私は、山東省菏澤学院日本語学科で
3年生の「日本社会と文化」の講義も担当しています。
日本が歴史上他国の影響を大きく受けた時代として、
古代中国の影響、近代西欧国家の影響、そして、
1945年の敗戦後のアメリカの影響を挙げて話す中で、
日本国憲法の紹介をしました。
学生に話す前にもう一度、前文や天皇の条項、戦争放棄、
さらに国民の諸権利と義務についての多くの条項を読み直しているうちに、
第十三条で、不意に涙が溢れました。
第十三条:すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
この憲法がどれほど国民のことを大切に考えて作られた憲法か、
作った人々の切実な願いが結実しているのが胸深く入ってきた一瞬でした。
また、この憲法ができる前は、
いかに国民の権利が制限されていたかもリアルに頭に浮かびました。
第十五条公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。
公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
ここで言う「公務員」には、当然総理大臣も国会議員も含まれます。
総理大臣や国会議員は国民から選挙という政治活動によって委託された存在です。
アベ首相が国民を平気で欺き、誤魔化し、嘘を言い、
「国民から税金を吸い上げる」「こんな人たち」と偉そうに言うのは、
はなはだしい勘違いです。
今は選挙期間中なので、
いつものように安倍自民党は、選挙用に福祉重視政策を口だけ言っていますが、
もし、また政権を握ればすぐにいつもの傲慢な嘘つきの姿をはっきり現すのです。
今回、授業で学生たちから感動のため息が聞こえたのは、
やはり第九条でした。
「武力の行使」、「永久に放棄」、「陸海空軍の戦力は保持しない」
私は、これらの言葉が先の侵略戦争の反省としてあることを付け足しました。
しかし、アベ首相がこの九条を変えて戦争できる国にしようとしていることは、
既に学生たちも知っていました。
第九条日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
埼玉県さいたま市の俳句サークルの方の
「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という作品が、
こともあろうに市公民館の政治介入で市の冊子に掲載されなかったということ、
さらに、市教委も公民館の判断を追認したことについて、
五万円の罰金を命じた裁判所の判決が出たとのこと。
しごく当然です。
日本では意見が分かれることについては、
明治時代ですら「万機公論に決すべし」と言っていました。
そもそも公民館とは社会教育を推進する役目を担っている公共機関です。
その公民館が「国民を二分する問題を掲載してはならない」 というのは
国民が政治や社会問題について議論することを封じ込めると同時に、
実は、一方の立場(憲法を守らないグループ)に立つものです。
これは独裁国家で行われている言論統制と同じであり、
日本がこんなことを許す国であるなら、北朝鮮を非難できません。
今回の判決は金額は五万円でしょぼかったですが、
公民館側の介入の非を認めたという点で正しいものだと思います。