毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

春節(お正月)の気配      2011/01/12(水)  No.51

2011-01-12 21:20:42 | 中国事情
 私がヒトデ型電気湯たんぽで火花を散らしたり、一年生に「ソーラン節」を教えたりしている間に、ここ南昌にも春節(旧暦または農暦での1月1日)の気配が少しずつ感じられるようになってきた。

 まず学生たちだ。14日までが主専攻の試験、15~20日までが副専攻の試験なので、彼らは毎日ずっと自習と試験の繰り返しだ。だが、どことなく&いつになくソワソワしている。
 メールをくれる学生も、「私は副専攻の試験が18日に終わるので、19日の朝帰ります。」とか別の子も「もうチケットは買いました。もうすぐ帰ります。」とか、テストのことなどそっちのけの感がある。

 先日の日本語作文の試験問題に「中国の代表的な行事」というテーマを指定したところ、最も多くの学生が「春節」を選んだことは、すでに前のブログに書いた。中には「試験の最中だが、もうワクワクしてたまらない。」などと書く浮かれ者までいたほど、「家族に会える」「友人と遊ぶ」のをほぼ全学生が待ちのぞんでいる。別な子の作文には「私の両親は一年中、出稼ぎに行っているので中秋節のときは、家に帰れなかった。春節だけは、年に一度家族が会える大切な祝日だ。」と書いてあった。
 みんなきちんとした身なりをしているので、見た目では貧しさは全く感じない。しかし、子どもを大学に通わせるために、親達は本当に必死でお金を絞り出しているのだ。大晦日のパーティーに来た子達の中に、農業収入では学費を捻出できないので親は農業をやめて出稼ぎしていると言う子がいた。作文を書いた子とは別の子だ。そして学生のほとんどは痩せている。ダイエットじゃない。お金がなくなると朝ご飯を抜いて我慢するのだ。勉強が忙しくアルバイトの時間がないので、ご飯を抜くしかしかたがないのだ。
 一年生の授業で、「牛肉、豚肉、鶏肉、どれが1番好きですか?」と聞くと「全部!」という返事があり、そのときは可笑しかったが、彼らにしてみれば笑い事ではないのかも知れない。

 貧乏について話すと、どんどん話がずれるので「春節」に話題を戻そう。

 行事を先取りするのはいつも店屋さんだ。
今日は久しぶりに大学構内の大きいスーパーに入ってみた。二階にはもう江西省特産の土産品がズラリと並んでいる。学生達が主な客だが、彼らは大きなカートを押してどんどん品物を入れている。私もつられて、おいしいかどうかかなり怪しい桂花菓子とか廬山餅とか買ってしまった。売る人がまた、お勧め上手で、「あら、日本人?日本語の先生?中国語上手ね~。」などとお世辞と分かり切っているのに、つい(エヘ!それほどでも~)とか喜んでしまう単純なヒト、それは私だす。

 それから新暦の1月1日からこっち、毎日爆竹、花火が絶え間ない。このまま2月3日の春節までパンパン!ヒュ~!が続くのだろうか。爆竹代だけでもたいへんな出費では?と心配になる。

 こうした春節ムードが次第に盛り上がりつつある中で、今日も大学本部構内の中国銀行には、キラキラ飾りをつけた大きなクリスマスツリーがロビーの真ん前にデンとおさまっている。いつになったら片付けるのだろう。2月末、日本から戻ってまだあったら面白いな。
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