毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「張家界の人々と植物」2014年6月17日(火)No.922

2014-06-17 22:50:15 | 中国事情

張家界二日目は天子山に行った。

この日、同じ宿舎に泊まった北京からの若夫婦も一緒に出かけた。

天子山は前日の武陵山よりなだらかで整備された道が続き、

まあ楽なコースだったのだが、前日の筋肉疲労でふくらはぎが痛かった。

遠くの景色もほぼ同じに見え出し、

足元の草などに気が向いた。

ふるさと北海道の草ととてもよく似ている。

 

 

 

蕗は微妙に違う。茎の筋がはっきりしていないのだ。

 

ジャーン!三つ葉まであった!!

土屋族の人々がこれを料理に使っていることが、翌日の夕食で分かった。

南昌では一度も見たことがない。

 

瞬発力のある北京からの若夫婦を先頭に、

午前中の天子山散歩を楽しむ我が一行。

 

どうして中国の人々は、写真を撮るのにこのように熱心なのだろうか。

これは北京の若夫婦。

 

賀竜という人は、山賊出身の革命家なので、

この山に記念碑が建っている。

 

整備されていない道をガイドさんは『山賊の道』と言った。

山賊道は土がフワフワして足に優しい。

前を歩くのは施芳芳さん。

 

途中の見晴らし台に写真撮りの商売をする人がいた。

私が3人娘と日本語でペチャクチャ話していると「韓国人か?」と聞く。

日本人だと言うと「勇気がある日本人だね」とのこと。

なぜかと問えば、彼が今まで見た日本人は団体客ばかりで、

皆、目がビクビクしていたと言う。『ビクビク』と言ったとき、

彼は目で真似をして見せた。

その表情を解説すると、

『ビクビクした』というより「警戒心を持った」とか、「信用しない」という表現が

適切かも知れない。韓国人や中国人観光客は、

日本人から見れば傍若無人に思えることもあるが、

少なくともエンジョイしていることは一目瞭然である。

日本人が、観光地でまで警戒しているように見えるのはどういうわけか。

・・・・・・・・・。

そういうわけで、私は彼の日本人へのイメージを変えるために

愛想良く手を振り、「さよーならー」とか言ったりして別れたのだった。

 

午後、北京の夫婦は一人は心臓が悪く、もう一人は足が痛くて、

「八百階段コース」をパスした。

そもそも、張家界に来たのが間違っていたと二人は言う。

私もできたらパスしたかったが、

ここで引き下がったら何のために張家界に来たのか訳わからん。

年寄りの冷や水と言われても行くしかない。

 

下は軽やかな表情で階段を上る余立君さん

(しかし、実は彼女も既に「足痛~い」と愚痴を言っていたのである)。

 

下を見てビクつく劉慧さん。

 

 

足元の鉄網の下は深い峡谷だからね。

 

ここで、北京航空大学の先生が落ちて死んだので、この鉄網が張られたと言う。

・・・・・・・・・

 

そんなにまでして見たかったのか、この景色を。

 

八百階段の入り口にお店屋さんがあって、

食べ物好きの余立君さんが吸い寄せられていった。

これはいったい何だと思う?南瓜じゃないよ。

 

山奥の岩の下に巣を作る大きな蜂の蜜だという。

完全防備で取らないと大変な目に遭う。

 

この若いお店屋さんの雄弁なこと、

大阪の吉本のスターにもなれるのでは、と思った。

宿舎のオーナーと言い、ガイドさんと言い、土屋族の人々は

有能で雄弁だ(といっても3人しか知らないけど)。

 

 「このような秤を使う売り手はよくごまかします」

と、余立君さん。日本人は言われたらすぐに何でも信じる傾向があるが、

中国で暮らしていると、表面の数字やらを鵜呑みにしては生きていけない。

したがって、人間力がおのずと発達するのである。

コメント
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