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小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

高麗川物語 その9(最終回)

2012-10-28 21:29:33 | 日記
高麗川物語 その9(最終回)



渡来人に興味を持ったのは、京都にいってからです。楽美術館に行けば、楽焼の創始者である長次郎のお父さんは渡来人であるといわれるし、国宝第一号の広隆寺の弥勒菩薩は朝鮮半島産だといわれるし、湖東三山にゆけば、百済寺は聖徳太子が百済渡来人の為に作ったといわれるし、奈良の唐招提寺に行けば、唐から来た鑑真和上が作ったといわれるし、比叡山延暦寺を作った最澄は滋賀の渡来人の系譜であるといわれるし、どう転んだって、渡来人に頭が上がらない。それでは日本とは何なのだと追及せざるを得なくなったわけです。
気になっている、中国、韓国、日本の関係を表にしてみました(どんぶり勘定の表ですが、おもしろいですよ。是非拡大して見てください)。このように朝鮮半島(中国も含みます)と日本の人の行き来(定着するという意味で)は大きな波を打っているようです(矢印で表しています)。 渡来人というのはただ先に日本に住み着いた人が後から来た人をそう呼ぶにすぎないので、根っこは同じなのかもしれません。歴史はいくつも説があって、なにも人や文化は皆、朝鮮半島や中国から来たわけではない、土着の日本人がこつこつ作り上げた文化がいっぱいあるのだという説もあります。確かに日本文化は皆外来品と決めつけるのは間違いでしょう。土着の日本文化や技術が3までいっていたのを外来文化が10に引き上げ、その後日本が100まで持ち上げたということなのでしょう(この数字は異論があるかもしれませんが)。どこが一番先だというall or notの議論はしたくありません。
  高麗郡が出来た716年、今から1300年前がどういう状況であったのでしょうか。 大和王朝から飛鳥時代にかけて、朝鮮半島から人が流れ込み、豪族のような勢力を作り上げていたと思います。 とはいえ当時の王朝は結構、力があり、渡来人が乗っ取るというのではなく、一応、土着の王朝を奉りながら、じわじわと王朝内部にまで勢力を拡大していったのでしょう。実際は、百済、新羅、高句麗などの渡来人達の抗争が王朝内での争いの根源だったのでしょう。聖徳太子自体2mの身長があったといわれていますし、その行動を見ても渡来人系であった可能性が高い。彼は朝鮮系の渡来人の内部抗争を避けるために、直接、唐から文化を導入することを試みたと思います。 この時代は今よりずっと日本と朝鮮半島の関係は密で、むしろ朝鮮半島へ勢力を伸ばしていたようです。陰で動かしているのは渡来人で、自分たちの故郷の奪還だったのでしょう。 推古天皇時代に、百済支援が失敗し、その後大津へ遷都したのは、新羅が攻めてくるのが怖かったという説がありますが、そうだと思います。それほど、朝鮮半島との関係は密だったのです。そんな時、いままでほとんど好きなようにさせていた渡来人が、朝鮮半島の攻撃に迎合するのが怖くなって、高麗郡なぞ作って、きちんとした王朝の監視下に渡来人を置こうとしたという説があり、それは正しい気がします。 高句麗の若光は、滅びた高句麗の由緒があり、能力もあります。若光を長にすえて、これまで散らばっていた高麗人を若光のもとに集結して、若光に高句麗の王位を名乗らせることを条件に、結局、王朝の支配下に置くとともに、武蔵野を開拓させ、貢物を得る。一石三長の策だったのでしょう。
