<全くの独り言>
次なる作品のアイデアを得るために、海で波を撮りたいし、きれいな水面や流れも撮りたい。熱中症警戒アラートや台風や大地震警戒で近くにも遠くにも出歩くことがはばかられる。ここのところずっとだ。ブログネタがない。しかたないので、<独り言>をブツブツ書くしかない。
結局3つ書きました。
その1、トランプと<反アメリカ・グローバリズム>
その2、岸田氏はなぜ受けなかったか?
その3、 ポスト岸田
普通なら3回に分けてアップするのですが、まあ読む人もいないだろうし、3回もブログを占拠する必要も無かろうといっぺんにアップします。万一読もうと思う方は興味あるところをよんでくさい。世の中の状況はどんどん変わってきますから、のたのたアップしてもトンチンカンになってしまうこともいやですし。
<全くの独り言> その1,トランプと<反アメリカ・グローバリズム>
2009年12月に中欧の旅をしました。この時のゴシック建築の印象が、常によみがえります。
何が言いたいかというと、<キリスト教・グローバリズム>の恐ろしさです。
チェコ プラハ プラハ城内 <聖ビート教会> 周囲とはやけに違和感のある典型的ゴシック建築
いずれもプラハ城内にある、ゴシック建築教会とチェコ的教会の対比
ハンガリー ブダペスト マーチャーシ教会 ゴシック建築をはねのけた、これこそハンガリーの文化
(詳しくは2010年1月開始の連載、中欧物語をご覧ください)。
(註:現在チェコとハンガリーは直接地続きでなく、チェコスロバキアが地続きだったのが、チェコとスロバキアに分裂したのでこうなったのです)
キリスト教はキリスト教の正義を世界中に広めて、キリスト教一色に塗りつぶそうとすること自体が天命と考える宗教であるから、キリスト教国が制圧した国にはゴシック建築の教会を立てて、その権威をしめし威圧した。土着の文化など蹴散らした。チェコではかろうじてゴシック建築と土着の建築が半々になり、ハンガリーではキリスト教に改宗しても教会は土着の文化をガンとして守った。ヨーロッパの各地でこのせめぎ合いを見て来た。
<キリスト教グローバリズム>は<アメリカ・グローバリズム>にすり替わった。(註:キリスト教を深く信じる人が<アメリカ・グローバリズム>にスライドしたわけではありません。<力、正義、世界を覆う>という流れを当然と思う素地のルーツがキリスト教にあると言っているのです。むしろキリスト教を深く信じる人が<反アメリカ・グローバリズム>の中心にいます。) 本当のグローバリズムと<アメリカ・グローバリズム>の違いを気にしている人がどれくらいいるか?
この独り言で何を言いたいかというと、<本当のグローバリスム>がいつのまにか<アメリカ・グローバリズム>と混同され、こちらがメインストリームとなり世界中を覆う危険性とこれに反抗する勢力が単なる<ナショナリズム>に走る危険性をいいたいのです。
<キリスト教グローバリズム>とはキリスト教は正義であるから、世界をキリスト教一色に染めようとする考えです。<アメリカ・グローバリズム>も同じ、アメリカは正義であるから、世界をアメリカ一色に染めようとするのです。 アメリカが正義なら、最も力のある国、アメリカが世界をアメリカ色一色にして秩序を保つことは世界平和を保つという意味ではありかもしれない。しかし、アメリカ、イコール正義ではなく、アメリカに都合のいいように世界を一色にしようとすることが見え見えである。