キャンパスの真冬の柳。空に映る黒い線の美しさったら・・・・・・。
明後日14日、菏澤を発ちます。
いつも移動は、1、2ヶ月前に格安で買う航空券の出発時間帯に左右されます。
今回は往復で買うとお得なのを、鄭州空港朝8時半出発という微妙な時刻だったのに、
(ま、何とかなるやろ)とつい購入してしまい、
すったもんだする羽目になりました。
鄭州空港近辺はもちろんホテルはたくさんありますが、
実はその多くは外国人だけでは泊めてくれません。
当局の許可が下りないのだそうです。
昨年冬、フィリピンに帰省するEVE先生と私は、菏澤に連日濃霧が発生していたため、
時間に余裕を持って前日菏澤を出て二人で鄭州に一泊し、
翌日昼の便でそれぞれの飛行機に乗ることにしました。
ところが、電話で予約を試みた全てのホテルに断られるという予想外の展開になってしまい、
困ったときの学生頼みで、韋彤さんに無理を言って一緒に泊まってもらったのでした。
今年は、3年生はまだ試験の最中です。
それに何度も学生の世話になるのも良くないので、
今回は全て外事処のMr.張や日本語学科の先生方のお世話になろうと
固く心に決めていました。
Mr.張に頼んだ真夜中のタクシー手配は、
運転手さんに雪が降るかもしれないから嫌だと断られ、
日本語学科の先生方に頼んだホテル予約もいくつも断られ、
昨日、ついに私は空港に前日19時半から翌朝8時半まで、
13時間滞在することに決めました。
(ただでトイレや洗面所があるところに泊まれる、ラッキー!
と考えることにして)。
しかし、ここでやっぱり、韋彤さんが現れました(笑)。
今日は、以前から3年生の劉さん、趙さんに
中国銀行に出かけて両替をしてもらうよう約束していたのです。
(外国人だけだと500ドルしか両替してくれないので)。
そこに、この冬休みに和歌山県に招待されている韋彤さんも
日本円に両替したいと、4人一緒に出かけました。
両替後、劉さんは杭州から会いに来たボーイフレンドを迎えに、
趙さんは他のクラスメートとコメディー映画を見に、
そして、韋彤さんは私の携帯の買い換えを手伝ってくれました。
私はこちらでもガラケーを使っていますが、
何と中国のガラケーの呼び名は「老年携帯」でした!
それ、ちょっと決め付けすぎちゃう?と納得できない私でしたが、
今の私の携帯の電池は爆発寸前だと言われ、
(だから30分喋っていたら熱くなっていたのか)と合点がいきました。
HAIERの¥299の老人携帯を買いました。
しばらくはまた格闘です。
買い物も終わり、わが宿舎で二人、一息ついておしゃべりしているうちに
「先生、外国人だけでも泊まれるホテルが確かありましたよ」
と、韋彤さんが言い出し、なんだとお、早く言ってよとネットで場所や名前を調べ、
最後に韋彤さんが電話で予約してくれました。
結局、頼りになるのはまず学生だ、と再認識した次第です
あ、もちろん、日本語学科の李先生もあちこちホテルを調べてくださったり、
明後日は長距離バスターミナルまで車で私を送っていってくださったり、
Mr.張も、私の要望に沿うようにタクシーの運転手さんに尋ねてくださったり、
バスターミナルまで送っていってあげるよ、と申し出てくださったり、
くださったりだらけなので、
私はこの学校でも前任校同様、
しだいに「老人姫様」になりつつある今日この頃です。
道路にまだしばれている箇所あり。
このコーナーはことあるごとに水が溜まって、道路なんだか池なんだか勘違いしそうです。
鳥たちも憩いの場にして。
今日の菏澤は青空が見えました。
数年前に比べて空気が良くなってきたのを空の色で判断しています。
(喉は相変わらず痛い)。
とにかく道中ご無事だりますように。
周囲の人たちに助けられて、やはりお人柄ですね。
今、日本中寒波に見舞われていますから、冷蔵庫の中に帰ってくるようなものかも。
ご家族が首を長くしていることでしょう。
大学の中だと、日本語学部では日本語で、他では英語で意思疎通できますし、外国人教師(外教)は地位が保障されています。
しかし、一歩大学の外に出ると制限が非常に多いことを感じます。実は中国人民も汽車に乗るとき身分証明書を提示しないといけないとか、けっこう制限があるのも分かってきました。日本のマイナンバー制は中国の真似ですかね。