   高麗族は同族結婚で純血を守る傾向であったようです。獅子舞の時に関係者にそっと聞いてみました。高麗族の系譜を持つ人が今もいますか? 高麗神社の神主さんは60代目できちんとした若光からの系譜をもっています。それ以外にも一般の方で、高麗族の系譜を持っている方がいます。しかし、純血というわけにはいきませんが。という返事でした。坂口安吾が言うように、渡来人を一か所に集めたからといって、全員が集まったわけではなく、そこからもれた人はいっぱいいるわけで、渡来人DNAは日本全国に広まっていったのです。
後発の渡来人、母国が滅亡して、逃げてきた渡来人は皆が王朝の中に入り込んだわけではなさそうで、秀吉時代の渡来人は特にそうだったのでしょう。渡来人を作って、それまでの日本在来人とは一線を画して暮らしたと思われます。しかし、彼らは技術を持っていたので、それを武器に在来人の中で、ある影響力を持つ集団であったのでしょう。
高麗美術館の創立者、鄭詔文さんはほとんど日本で育ったのですが、母国を訪れたいといつも思っていました。ところが母国は北朝鮮となって、彼は結局一度も母国を訪れることなく亡くなったのです。高麗美術館のビデオをみると、鄭詔文さんが司馬遼太郎と渡来人の痕跡をたどる話が出てきます。渡来人の技術として鉄細工があり、鉄細工職人の集団があったそうです。それを追って二人で新潟へ旅をします。新潟に着くと鄭詔文さんはまず電話帳をめくって、百済とか朝鮮半島系の名前を探すそうです。そして、確かに、百済という苗字の、渡来人の系譜を保存している鉄職人を探し当てるのです。渡来人が故郷をおもって、自分たちの苗字を百済としたのです。
  さて、ことは複雑です。日本人はすべて渡来人なのか、渡来人は天皇も含め、日本の中枢を握っているのか、いや渡来人は、一線を画したであり、それが拡散しつつ在来人と混合していったのか、高麗族もその一部だったのか、坂口安吾のいうように武士とは深く潜行し、日本化した渡来人、サナギから蝶に変身した姿なのか、日本を舞台とした百済と新羅の抗争は、いまでも続いているのか、弥生に追われた縄文はどこへいってしまったのか。日本化した渡来人は今でも朝鮮半島に望郷の念を持ち、あわよくば併合したいのか、生き残った縄文人は、そんなごちゃごちゃはどうでもいいから、静かに生きたいのか、それとも、またもや大海を目指して、フロンティアを開拓して行くのか。
   今回、韓国を訪れて、文化的ルーツとしてどうしても頭が上がらないと思っていた、朝鮮半島は、その李朝時代の貧しさ、めちゃくちゃな王朝内部の殺し合い、権力闘争、人民への圧政などが透けて見えてきました。李朝鮮王朝を滅ぼしたのは日本かと思いきや、秀吉が昌徳宮を焼いたのでなくて、朝鮮の民が焼いたのだ、李朝は大日本帝国が滅ぼしたのでなくて、朝鮮人が李朝を拒否したのだ。  決してall or notの話で、日本が関係無いと言っているのではありません。日本が李朝の滅亡に大きくかかわってきたのは間違いありません。 ことは単純でないということです。当方はいまだよくわかりません。  日本の総理大臣になりたい方が高麗神社にお参りするという不思議が、その複雑な日本人DNA(内在するもの)のフェノタイプ(実際に表現されること)の一部であるのでしょう。