アメリカが最も力のある国でもなくなってきて、矛盾を抑え込むことが出来ずに、ぼろぼろホツレが露見する。これまでのトランプ快進撃の根底は<反アメリカ・グローバリズム>なのです。<アメリカ・グローバリズム、世界イコールアメリカ主義>のホツレをうまく利用して、不満の力を一手に掌握した。例えば世界の警察を維持するためにほったらかしにされたラスト(錆)ベルトの不満です。トランプが単なる<ナショナリズム/自国優先主義>を基盤とするなら、ここまで拡大出来なかったと思うのです。
ところが<アメリカ・グローバリズム>の旗艦バイデンがこけて、<アメリカ・グローバリズム>と<反アメリカ・グローバリズム>の対立が突然消えてしまった。この対立はただのわめく爺さんとポリティカルコレクトネス<ポリコレ>(特定の人物に対して不快感や不利益を与えないようにする行為のこと。現代では、人種や宗教、性別や見た目などにおいて差別や偏見を含まない中立的な表現を用いること)の対立に成り下がった。
このまま<反アメリカ・グローバリズム>は終わるのか? <アメリカ・グローバリズム>の矛盾はちっとも消えないどころかますます鮮明になってゆく。例えば、イスラエルを火種とする中東の戦いはエスカレートする。ガザの子供が殺されて、世界中のポリコレはイスラエルを一方的に非難する。イスラエルは自衛権行使という、当方もその通りと思う。しかし、アメリカはイスラエルのやりすぎにはずっと目をつぶって来た。なんたってアメリカ国内のユダヤ人勢力は絶大であり、なんたってユダヤ人は超優秀だ。正義は歪んで、グチャグチャになる。(当方はワシントンDCのNIH出向の時もボストンMIT出向の時もユダヤ人の優秀さとアメリカ全体いや世界全体を覆う団結力をもろに見て来た)
トランプ自体は思想などどうでもいい、利用するだけだから、 そのビジネスオリエンテッドな才能を再び発揮して底力を出すのか、若手が<反アメリカ・グローバリズム>を引き継ぐのか? 単なる<ナショナリズム>が台頭するのか?
日本は完全に<アメリカ・グローバリズム>の支配下にあり、大多数の人はそれを空気のように当然のことと思っている。占領国にたいして、日本ほど<アメリカ・グローバリズム>定着に成功した国はないといわれている。
安倍氏なきあと、自民党はポリコレ化(当方は都合がいいので、大衆ポピュリズムよりちょっとましな表面的正統性をまとったポピュリズムをポリコレと表現している)して、たまらず保守勢力は<日本保守党>を作った。しかし、<アメリカ・グローバリズム>に対抗する勢力というよりは、<グローバリズム>に対抗する<ナショナリズム>となっている。<ナショナリズム>は分かりやすく、シンプルに世界を色分けすることに快感を感じる人たち、国民とマスコミのポリコレ化がたまらなく嫌いな人達、フィールドで実戦の最中にある人でなく、安楽な観客席の人々のなかに広がってゆく。フィールドで実戦している人には生きて行くためにいやでもグローバルな考えを持たざるを得ないのである。
本当のグローバリズムと<アメリカ・グローバリズム>の違いを気にしている人がどれくらいいるか? <反アメリカ・グローバリズム>と<ナショナリズム>の違いが解るひとがどれくらいいるのか?
では<アメリカ・グローバリズム>を否定して、どうやって世界平和を保つのか?
<全くの独り言> その2,岸田氏はなぜ受けなかったか?
