚した作品ですね。こういう作品は、どうころんでも当方には出来ないので、ただ見てるだけです。


優秀賞 森山寛二郎 切り継ぎー廻― 引用文献1


森山寛二郎 ネット情報

1984
福岡県小石原に生まれる、森山元實氏の長男
2007
国立佐賀大学 文化教育学部 美術・工芸課程卒業
2008
福岡県小石原に戻り作陶
森山實山窯

ずっとこのようなアート作品を作って、一貫しているのがいいですね。

ここに載せた方々のほとんどが、自分のいつも作っている方向の一つを出品し、たまたま賞をとったという感じ、展覧会用に賞を狙って変わったことしているのではないのがいい。


奨励賞 伊藤公洋  志野彩文盤 引用文献1


伊藤公洋(いとうこうよう)ネット情報
1965年愛知県高浜市生まれ
美濃焼/志野焼 高浜の窯元「丹鏡窯」の五代目

<私は一つの器の中に幾つもの釉薬を入れることに挑戦しています。土も複数用います。3種の土を使い、6種の釉薬をかければそれだけで非常に複雑な色を生み出すことができます。>と語っていました。

志野から色を追求するとは、いいですね。まだまだこれから発展させてほしいですね。


奨励賞 中里浩子(なかざとひろこ)Flower Scapes 
引用文献1
1966横浜に生まれる
1990京都市立芸術大学工芸科陶磁器専攻卒業
1992京都市立芸術大学大学院美術研究科陶磁器専攻修了
小田原市で活動


中里浩子 ネット情報


中里浩子 ネット情報
このヒトの作品はほんま好きやわ!
この展覧会の作品のなかで一番惹かれました。


星野友幸(ほしのともゆき) figure 引用文献1


星野友幸 ネット情報

1976年 山梨県甲府市出身
1999年 横浜市立大学商学部卒業 株式会社パソナ入社(平成16年3月退職)
2005年 京都府立陶工高等技術専門校 成形科 修了、猪飼祐一氏に師事
2006年 東京都国分寺市にて独立

これはちょっと賞狙いという感じがしますが、頑張ってます。


大石早矢香(おおいしさやか)  秘めリンゴ(black) 引用文献1


大石早矢香 ネット情報


大石早矢香 ネット情報


大石早矢香 ネット情報

1980年 京都府亀岡市生まれ
2004年 京都市立芸術大学美術学部工芸科陶磁器専攻卒業

とってもユニーク。いいですね、どんどんこの線を追求してほしいですね。


ロクロ・ワークでなさそうな作品を多めに選んで載せました。
今回の入選は54で約6割弱がロクロ・ワークと思われる作品です。例えば下のような作品です。


田島正仁(たじましょうに)彩釉鉢 引用文献1


田島正仁 ネット情報


田島正仁 ネット情報
1948年石川県小松市 生まれ
人間国宝 三代徳田八十吉 ( 故人 ) を師とする、九谷焼作家


市野秀作 灰釉彩鉢 引用文献1


ネット情報
市野秀作
1986年兵庫県丹波篠山市生まれ
2009年龍谷大学卒
2010年京都府立陶工高等技術専門学校卒
丹波焼省三窯


岡田泰(おかだやすし)淡青釉鉢 引用文献1


ネット情報

岡田泰
1976年 山口県萩市生まれ
2002年 山口県重要無形文化財岡田裕さんの長男
2003年 東京造形大学美術学部彫刻科卒業
2005年 京都府立陶工高等技術専門校成形科修了
京都市工業試験場陶磁器専修科終了
萩焼