次のブログは上高地、紅葉の旅です。いよいよ本格的風景写真への挑戦です。ご期待ください。 高麗川物語で疲れたので、2,3日休養です。
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高麗川物語  その8

2012-10-27 20:48:42 | 日記
高麗川物語  その8

さて、また獅子が交代して、第3幕、<願獅子>
社前にすすみ、社殿を8周り、天下泰平、五穀豊穣、家内安全、商売繁昌等々、氏子崇敬者の諸願成就を祈願する。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

右手からゆっくり出てきた獅子は、そこで溜めをして、いきなり社前に走り込んで、大暴れする。オカメが先陣をきって走りこむのである。一回撮影失敗しても、同じシーンが8回あるので、何度でも撮り直せる。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm
いよいよ最後の場面、第四幕 <竿(さお)がかり>
また獅子が交代。13時から初めてもう16時を回っている。ここまで付き合っている観客は、いい写真がとれなくて立ち去れないカメラファンと、獅子舞の関係者でしょう。
出だしは、わびしい笛の音に合わせて暇乞いの歌が続く。
<日は暮るる、道の根笹に、露もちて、暇もうすぞ、いざ獅子どの> 歌が終わると花が四隅に散る。三頭の獅子は花の匂いをすいながら舞う。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

突如雌獅子と雄獅子の間に竹竿が入り行く手をさえぎる。二頭の雄獅子はたけりくるう。漸く竿をくぐった先獅子が雌獅子のがわにゆく。後獅子はいよいよたけりくるう。後獅子がくぐると竿があがり、三頭そろってひとしきり舞う。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


リコーGXR+マウントA12 + ニコン AFN70-210mm


リコーGXR+マウントA12 + ニコン AFN70-210mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

踊り終えた一行は高麗家宅の前に移動して、最後の踊りを披露する。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

<棒使い>は最後のパフォーマンス。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

高麗家宅前で一踊りして、全てのイベントは終了です。18時近くになっています。


リコーGXR+マウントA12 + ニコン AFN70-210mm


リコーGXR+マウントA12 + ニコン AFN70-210mm

みんな、踊り終って、よかったよかったと互いの健闘を称えているのでしょう。これから、みんなで、ご苦労さん会が催されるのかもしれません。 とっても、とってもご苦労様でした。


リコーGXR+マウントA12 + ニコン AFN70-210mm


リコーGXR+マウントA12 + ニコン AFN70-210mm


リコーGXR+マウントA12 + ニコン AFN70-210mm


リコーGXR+マウントA12 + ニコン AFN70-210mm

もう、夕暮れの高麗川をニコンが上品に写しています。 高麗川駅にむかう道々、なにか60年前の小学校の帰り道を思い出しました。 京成 鬼越の駅をおりて、境川の橋をわたり、田んぼと住宅が混在する道をあるいて、小さな沼の横を通って家に着くのです。
高麗ではもっと広い畑のなかに家々が点在して、遠くには秩父の山々が夕日に光っています。



