毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「中国の郵便局から日本に荷物発送」2014年6月25日(水)No.929

2014-06-25 22:54:21 | 中国事情

4年間、日本からの荷物を受け取りに行くだけだった

財大蛟橋園傍の下露郵便局だが、今回初めて日本へ荷物を発送した。

以前、人に聞いた情報では、

いったん荷物を段ボール箱から全部出されてチェックを受けるので、

きちんと入れても意味がないとのこと。

そして、船便で送るということは、

道中どんな酷い目に遭うか分からないので、段ボール箱だけでは心配だから

物品をビニール袋に入れた後にダンボールに入れるのが安心だということで、

八木先生が巨大ビニール袋をたくさん持ってきてくださった。

 

午後1時、まず宿舎の私物で次の日本人の先生に使ってもらえそうなものを

陶先生の車で麦蘆園まで運び、取って返して、

蛟橋園宿舎の荷物を下露郵便局まで運んだ。

午後1時登場の陶先生、八木先生に加えて、

途中麦蘆園資料室から4年劉慧さん、

そして、その後の宿舎からは何と4年陳小雲さんが加わり、

総勢5名の大部隊となった。

そして、私の荷物は12個にも膨れ上がった。

荷造りする前は劉慧さんと私の二人で運ぼうかな、なんて考えていたことの

なんと甘いことかが、積み上げられたダンボールを見て分かった。

今日手伝ってくださった二人の先生方、

人が困ったときにフッと現れる陳小雲さん、

そして、この間ずっと私のすぐ傍で一つひとつの作業を

きっちりやってくれている劉慧さんには、本当に感謝、ひたすら感謝である。

 

下露郵便局の入り口(下に子どもの落書きがある)。

18:00までと書いてあるが、今は昼休みなしにぶっ続け営業して、

17:00時までになった。

荷物は16:00までに持ち込んでほしいとのこと。

 

突然登場して手伝ってくれた陳小雲さん(私は陳さんが既に南昌にはいないと思い込んでいた)。

 

ここに至るまでに、個々12枚の票にあれこれ書かねばならず、

ボールペンを人数分持参して皆でてきぱき書き込んだ。

中国の住所は漢字ばかり、しかも大変長い。

我が娘は日本からこちらに荷物を送るとき、住所を書くのに、

あまりに文字数が多くて手の筋がつったと言う。

(今までの人生であまり漢字を書いてこなかったからだろう)

 

左から八木先生、劉慧さん、陶萍先生。

受け付けてくれるのをひたすら待っている。

「受け付ける」とは中身を確認し、箱を梱包することである。

陳小雲さんは、どこへ行ったかと思ったら、

このとき、みんなのために飲み物を買いに行っていたのであった。

天性の気配り才能。私は一生かかってもそういうことはできない。

 

現在、ここの職員の客への応対態度はとてもいい。

4年前は、はっきり言って無愛想で偉そうだった。

(下の写真の職員さんたちではなかったと思う)。

4年間で中国的に言えば「文明的マナー」が隅々まで行き渡ったのか、と

感心していたら劉慧さんが、

「麦蘆園の郵便局員は不親切で、ときどき客とけんかします」

とのこと。下露郵便局は海外へ発送できるが、麦蘆郵便局はできない。

下露郵便局はインターナショナルなのである。

(今日、偶然、東華理工大学の村岡先生も荷物を持ってきていた。

ということは、この近辺ではこの郵便局だけからしか海外発送できないのだ。

私の宿舎から徒歩5分の下露郵便局がそんな郵便局だったとは

今まで全く気がつかなかった)

 

他の人の荷物はダンボール箱より、袋に入ったものが多い。

 

袋に直接、住所が書き込んである。これは国内便だけだろう。

 

受付は少しずつ進展する。一度に12個受け付けず、

後から来た1個だけの人などを優先するからだ。

結局4時前から5時まで待った。

それでも、荷物の中身にクレームがつくわけでもなく、

一応スムーズにことが運んでいるのだから、不服は言えない。

4時以降も客が次々来るので、職員さんたちの中から、

「ああ、今日は定刻通りに帰れないわ」

という声があがった。

 

とにかく、大仕事が一つ片付いた。ありがたい。

外に出ると、昼間は全然なかった出店がいつの間にか一斉に並んでいた。

 

宿舎で一休みした後、皆で蛟橋キャンパス傍の四川料理のレストランで

夕食を食べた。

魚の鍋物が大変おいしかった。一日の終わりに感謝。

 

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