いずれも代々陶芸家の流れをくむ、伝統工芸そのものという感じです。

現代陶芸の<今> といわれると、その通りには違いない。なにか万遍無くピックアップされたという感じがします。応募者平均年齢48.9才 入選者平均年齢47.4才。


引用文献1:Kikuchi Biennale VIII 菊池寛実記念智美術館

総括

当方はただの生命科学研究者で、美術を研究しているわけではないので、ただ直感的に思ったことを総括してみます。
まず、アートとは西洋文明なのだ、日本の根っこに流れる文明とは別もんなのだと思うのです。アートを芸術と日本語に訳しても両者は違うものと思います。この違いの大きさは時代により近づいたり遠ざかったりしているのでしょう。安土桃山時代、江戸時代に比べて、現代はこの違いがむしろ拡大しているような気がするのです。
新型コロナ危機の中でドイツやイギリスなどの西洋諸国は<アートは生命維持に必要>として対応しています。アート⇒人の生命活動そのもの⇒新しい命/革新こそ、その存在価値がある。これが欧米一般の人の常識なのです。
当方がベンチャー・ビジネスをやっていた時、新卒学生を採用しようとすると、お母さんが<お願いだからベンチャーにはいかないでくれ、大企業に入ってくれ>というのだそうです。アメリカでは大企業の社長よりベンチャーの起業者のほうが尊敬されるのです。失敗したって、よくやった、もう一度がんばってくれと言われるだけです。MIT(マサチューセッツ工科大学)卒業者の優秀な人はベンチャーを立ち上げ、普通の人は大企業にはいるのです。ある東京のバイオ企業支援組織の理事が<この組織に資金を出してくれているのは大企業だ、ベンチャーに投資したって費用対効果がいいわけない。政府がやれというから仕方なくベンチャー支援のふりをしているのだ>、当方がベンチャーの一員としてこの組織のアドバイザーのほんの一角を頼まれた時に、そんなに真剣にやってくれては迷惑だといわれたのです。これが日本の根底に横たわる本音なのです。
2、越前焼、九谷焼、日本の陶芸は完璧です。人の自然に対する憧憬と実用をバランスさせた完成品なのです。日本伝統工芸展、菊池ビエンナーレ、それでいいのです。偉い先生たちが応用芸術からアートまで織り交ぜてバランスよく日本人のその時の感覚に合わせて賞を与える。現代陶芸の<今>として、日本人の芸術として。当方はそれはそれでいいと思うのです。
西洋文明起源の<アート>はまったく別の方向から動かす方がいい。日本文化に根差した芸術をこわして西洋起源のアートを無理やり入れ込もうとすることは無駄であり、徒労です。
イタリア現代陶芸の、ニノ・カルーソやカルロ・ザウリ、イタリア現代ガラス工芸のリノ・タリアピエトラが日本に一石を投じたって、その波紋はどんどん日本の芸術としてアートから離れてゆくのです。日本の根底に横たわる日本の本音の中に拡散してゆくのです。リノ・タリアピエトラのように天才はそんな根底も覆す力があります。
でも当方が何気なく書いた文、<ガラスでは素人であったアーティストがガラスの世界に侵入し職人が長い間培ってきた技術の一部を使ってアートを作り始め、伝統工芸に逆流し影響を与える>これが我々がやるべきことだと思うのです。大石早矢香さんのように、アートから発想して、陶芸の技術の一部を使って自由な作品をつくる。こんな流れが大きな流れになって、伝統工芸に逆流し影響を与える。中村清吾の白磁にも影響を与えるでしょう。すでに与えているかもしれません。この逆流があって初めてリノ・タリアピエトラの作品が生まれ天才がうまれたのです。この逆流は必須なのです。
アートから発想して、伝統工芸の技術の一部を使って自由な作品をつくる。技術は、岡崎乾二郎さんが行っているように、何かに固定しないのです。私は陶芸家とかガラス工芸家とか彫刻家とか言うことはないのです。アートが出発にあるのです。アート⇒人の生命活動そのもの⇒新しい命/革新を追って自由に自分を表現すればいいのです。伝統工芸にこだわる方はこだわればいい、アートにこだわる方はこだわればいい。伝統工芸からアートへの流れとアートから伝統工芸への流れの双方が別々に自由に動くことが、双方に革新をもたらすと思うのです。勝手にうごけばいいのです。勝手にうごかねばならないのです。

ガラス工芸は素材や技術の革新がまだ続いていて、ずっと生き生きしています。まだまだ陶芸のように完成していない。その一部でいいのです、取り入れましょう。ガラス工芸で吹きガラスの達人にならなくてもいいのです。陶芸でロクロの達人にならなくてもいいのです。
なりたい人はなればいい、アートの達人になりたいひとはそうすればいいのです。

東京にはニューヨークのソーホーやイーストヴィレッジ(これは数10年前で、今はチェルシー、 ローワーマンハッタン、ブルックリンのようですね)のような自由闊達なアートの活動地がない。フィフスアベニューのような出来上がったものを、権威の確定したものを扱うところはあっても、未熟な胎動がうごめく、アート⇒人の生命活動そのもの⇒新しい命/革新がうごめく拠点が無い。大企業の本社は東京に集中しているのに、ベンチャーの集積地は無いのと同じ。日本の本音が3強さえ押さえておけばうまくゆくという考え、3強とは大企業、大都市、アメリカ。その中心が東京にある。日本の本音の中心地なのです。当方は海外の真似をするのはきらいですが、それでも、東京に自由闊達なアートの活動地を作りましょう。秋葉原・蔵前・浅草橋. サブカルチャーの街がソーホーやイーストヴィレッジのようになるのでしょうか。ハンドメードマーケットの集合のようで、まだまだエネルギーの爆発が足りない。もっとバスキアがうごめく街をつくれないものか。お金が無くても、自分を表現する場がなければ、それを見に来る人がいなければ、きっとできますよ。

以上、この長かったこのレポートを終了します。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? その9 富山市ガラス美術館-2

2020-04-14 16:24:25 | 旅行
Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? その9 富山市ガラス美術館-2

