春、夏、秋とザクロの木は葉の色を変え、結実させ、葉を落とします。
どの季節のザクロの木も美しいことに、私は今年ようやく気がつきました。
昨日、今日と土日も3年の韋さんと外国語学部のビルでスピーチコンテストの特別練習です。
今年は中日国交正常化45周年なのに、何の行事もなく寂しいことだと思っていたら、
和歌山県と山東省の共催で、
日本語スピーチコンテストが開催されると聞いたのが3週間前。
(なぜそういうことをもっと早く言わんのだ!)と、いつものようにプリプリ怒りながらも、
学校代表に指名された韋さんと、早速原稿書き、そして練習に取り掛かりました。
何しろ11月18日に開催ですから、ホントに時間ないんです。
第一部は課題スピーチで「ネットショッピング」か「絆」から選べとのこと、
韋さんは「ネットショッピング」を選んでどんどん練習を進めています。
しかし、問題は第二部の即席スピーチです。
スピーチの10分前に課題テーマを提示され、10分間で3分以内のスピーチを考えなければなりません。
色々なエピソードを集めて記憶しておくことにしました。
その一つに、
「韋さんが日本の歌を中国の歌だと誤解していた経験」というのがあります。
大学に入学してまもない授業で、
キロロの「未来へ」を中国人の先生がかけてくれました。
この歌は中国でもとても人気があり、韋さんも中国語ではよく知っていました。
キロロが日本語で歌うのを初めて聞いた韋さんは、
(なんだ、日本はまた中国のものを盗んだのか。軽蔑するわ)と思ったそうです。
しかし、すぐに老師からもともとこの曲は日本の歌手が作って歌ったものだと知らされ、
とても恥じ入ったという体験です。
彼はそれを「中日の誤解の一例」として挙げました。
しかし、私は韋さんの(日本は「また」中国のものを盗んだのか)の「また」に心がちくっと痛みました。
侵略戦争のとき、確かに日本軍は中国の財産を略奪し、多くの中国人の命を奪いました。
それを指しているのかと思ったので、確かめると、
「戦争は関係ありません。例えば漢字がそうじゃないですか。」
と彼が答えたので、私はひっくり返りそうになりました。
漢字は中国から学んだものであることは、日本の歴史でずっと伝えてきているもので、
「もともと日本のものだ」などと主張したことは一度もありません。
遣隋使や遣唐使を中国に派遣してさまざまな文明を日本に持ち帰りましたが、
それは中国王朝の許可の下に実行したことであり、こっそり盗んだものではありません。
そもそも古代文化は取ったとか、盗んだとかいう法的所有権があるものではなく、
人々の往来・交流から自然に広がり伝わったものです。
「なぜ、『漢字を盗んだ』と思うのか。
近代以前の中国人は決してそういう見方(「漢字を盗んだ国」という見方)を日本に対してしていなかったはずだ。
なぜならば、中国王朝のお墨付きで日本は留学生を中国に送り込み、学んで、日本に持ち帰ったのだから。
やはり戦争のことがあるので、日本に対する悪感情がそういう言い方になっているのではないか」
と話すと、
「ああ、今まで単純に周りの中国人が言うことを鵜呑みにしていて、そんなこと考えたこともありませんでした。
どうもすみませんでした。」
と謝ってくれましたが、私に謝られてもね、と言うか、本当に気づいてくれたならそれでいいですけど。
もう一つ、「盗んだ」という件については、
「改革開放以降の中国社会では、
現代法に基づく著作権もお構いなしに、
まるで自分が作ったかのように発表し、広めている事例は千も万もあるが、
もともと作った人たちはどれほど『中国人は私の財産を盗んだ』と思っているか考えたことがありますか」
と聞いたところ、それは少し知っているとのことでした。
私は、小さい子どもを苛めているわけではありません。
大学生はもう大人です。
自国中心主義=「いつも自分の国が正しい」という子どもっぽい考えは
近年、どこの国の大人の中にも蔓延していますが、
それが国際理解を阻害している主因であることに、
せめて、日本語学科の学生たちには気づいてほしかったのです。
韋さんとは、スピーチコンテストが終わるまで、こんな議論を延々と繰り広げることになりそうです。
別に、喧嘩じゃなくて学生の認識が深まることを期待しての話し合いですので、
お互い、全く苦痛ではありません(と言い切りたい)。
夕方、外国語学部のビルを出ると、日曜日にもかかわらず軍事訓練をしている一団がありました。
その後ろで、薔薇とダリアが最後の一頑張りして、花を咲かせています。