<総裁選には出馬しない宣言>の岸田氏の演説を聞いて、なぜ岸田氏が受けなかったかがわかった。
岸田氏が総理大臣になった当初は岸田氏をまったく評価しなかったが、その後2つの意味で、しばらくは岸田氏でいいんじゃないかと思うようになった。①安倍氏が築いた確固たる自民党王国における長老勢力をつぶすに、彼ならのらりくらりとやり過ごしながら、じわじわと長老勢力を自滅に導くことが出来るかもしれないと思ったことだ。実際安倍大国の矛盾が、ぼろぼろ露見し、自滅し始めた。当人の死はそれを一気に加速した。②安倍氏の死で目標を失った岸田氏は茫然自失となっていたが、気を取り直して、やるべきことはコツコツやって来た。時折思い切ったこともやり、当方はこの程度でコツコツやってくれればいいと思っていた。安部氏が先送りしてきた山のような問題をそう簡単に理想的に解決できる人はいるわけがない。いくら優れたアイデアが出せるひとでも、国民自体が安倍王国にいりびたって、ふやけてしまっているから、一気に変えられない。コツコツやってくれればいいと思っていた。ところがなんでこんなに支持率が低下したのか。
<総裁選には出馬しない宣言>の岸田氏の演説には岸田美学がちりばめられていた。裏金問題の責任をとることはいささかの躊躇もない。世の中の組織では部下の大きな失敗は社長がすぐ責任をとることが当たり前である。自分に大きな失態が無くてもである。今頃いいだすとは、自分には失態が無いからこのまま続けると思っていたが、周囲の状況からやめざるを得なくって、この期に及んで<責任をとることはいささかの躊躇もない>といったととられても仕方ない。
つまり彼は<いい子であること>が人生の目標だったのだ。小さいころから<いい子>になることが当然のこととして育てられ、自分でも<いい子>であると自負してきた。数々の失敗の中から答えをねじりだし、また失敗し、それでも前に進んで、作り上げた目標は無いのである。かれの演説には、しがみつく自分で作り上げた政治目標を感じないのだ。これが彼が受けない第一の理由。つぎに<いい子>であるために、聞く人を演じなければならなかった。必然的に行動は周囲に左右され、軸がずれてしまう。軸が無い上に軸がずれる。なんにも悪い事をしていない<いい子>であるのに、人を引き付けられない。
当方はどういう結論に導きたいかというと、政治家の長期世襲は大きな弊害をもたらすということだ。
岸田氏だけでない、安倍氏もそうだった。憲法改正の主張は、安倍一族の怨念なのだ。現在の憲法はアメリカに押し付けられた、しかるに変えねばならないという怨念が子供のころから染み込んで、空気のように安倍氏を支配していた。それ以外にも子供のころから染み込んだ政治的バックグラウンドがかれの自信に満ちた行動の骨格となっていた。染みついた家柄は大きな力ではあるが、3つの点でぼろが出た。①科学的対応が必要なコロナ対策では科学的地頭の欠如から手も足も出なかった、② 3本の矢の3本目、これからの日本を作る為の稼ぐ力を生み出すアイデアがそういう地頭の欠如からにっちもさっちもいかなかった、③先代が当たり前と思っていた統一教会とのつながりを当人も当たり前と思ってしまった。 彼はそういう自分の欠点をついてくる人を徹底的に排除したことが、安倍大国の衰退を生み、後世に大きな課題をごまんと先送りした。そして③のために銃弾に倒れた。
言いたいことは政治家の長期世襲をつづけると日本を壊すということだ。
欧米の政治家のトップは日本のような長期世襲で埋め尽くされることはない。メルケルは物理学者であり、サッチャーは中流食糧雑貨商の家に生まれた。オバマの小さいころの経歴はご自分で調べてみたらどうでしょう、およそ世襲とはかけ離れた世界だ。
<全くの独り言> その3 ポスト岸田
政治のリーダーに必要な能力を3つに大分する。
A:現状の手持ちの原資をいかに配分し、いかに文句の出ないようにするか。
ようするに、パワーバランスをうまくとれる人。
B:日本の将来、世界の情勢を俯瞰して、長期グランドデザインを立て、実行し、結果を検証し、改良してゆくサイクルを回せる人