<リコーGXR+マウントA12 + ニコン AFN70-210mm >

獅子舞を撮影して見ての感想。今回はペンタッククK5とペンタックス18-135mmが中心でした。 踊りの撮影は、ふるさと祭りで始まって2度目です。 ふるさと祭りの阿波踊りは最初の踊り撮影しては結構いけると思いました。今回はぜんぜんだめです。600枚くらい撮ったのですが、どれも絵になりません。リコーGXR+マウントA12 + ニコン AFN70-210mmはニコンの試写のつもりでした。マウントA12はオートフォーカスでないのですから所詮踊りは無理です。 最近出版された篠山 紀信 ( しのやま きしん)の自叙伝風写真集を立ち読みしました。彼は、写真家の嫌いな当方でも認める、ちゃんとしたプロですよ。ショックだったのは彼がキャノン5DマークII を常用しており、これをほめていることです。踊りを撮ってみると、AFの重要性は勿論ですが、レンズの選択がとても重要なのです。プロがどんな状況でも、まともな写真を撮るためには、AF、ズーム、レンズの明るさ、画質、高感度いずれも妥協できません。どうしてもフルサイズ、キャノン5DマークIIになってしまうのです。 ペンタックスのAFでも撮れるのですが、レンズが無いのです。篠山 紀信がキャノン5DマークIIを常用することはとても解ります。現在はいっぱい新しいフルサイズが発売されて、キャノン5DマークIIは中古で15万円ほどに低下しています。マジに写真を撮ろうと思うとペンタックスはレンズがないのです。ひょっとすると当方が白ペンキおじさんになっているかもしれません。篠山 紀信の影響大です。
   今回の撮影では不思議と白ペンキおじさんがいませんでした。一眼おばさんもいません。 キャノンかニコンのフルサイズをもったいかにも写真が好きそうなマニア達です。フィルムカメラもいました。目立ったのは、着物をきてミラーレスを皮ケースでおしゃれして、これを2台ぶらさげた、徹底的に<粋>を狙った若者がいました。ミラーレスはフジフィルムのX-Pro1かもしれません。フルサイズのおじさんとミラーレスの若者。当方は、ペンタックスの18-135mmなどというお遊びズームレンズとリコーGXRに中古レンズという一ランク下のいでたちで、論外ですが、このとき思いましたね。 高画質のミラーレスをライカ・レンジカメラ風にぶらさげる撮影スタイルは、フルサイズおじさんよりもずっと魅力的、スマートな撮影スタイルになるかもしれないと。それで同じクオリティーの写真をたたきだすなら、ごつくて重たいカメラをぶらさげて、おれは素人さんとはちょっと違うんだというスタイルをミラーレスの<粋>が密かにせせらわらう時代が来る予感がしています。なお600枚撮って、いい写真がないのは、当方だけの責任では無いと思っています。 獅子舞の連中は一週間前から練習を始めるのだそうです。毎年やっているかもしれませんが、プロではありません。 プロの踊りは違います。 歌舞伎の踊りや見栄を切る場面など、決めるとこはぴたりと決めているのです。 プロの阿波おどりでも、体全体が躍動しているのです。 群舞でも皆がリズムにのっているのです。今回の踊りを写してみると、どこにも決めはないし、躍動感もないし、皆の同調もない。ただ、言い訳でこんなことを言っているのです。踊っていらっしゃった方々はみな一所懸命で、この祭りを愛していて、その町ぐるみの連帯と伝統が魅力なのです。その魅力を撮ればよかっただけで、ようは撮り方を間違えたということです。写真とは対象に対する理解であり、対象のもともと持つ<霊=a spiritual being>をいただけばいいだけなのです。

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高麗川物語 その7

2012-10-26 19:06:20 | 日記
高麗川物語 その7

高麗神社、獅子舞の続きです。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

一行は獅子が交代して、山をおります。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

山頂から降りた獅子は土俵に入り、地ならしがすむと、繁栄の歌とともに、しばらく単調な舞いを続けます。
<この町は、縦が15里、横が7里、入りはよく見て、出はに迷うな><此の町は、諸国人の、お立会い、おどりながらも、心はずかし>


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

第二幕<雌獅子がくし>
横に一列に並んで進む花(ササラ)とすれ違いながら、獅子は花見を楽しむ。そのとき突如中央に集まった花の中に雌獅子が姿をかくす。2頭の雄獅子は花のまわりを、あるいは背伸びし、或いはかがんでさがす。ようやく雌獅子を見つけた先獅子を喜びいさむ、それを知った後獅子が雌獅子に近寄ろうとするが、先獅子がこれを見つけてこれをはばもうととし、ついには2頭の雄獅子が組み合いとなる。
雌獅子と雄獅子をどう見分けるかというと、足元にリボンが結んであるのが雄、リボンがないのが雌だそうです。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

見物の犬さんも獅子舞いのコスチュームで盛り上げる。


リコーGXR+マウントA12 + ニコン AFN70-210mm


リコーGXR+マウントA12 + ニコン AFN70-210mm


リコーGXR+マウントA12 + ニコン AFN70-210mm


リコーGXR+マウントA12 + ニコン AFN70-210mm

このオカメが全体を指揮しています。 もっとも重要な役目で、ベテランがやっているのでしょう。

ここで初めてニコンレンズが登場します。カメラの北村で、8800円で買った、中古望遠ズーム。この点、リコーGXRはいいですよ、いろいろなレンズを試すことが出来ます。レンズだと8800円は安いと思うけど、韓国で焼き物を買う時は3000円でも躊躇するのだから不思議なものだ。
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高麗川物語 その6

2012-10-25 21:26:28 | 日記
高麗川物語 その6

高麗神社の獅子舞の続き。

まずは高麗家が代々住んでいた家、高麗家住宅で全員お祓いを受けてから、出発です。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm



これが高麗家住宅の全体です。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

鳴り物は笛、太鼓、ササラ、ホラ貝、所役は棒使い、貝吹き、天狗、おかめ、ササラ、導き、獅子、笛方、歌方、と総勢50名です。
棒使いは行く先々で、2人で棒を戦わすパフォーマンスを行います。 20~30m毎に行いますから、全部で数十回はやります。とっても目立つ、あこがれの役どころでしょう。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

一行は表に出て、正面の鳥居をくぐって社殿に向かいます。これが第一幕の<宮参り>です。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

鳥居をくぐります。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

まずは、ササラコが社殿に並びます。 


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

獅子は社殿前で一踊り。その後、山の上の水天宮に礼拝します。
宮ぼめの歌に合わせてお参りする。
<この宮は、角の柱で、白金で、社壇黄金で、宮が輝く> <千早振る、神の御末に、夢さめて、阿云の二字を、聞くぞ喜ぶ>


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm
神社から急な階段道を10分ほど登ったところに水天宮があります。一行はここまで登ります。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

水天宮前で一踊り。 ここで獅子の踊り手が交代です。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

ササラコはどうなんでしょか、交代しないと大変ですよね。ほんと、けなげでかわいいササラコです。





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高麗川物語 その5

2012-10-24 20:33:43 | 日記
高麗川物語 その5

10月19日(金曜日)
高麗神社はJR高麗川駅から2kmのところにあります。巾着田は西武線、高麗駅が近く、高麗駅から高麗神社までは3.5kmほどあります。今日は高麗川駅でおりて、まずは聖天院に向かいます。というのは、彼岸花の巾着田から高麗神社に行ったときに、遅くなって、聖天院の門限17時の寸前に聖天院に到着して、結局、入れなかったのです。次の機会にと思っていたのでした。こんなに早く次の機会が訪れるとは思ってもいなかったことです。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

高麗地域はのんびりした雰囲気で、色々な畑の中に住宅が点在しています。 これは茶畑。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

これは何でしょう? キャベツにしては、食べてもおいしくなさそうな葉っぱです。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

栗林もあります。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

ログハウスで悠々と生活している方もいらっしゃいます。その向こうにはソバ畑がありました。この辺で結構ソバが作られており、昼食にはいったレストランでこのあたりで採れたソバ粉で打ったおいしい手作りソバをいただきました。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

高麗川をわたります。出世橋とかいてあります。 ここを渡るとなにかいいことがあるのでしょうか。 


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

高麗川です。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

聖天院が見えてきました。結構立派なお寺でしょう。
<聖天院は、高句麗から渡来した高麗王若光の菩提寺として高麗川の左岸に建立された寺である。若光に従っていた僧の勝楽が、若光の冥福を祈るためにその念持仏だった聖天歓喜仏を本尊とする寺院を建立しようとした。だが、完成をみないで天平宝字3年(751)に没してしまったので、その後弟子の聖雲(若光の第三子)らが、勝楽の遺志を受け継ぎ一寺を建立した。それが高麗山聖天院勝楽寺である。聖天歓喜仏を本尊として祀ったことから、聖天院の名で広く知られている。>


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

<聖天院の堂宇は当初から現在地にあったわけではない。寺伝によると、寛永年間(1624 - 44)に火災に遭って堂宇が焼失し、寺地を背後の丘陵寄りに移して再建されたとのことだ。門前の畑や西方には旧坊舎の金蓮坊・梅仙坊などの跡がある。江戸時代には、聖天院は高麗郡の本寺として、門末54寺を擁するほど隆盛を誇った。寛永の火事の後に再建された堂宇も古くなった。特に本堂の老朽化はひどかった。そこで、裏山を整地して新しい本堂を建立することになった。完成までに7年の歳月を要し、平成12年(2000)にやっと落成にこぎつけた。>とあります。江戸時代からくらべると小さなお寺かもしれませんが、こののどかな現在の高麗地域にしてはとても立派なお寺に見えます。 おそらく、在日韓国人の大きなバックアップがあったのでしょう。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