リノ・タリアピエットラの作品を見ると、伝統工芸に革新があることを証明していると思います。彼は決して最初からアートを目指していたわけではありません。日用品の花器、カップ、皿、グラス、ビンなどを作っている時代、これが少し芸術性を帯びている、いわゆる応用芸術品を作る時代、アーティストのプランに従ってこれを形にする時代、ガラスでは素人であったアーティストがガラスの世界に侵入し職人が長い間培ってきた技術の一部を使ってアートを作り始め、伝統工芸に逆流し影響を与える時代、色々な時代を経験するなかで、一筋にガラス工芸を作り続けると共に、これらの時代にそれぞれのエッセンスを吸収し、これらが彼の中で熟成し、ここに集結している純粋な芸術作品として爆発するのです。今のところ当方には詳しいことが理解できていませんが、色々進化してきた技術やガラス素材が彼の中に取り込まれ、自在に融合しています。

天才は伝統芸術から革新的純粋芸術移行することが可能であり、純粋芸術を目指す者が純粋芸術に伝統工芸技術を取り込んで、革新的純粋芸術を作り出すことが出来る。逆にこれが出来た人を天才という。
<伝統工芸に革新はあるか、必要か>などという命題を議論することは意味ない。それはそうですが、全ては天才が作ると言ってしまえば、そこで話はお終いです。まだまだ当方の頭の中でグルグルと疑問が渦巻いています。さて、最後の総括で当方は何を言い出すのでしょうか?

以下引用文献1からの引用、小さくてすみません。


引用文献1


引用文献1  これは部分です


引用文献1


引用文献1


引用文献1


引用文献1


引用文献1


引用文献1


引用文献1


引用文献1


引用文献1


引用文献1

以上で、リノ・タリアピエットラ展レポートを終わります。 画像が小さいと、感激が伝わらなくてすみません。


デイル・チフーリ

リノ・タリアピエットラ展以外に、常設展示があります。1ショットだけ載せます。デイル・チフーリはアメリカ人で大学を卒業後、ヴェネチアのヴェニーニ工房で吹きガラスの工匠を経験し、アメリカに戻って作家活動を展開。彼の幾つかの作品がかなりのスペースで展示されています。

6階建ての美術館には、日本人の作品がいくつも飾られています。一点だけ載せます。


南 佳織 Kaori Minami
1975 富山県氷見市生まれ
1996 富山ガラス造形研究所 造形科 卒
1996 NEW GLASS REVIEW 17 掲載(コーニング美術館発行・アメリカ)
1997 富山ガラス造形研究所 研究科 卒
1997 富山市ガラス工房 勤務(~99)
1999 豊田町新造形創造館 勤務(~2001)
2002 「Glass Studio TIRO」設立(富山県高岡市)
2004 GLASS FLOWERS 招待出品


2階にはミュージアム・ショップがあります。アート作品と売り物とは違いますから、どれくらいのものが、商品として存在しえるのか、という観点で参考になります。


富山ガラス工房 越翡翠ガラス(コシノヒスイガラス) ガラスの中にヒスイがませてあります。4000~5000円




佐野猛 モザイクストラップ 10000円前後

1960年生まれ
法大卒
東京ガラス工芸研究所
能登島ガラス工房作成スタッフ
Glass Studio SANOSANO”


杉原 倫子 16500円

1988年 新潟県生まれ
2011年 長岡造形大学 ものデザイン学科 工芸デザインコース 卒
2013年 富山ガラス造形研究所 造形科 卒
2017年 金沢卯辰山工芸工房 ガラス工房 修了
現在、金沢市にて制作中


池田 充章 46200円
1994 富山ガラス造形研究所 造形科修了
1994 富山ガラス工房 所属(~97)
1997 Glass studio C.R 設立

富山は富山市ガラス美術館以外にも富山ガラス造形研究所、富山ガラス工房、ストリート・ミュージアム、グラス・アートヒルズ富山など、街を上げてのガラスの街作りを行っているようです。
東京にいれば、なんでも情報を得ることが出来ると思っていましたが、今回訪ねたところいずれでも東京ではまったく得られない情報を得ることができました。有益な旅だったなと思うと同時に、東京に対する不信感にとらわれるのです。アートにおける東京は何か違う、当方のアートに対するイメージと違う。ニューヨークのソーホーやイーストヴィレッジのイメージである自由・闊達さが見当たらない。



美術館を出て町を見ると、立山連邦が見えます。町の背景に美しい山がある。富山はとっても素敵な町です。その割にはオモテナシはへたくそこの上ない。もったいない町です。


富山市ガラス美術館



あまりの寒さに、町を散策する気も起きず、早々に路面電車で富山駅に向かいます。



富山駅では定番駅弁のますずしを買って昼食としました。脂がのったマスで昔よりおいしくなったと思います。とっても結構でした。
東京まで2時間ちょっと、なんて近くなったのでしょう。夕飯は家で、ますずしの残りプラスアルファでした。
このものすごい旅はこれで終了です。
次回は再び菊池ビエンナーレ展 現代陶芸の<今>に触れて、総括します。

参考文献1:リタ・タリアピエトラ ライフ・イン・グラス 富山市ガラス美術館









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする