↑大学職員家族寮の各棟の間には樹々が並んでいたり、
古い倉庫があったり、それぞれの筋で趣が違いますが、
この並木の下に敷き詰められた落ち葉にはいつも感動に近い気持ちが湧きます。
大阪でここまでの落ち葉はあまり見たことがないからだと思います。
↑お父さんの自転車に立ち乗りする女の子。
向こうには、煉瓦壁の古い建物が見えます。
職員家族宿舎の塀を隔てたすぐ向こう側ですが、
まだ間近に寄ってみたことがありません。
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三日後の火曜日朝、CJ先生がフィリピンに帰ってしまいます。
最後の晩餐、本来なら送る私たちがしなければならないところを
CJ先生が自ら私たちを招待してくれました。
基本はMr.張抜きの女子会ですが、
一人だけ、EVE先生の学生だった卒業生のアーチ―(男性)も来ました。
下は、右がCJ先生、左が教え子の英語学科の卒業生ジル(青島出身)です。
CJ先生が三年前、赴任したばかりの時、英語学科の学生だった彼女が
あらゆる面倒を見てくれたそうです。
中国では、学生が外国人教師のまたとない相談役になってくれるのが一般的です。
私も江財大で初めから終わりまでずっと学生の世話になりっぱなしだったし、
ここ、菏澤学院でも卒業生の王康さん、楊芬さんをはじめ、
何人もの学生たちに助けられて一年間を過ごすことができました。
それにしても、CJ先生、
別れの寂しさがまるで感じられませんね~。
二人の教え子が到着するまでに、私たちは言葉も分からないくせに、
英語やブロークン中国語を好き放題言って、
ちゃんと注文を済ませたのです。
下は右が注文を確認している女性スタッフ、
小窓から覗いている二人は、まだ少年のウエイターですが、
客が外国人だというので、面白がってなかなか去ろうとはしません。
アメリカ人のテイラー先生は、「まるで動物園の動物を見るような感じ」と、
非常に嫌がっていますが、私が写真を撮ろうとカメラを構えると、
左側の男の子は恥かしそうに顔をそむけながらヴィクトリーサインをしました。
(どこの国の子も同じだな)と、またまた思った瞬間です。
アーチ―が外の店で缶ビールとソフトドリンクを買ってきてくれて(^◇^;)
私たちは料理だけを注文し、安くあげました。
それでも9皿(200元以上)も注文したので結局残してしまった次第であります。
お持ち帰りは何でもかんでも、
スーパーの買い物袋のような袋に入れられるのです。
これには初め愕然としましたが、今ではすっかり慣れました。
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