張家界二日目は天子山に行った。
この日、同じ宿舎に泊まった北京からの若夫婦も一緒に出かけた。
天子山は前日の武陵山よりなだらかで整備された道が続き、
まあ楽なコースだったのだが、前日の筋肉疲労でふくらはぎが痛かった。
遠くの景色もほぼ同じに見え出し、
足元の草などに気が向いた。
ふるさと北海道の草ととてもよく似ている。
蕗は微妙に違う。茎の筋がはっきりしていないのだ。
ジャーン!三つ葉まであった!!
土屋族の人々がこれを料理に使っていることが、翌日の夕食で分かった。
南昌では一度も見たことがない。
瞬発力のある北京からの若夫婦を先頭に、
午前中の天子山散歩を楽しむ我が一行。
どうして中国の人々は、写真を撮るのにこのように熱心なのだろうか。
これは北京の若夫婦。
賀竜という人は、山賊出身の革命家なので、
この山に記念碑が建っている。
整備されていない道をガイドさんは『山賊の道』と言った。
山賊道は土がフワフワして足に優しい。
前を歩くのは施芳芳さん。
途中の見晴らし台に写真撮りの商売をする人がいた。
私が3人娘と日本語でペチャクチャ話していると「韓国人か?」と聞く。
日本人だと言うと「勇気がある日本人だね」とのこと。
なぜかと問えば、彼が今まで見た日本人は団体客ばかりで、
皆、目がビクビクしていたと言う。『ビクビク』と言ったとき、
彼は目で真似をして見せた。
その表情を解説すると、
『ビクビクした』というより「警戒心を持った」とか、「信用しない」という表現が
適切かも知れない。韓国人や中国人観光客は、
日本人から見れば傍若無人に思えることもあるが、
少なくともエンジョイしていることは一目瞭然である。
日本人が、観光地でまで警戒しているように見えるのはどういうわけか。
・・・・・・・・・。
そういうわけで、私は彼の日本人へのイメージを変えるために
愛想良く手を振り、「さよーならー」とか言ったりして別れたのだった。
午後、北京の夫婦は一人は心臓が悪く、もう一人は足が痛くて、
「八百階段コース」をパスした。
そもそも、張家界に来たのが間違っていたと二人は言う。
私もできたらパスしたかったが、
ここで引き下がったら何のために張家界に来たのか訳わからん。
年寄りの冷や水と言われても行くしかない。
下は軽やかな表情で階段を上る余立君さん
(しかし、実は彼女も既に「足痛~い」と愚痴を言っていたのである)。
下を見てビクつく劉慧さん。
足元の鉄網の下は深い峡谷だからね。
ここで、北京航空大学の先生が落ちて死んだので、この鉄網が張られたと言う。
・・・・・・・・・
そんなにまでして見たかったのか、この景色を。
八百階段の入り口にお店屋さんがあって、
食べ物好きの余立君さんが吸い寄せられていった。
これはいったい何だと思う?南瓜じゃないよ。
山奥の岩の下に巣を作る大きな蜂の蜜だという。
完全防備で取らないと大変な目に遭う。
この若いお店屋さんの雄弁なこと、
大阪の吉本のスターにもなれるのでは、と思った。
宿舎のオーナーと言い、ガイドさんと言い、土屋族の人々は
有能で雄弁だ(といっても3人しか知らないけど)。
「このような秤を使う売り手はよくごまかします」
と、余立君さん。日本人は言われたらすぐに何でも信じる傾向があるが、
中国で暮らしていると、表面の数字やらを鵜呑みにしては生きていけない。
したがって、人間力がおのずと発達するのである。