毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「森友への過剰値引き 選挙前に近畿財務局が情報開示妨害」No.2096

2017-10-31 23:46:14 | 日本事情

選挙が終わると酷い真実が見えてきます

しかし、「いつものことだ」と慣れてしまったり、

流されたりしないようにいたしましょう。

「丁寧に説明」するというアベ首相の言葉、私は決して忘れていません。

早くしてくださいよ。

いったい、いつまで待たせるんですか。

もう、半年以上経っているのに、安倍首相は

何と、さらに来年まで国会審議をさせない構えでいるとか。

国会を機能不全にしているのが政府与党です。

誰ですか?こんな悲惨なのを政府に選んだのは??

庶民の政治の勉強学校開設が切に望まれます・・・・・・。

 

―――2017年10月30日)日刊ゲンダイ

森友への過剰値引き  衆院選前に近畿財務局が情報開示妨害

選挙後になって…(森友学園が運営予定だった「瑞穂の國記念小學院」)/(C)日刊ゲンダイ                                           選挙後になって…(森友学園が運営予定だった「瑞穂の國記念小學院」)/(C)日刊ゲンダイ

 安倍政権はやっぱり、選挙前に“疑惑隠し”を画策していた。選挙が終わった途端、森友学園への国有地払い下げの値引き額が最大6億円も過大だったとする会計検査院の試算結果が明らかになった。

 今年3月から始まった調査の内容が、衆院選後のタイミングで出てくるとは、いかにも不自然。隠蔽のにおいが漂うが、実はある専門家も選挙前に、土地の売却主の「近畿財務局」に対し証拠文書の開示請求を求めたところ、“妨害工作”の憂き目に遭っていた。

 政治資金に詳しい神戸学院大の上脇博之教授が9月15日、近畿財務局に〈財務局と森友学園との面談、交渉記録〉など計15項目の開示を求めた。

 ところが、10月6日。衆院解散から約1週間後に財務局は、上脇教授に〈開示請求文書を特定するに足りる事項の記載が不十分〉として「補正」を要求。要は「どの資料が欲しいか分からないから、請求文書を書き直せ」と居丈高に迫ったわけだ。

■嫌がらせの「逆質問」が19項目

 異例の補正要求の内容も、ほぼ「難癖」に近い。例えば、上脇教授の〈森友学園側の担当者からの地中埋設物が存在したとして提出された文書〉との請求に、財務局は〈文書の提出先の行政機関を明記してください〉〈担当者(が誰)であるか不明確〉〈『森友学園側』の『側』がどのような内容を意味するのか不明確〉と、嫌がらせのような“逆質問”を全19項目にわたり展開している。上脇教授はこう言う。

「そもそも、国民側は政府がどんな情報を持っているのか、詳細には把握しようがありません。こちら側の請求が不十分で、資料を特定できないのであれば、どういった資料があるのかを事前に示すべきです。以前、別の政府機関に開示請求した際は、『○○局に××関連の文書や△△関連の文書が存在しますが、どれにしましょう』と助言してきたくらいです。嫌がらせのような要求を受けたのは、今回が初めて。“忖度”なのか“圧力”なのか分かりませんが、選挙前に疑惑が噴出することを防ごうとしたのではないでしょうか

 安倍首相が約束した「丁寧な説明」は、いまだ果たされていないそれどころか、年明けの通常国会まで事実上の審議を半年以上もストップさせる構えだ。これ以上の“疑惑隠し”はとても許されない。

 

 

 

 

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「中国の若者と政治」No.2095

2017-10-31 00:41:14 | 中国事情

「中国」と言っても実に広く、幾重にも異なる層があり、

日本以上に一くくりにできない複雑な国だと、次第に思うようになってきました。

「中国の若者」もそうです。

大学に進学する者と、高卒、中卒の若者では考える中身がかなり違うようですし、

大学生と言っても、

江西省の前任校と今の大学を比べると、

勉強や週末の過ごし方、将来の展望など、見事に異なっています。

さらに、同じ菏澤学院外国語学部の中ですら、

日本語学科と英語学科の学生の生活態度も違うそうです。

つまり、一くくりに「中国の若者と政治」と言ったところで、

結局、ごく一部の様子を垣間見た話にしかなりません。

そうお断りした上で、

菏澤学院の学生たちの政治に対する意識を観察すると、

「政治は専門の代表者がやるもので、自分たちには

参加できることは一つもないし、また、参加したくもない。興味ない。」

というのが私の感じた反応です。

これを日本の若者たち(これも一括りにしてはうまくないことがあるとは思いますが)

の傾向と照らし合わせると、重なる面と微妙に違うかな、と思える面があります。

重なるのは「自分とは関係ないし、興味がない。」と言いながら、

案外国家の為すことをそのまま信じているという実態です。

(国家は正しいことをしているだろう。だって、私の国なんだからそう信じる)

みたいなたいへん子どもっぽい感じです。

そして、微妙な違いというのは、

日本の若者の方が政治を忌み嫌う傾向が強いのではないか、

ということです。

推測ですが、次のようなことを思いつきました。

中国は教育体制の中に国家の政治の大切さを常に織り込んで教えています。

マルクス・毛沢東哲学は高校大学を通じて、

一般教養科目に組み込まれています。

ここの大学の学生はこの科目の時間、

ほとんどが携帯を弄って遊んでいるそうですが(笑)、

いざ、国と国とを巡る話になると、学生の発言は、

やはり学校で学んだ中国を背負って立つ立場のものです。

これが手放しですばらしいとは、間違っても思いません。

しかし、日本の若者に政治や政治家の話をすると、

(うざっ)という嫌悪感や酷い時には憎しみを感じることがあるのとは、違います。

どうしてなのでしょう。

全く政治を知らないということで、肩身の狭い思いをし、

その肩身の狭い思いをさせる存在を忌み嫌うという方向に行っていないでしょうか。

「まともな政治家が誰もいない」なんて、それこそデマです。

しかし、まともな政治をめざす政治家の存在が見えていないのは確かなようです。

そこで、ウーマンラッシュアワー村本の、

「そういう存在が見えないのは、若者が悪いんですか」

という言葉を思います。

(甘ったれんじゃない。自分でわかれ!)

と言っても若者は決してわかろうとしません。

それこそ、「興味ない」のですから。

社会システムとしての政治教育がうまく機能してこなかったことを

反省し、いい教育活動をするのが最も大切だと思うのですが、

今の日本の公立学校でそれが可能なのでしょうか。

・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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