13日夕方7時、張家界から汽車で長沙に向かった。
余立君さんが気を使って私だけ寝台車を予約し、
自分たち3人は翌朝6時に長沙に到着するまで椅子席で過ごした。
張家界に行くときもそうだった。
どんなに狭くても、最上階ベッドであっても、
そして夜10時半まで、天井からラジオ放送が大音響で流れていても、
やはり寝台車は身体が休まる。
劉慧さん、余立君さんが自分たちの座席からやって来て、
私が最上階のベッドなのを心配し、一番下のベッドと交代してもらうと
何度も言うのを、私は断った。
値段だって最上階は安いのだ。納得しなきゃ。
一般的に中国の若者たちは年配者に対して、とても気を使う。
儒教の伝統が生きているのだろう。
バスの席も日本に比べてよく譲る。
しかし、時々思うのだが、子どもに対して過保護なのと同様、
年配者にも過度に世話をする傾向を感じるのは私だけだろうか。
(これはまた別の日に書くことにする)。
早朝6時、長沙に着いた。
うわーい、長沙だ、長沙だ!と訳もなくワクワクする。
ホテルに到着し、荷物を置いて一休みしていたら、
長沙の中南大学3年生の劉文潔さん(余さんの中学・高校の同級生)が
訪ねてきた。
何と、その日の午後は英語6級試験(中国独自の試験)を受けるのに、
午前中だけでも私たちを案内すると言う。
ああ、何といい人なんだ。
(そう言えば施芳芳さんは、
私との最後の旅行になるだろうから、と言って
お金を払って受験申し込みしていた英語6級試験を受けずに、
この旅行をともにしているのである。みんなっ、いい子過ぎるぞ~)
劉文潔さんがまず、私たちを案内したのはここである。
自転車がとても多いのは江西財経大学と違うところだが、
ここは中南大学の図書館である(数年前に立ったばかりらしい)。
中もたいへん近代的で、江財大とはエライ違いだった。
図書館職員は専門の図書館学を学んだり、
海外留学経験がある人しか採用されないと聞いて、びっくり。
江財大は、大きな声では言えないが~!
博士の連れ合いとか、家族とか、共産党員だとか、
つまり縁故(コネ)就職ばかりだと聞いている。
4年前、私が初めて麦蘆園の図書館に入って、まず驚いたのが、
2階の入り口右側カウンターの職員がエアコンがかかっている中で、
平気でタバコをふかしていたこと、
そのうち「ウェイ?」とか言って電話でしゃべりだし、
それが生半可な声の大きさではなかったこと、
その話は最低20分は続いたことなどであった。
・・・・・・・・・
中南大学は湖南省のトップレベルの大学だとのこと。
学生たちはどんなだろう、と見れば・・・
あわわ、席、満員だわ。
この階も。
また、この階も。
試験が間近なので、座席確保は至難の業だという。
D区はコンピューター・ラボラトリーだが、コンピューターではなく、
ただ座席目当ての学生も多いとのこと。
外に出ると、卒業生がお馴染みの服装で記念撮影をしていた。
中国の大学ではごく普通の光景。
あれ?ここは食堂のはずだが?
そう、図書館からあぶれた人々が食堂で勉強しているのである。
日本の大学生たち、ここまで頑張っているかなあ。
これを見ると、中国の将来は明るいのが分かる。
さて、図書館のあるキャンパスを離れて、
劉文潔さんの寮のあるキャンパスの食堂にバスで移動。
この移動に自転車が便利なのだ。
バス停で見かけた自転車でリヤカーの荷物を運ぶ人。
廃品回収業の人だという。
大阪でもたくさんの空き缶を自転車に積んで運ぶ人がいるが、
リヤカーを取り付けると積載量がこのように一気に増える。
こちらの食堂は、もう昼食時間帯の終わりで、閑散としていた。
注目してほしいのは、テーブルと椅子だ。
落ち着いてご飯を食べようという気になる木目入りテーブルと、
しっかりした本当の椅子だ。
江財大の第一食堂の1階の椅子はけばけばしい色の四角いプラスチックだ。
背もたれもない。
ここで、私はシミジミ(ああ、江西省は本当に貧乏な省なんだなあ)と感じた。
午後の試験を受ける劉文潔さんといったん別れ、
夕方の再会を約束して別行動に移った。
通りには、毛沢東の巨大な像が立っていた。
しかし、地元の人は見慣れすぎているのだろう。
気にして立ち止まるのは私たちのような観光客だけだった。
(続く)