それを表すような韓国風建物が本堂の裏手にあります。この横の看板には、<在日韓国人の聖地>とかいてありました。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

在日韓民族無縁仏の慰霊塔が立っています。<第二次世界大戦で多くの韓国人が亡くなり、無縁仏のまま供養もされずに放置されてきた。それらの無縁仏に久遠の安眠を与え供養したいと願う在日韓国人の篤信者たちによって、平成12年(2000)1月にこの塔が建立された。> 慰霊塔の前に小さな鐘があり、槌でカーンと鳴らすことができます。 ここにお参りする人がぽちぽちいますが、在日韓国人なのでしょうか、当方のような行きがかりの旅人なのでしょうか。当方も鐘をたたいて、日本と韓国が仲良くやって行けるようにお祈りしました。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm

聖天院から高麗神社は歩いて5分もかからない直ぐです。



ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm
七五三のお参りに来るようです。後述のように子供たちの出世を願っているのかもしれません。
<高麗神社の主祭神は、かつて朝鮮半島北部に栄えた高句麗からの渡来人高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)です。若光は元正天皇霊亀2年(716年)武蔵国に新設された高麗郡の首長として当地に赴任してきました。当時の高麗郡は未開の原野であったといわれ、若光は、駿河(静岡)甲斐(山梨)相模(神奈川)上総・下総(千葉)常陸(茨城)下野(栃木)の各地から移り住んだ高麗人(高句麗人)1799人とともに当地の開拓に当たりました。若光が当地で没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を「高麗明神」として祀りました。高麗神社は、若光の子孫が代々宮司を務め、現宮司は60代目になります。
高麗郡は明治29年(1896年)入間郡に合併されましたが、当社はその後も広く崇敬を受けてまいりました。特に浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが当社参拝後相次いで総理大臣となったことから「出世明神」と広く知られるようにもなりました。現在は年間約40万人の参拝があります。> なるほど、だから出世橋というのがあるのだ。坂口安吾がお守り札をいっぱい買って、みんなに配ったと言っていたのは、この為だったのだ。当方も三足烏お守りというのを買いました。後でお見せします。
この記述に上総とあります。当方の父方は上総一の宮の出です。このあいだの韓国旅行で確信したことがあります。父方の女性の系列、つまり祖母の系列には、そう言ってはなんですが、美形が多く、親戚で財閥の奥さんとなった方もいます。祖母の系列がそんな財閥に嫁ぐようなステータスではありませんから、よっぽどの美形だったのでしょう。 その系列の顔の印象は正に韓国の美形にそっくりなのです。当方は南方系と自称していましたが、少なくとも1/4は韓国DNAであると思わざるをうえないのです。そして。この高麗神社の記述で、ダメ押しです。まさか房総半島に韓国DNAがあったなんて。海から来たのか、山から来たのか、とにかく韓国DNAがあったのです。南方系DNAは後の3/4に期待するしかありません。
さて、高麗神社の例大祭です。すでに午前中に祭典が終わり、13時から獅子舞、17時から竹祭りです。獅子舞で活躍する、その、棒使い(警固)は、中学生と高校生か? 簓子(ささらこ)(天女) 4人は小学生か? 小さな女の子です。 この棒使いはずっと出っぱなしの大活躍であり、<ささらこ>は<ささら>(竹をこすって音をだす楽器)をこすって音を出し続けるだけでなく、獅子舞の動に対する静なる存在感はとても影なる活躍なのです。


ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm
<棒使い>

ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm
<棒使い>

ペンタックスK5, ペンタックス18-135mm
<ササラコ>
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