毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「丸一日、隠遁。」No.2280

2018-06-02 23:52:41 | 

一日自由時間です。

昼間、ベッドの横に積んでいた本の中から『方丈記』に手を伸ばし、

京都日野に方丈の庵をむすんだ鴨長明の暮らしぶりを

つれづれなるままに読むうちに、

これこそ、そろそろ人生のラストステージを迎える私が

送るにふさわしいライフスタイルだと引き込まれました。

 

思うに、私の周辺で私ほどお金を使わずに暮らしている人間はいません。

たいていの友人は、美味しいものを食べにわざわざ出かけたり、

旅行したり、上等の服を着たりして消費生活を楽しんでいます。

私は、貧乏な家の出自で、さらに田舎育ちの所為か、

どうも、そういうことにお金を使うのが楽しくありません。


「藤の衣、麻の衾、得るに従ひて肌を隠し、

野辺のおはぎ、峰の木の実、わづかに命をつぐばかりなり。

人に交わらざれば姿を恥づる悔いもなし。

糧乏しければおろそかなる報をあまくす。

全て、かやうの楽しみ、富める人に対して言ふにはあらず。

ただ我が身一つにとりて、昔と今とをなぞらふるばかりなり。」

これを読んだだけで、

自然からいただけるものを採取し、

工夫して生活することの面白さが心を満たして、

(さあ、どこに方丈庵を作るかね)とプランを練りたくなります。

しかし、長明さんと違って私には子や孫がいます。

孫に至っては生まれたてのほやほやに等しいのです。

彼女達が大人に成長するまでは、何が何でも守らなければなりません。

ということは、さらにもうしばらくは

ごちゃごちゃした街の暮らしが続くということです……。

沖縄やんばるのモウセンゴケ(辺野古カヌーチームのCさんの写真)。

おなじく沖縄やんばるのベンガルヤハズカズラ。

カヌーチームのCさんは、

「こう見えても」(とご本人がおっしゃいます)

かつては世界を股にかけたヒッチハイカーだったそうです。

どこで、どう生きるか、

一人の人生であると同時に、どこかに繋がっている命です。

繋がる命とは、人間の尊厳のことか、と思いました。



 


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