ずばり、日本の国力を上昇させるためのアイデアを出し、上記のサイクルを回せる人。
C:A and/or B 実行の為に関係者に対する調整能力を持つ人
それ以上に、カリスマ性あるいは人を引き付ける何者かを持つ人
Aが得意な人はBは不得意、Bの得意な人はAが不得意。当方はAとCは全く分からないし、興味もないし、能力もない。
政治家、マスコミ、一般大衆の9割はAとCしか興味ない。
日本の現状はBがあまりにもコケにされている。日本が平和で、稼ぎが潤沢の時はAとCだけでいいからそうなった。
石丸氏、小林氏はBからの視点で話す。日本の将来は平和でもなく、稼ぎが潤沢でもないことが見え見えだから、将来がある若者は石丸氏や小林氏に興味を示す。
AとCしか理解できないコメンテーターやマスコミが石丸氏や小林氏と議論しても所詮話がかみ合わない。
一例をいう。
コバホーク小林鷹之議員、選択的夫婦別姓は「国民的議論が大切」と言ったことに吉永みち子氏が国民の殆どは選択的夫婦別姓を支持しているのに、「国民的議論が大切」は気に入らないとかみついた。これまで夫婦別姓は反対といっていたコバホークがあいまいな表現をしたといってネトウヨはコバホークを見限った。海外に合わせねばということを理由とした夫婦別姓ポリコレはネトウヨの最も嫌うことである。田崎史郎氏は曖昧な表現をつまらないやり取りだったといった。コバホークは夫婦別姓は反対が本心であり、さらに本心はBからみればこの話題は殆どどうでもいい話で、ここで夫婦別姓は反対と言っても世間を敵に回すだけだから、ぎりぎりの「国民的議論が大切」と表現をしたので、そうせざるを得ない当たり前のやり取りだと当方は思う。コバホークも当方もこの話題は国民の総意に従えばいいだけで、どうでもいい話なのだ。当方は吉永みち子氏が嫌いではない。今、女性で活躍している方にとっては選択的夫婦別姓は必須条項なことは解っているし、むきになることも理解できる。しかし当方には選択できることならどうでもいい事なのだ。
こういうAとCに関するやりとりばかりが続くことにうんざりしているのだ。試しにテレビをみてくださいAとCに関するやりとりばかりが延々と続くことに気が付くはずだ。
違った、A. Cしか興味のない人はBがない事に気が付くはずはないのだった。
石丸氏、小林氏に賛同した一般大衆はただ現状が変わってくれることに興味があるだけなので、Bからの視点で話す彼らの真意は理解していない。時がたてば彼らのメッキが剥げたとか剥げるだろうとかオリコンとかいう。メッキが剥げたのは分からずさわいだ一般大衆の方なのだ。マスコミはB視点など視聴者に受けないからどうでもいいので、石丸氏、小林氏のメッキは面白いから話題にしているだけである。
AとCしか理解しない現状の日本を救うには、Bをねじ込むしかない。多勢に無勢、それが至難の業なのだ。
石丸氏は石丸流トークとSNSを用いた、小林氏は地頭がよくてもまだまだ未熟だ。石破氏はやろうとしたが出来なかったのであきらめて歩みを止めてしまった、今再開しても考えがリニューされていない、流れからおいて行かれている。本来、本当にやりたいことがあったなら歩みを止めることは無かったはずなのに? 小泉氏の得意技はCであるが、AだけでなくBも考えている、しかし地頭が不足している。Bは難しいのだ。出来なくてもいい、人を使ってBを補えばいいのだ。人を引き付ける何者かがあって、アホみたいなことを言わなければ小泉氏が一番ポスト岸田に近い。
長老キングメーカーは石丸氏の快進撃をみて、若くても上手くやればやれるかもしれないと思い始めた。大衆を丸めこめて、自分達の立場も維持できる。これが小泉氏や小林氏を推す原因となっている。この点でも石丸氏の出現は大きな影響を与えたのだ。
ここに登場しないポスト岸田はいまのところ当方の興味の外だから登場しない。
AとCしか理解しない現状の日本を救うには、Bをねじ込むしかない。多勢に無勢、それが至難の業なのだ。どうする。
2024-9-16追加:あとから立候補した高市氏はBに関して最もしっかりした考えを持つので、一押しとします。世間も同じことを考えているようで、世間もすてたものではありません。